学校法人立命館

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学校法人立命館
創立者 西園寺公望(学祖)
中川小十郎末弘威麿
理事長 長田豊臣
創立 1900年
所属学校 立命館大学
立命館アジア太平洋大学
立命館中学校・高等学校
立命館宇治中学校・高等学校
立命館慶祥中学校・高等学校
立命館守山中学校・高等学校
立命館小学校
所在地 京都市中京区西ノ京朱雀町1番地
ウェブサイト http://www.ritsumeikan-trust.jp
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中川会館(学校法人立命館)
学校法人立命館本部(中川会館)正門
「立命館草創の地」の碑
(京都市上京区・旧清輝楼仮校舎跡)
立命館大学広小路学舎(1920年代)
立命館大学広小路学舎(1956年)
広小路学舎は校地面積わずか2,200m2という小さなキャンパスだった。1981年に衣笠キャンパスに全面移転が完了し閉校した。

学校法人立命館(がっこうほうじんりつめいかん、英字表記:Ritsumeikan)は、日本の学校法人の一つ。京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1番地に本部を置く。[1]全学園の学生・生徒数は約49,000名、教職員数は約2,500名(2009年現在)[2] [3]

歴史[編集]

財団法人立命館の設立者[編集]

1913年12月13日、財団法人立命館の設立および学校名称変更発表式を開催。学校組織を財団法人立命館とするとともに、大学を私立立命館大学、中学校を私立立命館中学と改めることが発表された。学校名称の変更申請は、末弘威麿の名義で行われたが、財団法人立命館の設立申請は中川小十郎名義で為され、二つの申請がほぼ同時に文部省から認可されたため、財団代表者と学園設立者が異なるという事態が発生した。この問題を解消するため、同年12月16日、末弘と中川の連名による申請書「財団法人立命館ヲ私立立命館大学設立者ト為スノ件」が文部省に提出され、中川小十郎および末弘威麿の二人が「財団法人立命館理事 兼 私立立命館大学設立者」の座を共有することになった。

財団法人立命館の組織[編集]

財団法人立命館の理事は、終身理事・任期制理事(任期3年)の二人制で、初代終身理事には中川小十郎が、任期制理事には末弘威麿が就任した。

理事の下には最大10名からなる協議会と、学園監事のポストが置かれた。なお、理事および監事は協議員を兼任するものとされた。初代の協議員は、京都帝国大学教授を中心に構成され、井上密石坂音四郎仁保亀松戸田海市織田萬岡村司勝本勘三郎田島錦治らが選ばれた。また、立命館大学予科・立命館中学学監には京都帝大文科大学教授の小西重直が就任した。

協議員会には大きな権限が与えられ、委員の三分の二が賛成すれば財団の解散も可能であった。また、財団「寄附行為」には、財団解散時には所有財産の全てが京都帝国大学に寄付されると明記されていた[4],[5]

法人名の由来[編集]

立命館大学衣笠キャンパス(京都市北区)にある石碑「立命館 その由来の碑」

立命館大学は中川小十郎が開いた京都法政学校が起源であるが、その立命館という名は、西園寺公望京都御所邸内に一時開いていた私塾立命館に由来する。この「立命館」は、孟子「盡心章(じんしんしょう)」にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められている。修養に努めてその天命を待つのが人間の本分の全うである、という意味。)という一節から得ている。1905年、廃絶していたこの「私塾立命館」の名称を、中川小十郎の希望により、中川の創設になる「京都法政学校」が継承することを許可した。その際、西園寺公望は、次のような扁額をしたためている。

立命館 - 往年、余は一校を興し名づけて立命館という。泰西に遊学するに及んで、校廃し名存す。この頃京都法政学校学員来り、その名を襲用することを請う。余は名の実を得ることを喜び、すなわち扁額を書してもってこれを与う。孟子いわく、殀寿貳わず、身を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なりと。蓋し学問の要はここに在り。明治三十八年四月 侯爵 西園寺公望

西園寺公望と立命館[編集]

立命館扁額と中川小十郎

西園寺公望は1869年 私塾「立命館」を創設。(中川小十郎{後の立命館大学創立者}の郷里の人間が多数学生となっている。)京都府庁(太政官留守官)の差留命令により1年弱で閉鎖された。公望は私塾立命館を閉鎖させた際、大層残念に思い再興を誓う。

その後を継いだのが秘書官の中川小十朗だった。現在の立命館大学は、文部大臣当時の秘書官中川小十郎がその名跡を譲り受けたもので、大学組織的としての直接の繋がりはないが公望は事実上の創立者の1人として京都法政学校(現・立命館大学)創立にあたり有形無形の支援を行った。

西園寺公望の実弟末弘威麿が学園幹事に就任、同じく実弟の住友財閥当主徳大寺隆麿(住友友純)による大口の寄付を行うなど、西園寺は自分の持つ政治力、人脈・金銭等を用い京都法政学校(立命館大学)に協力した。また教育面での貢献も大きく、中でも彼の寄付した書籍は現在も「西園寺文庫」として立命館大学に貴重コレクションとして保存されている。

一回目の寄贈は1925年5月に行われたが、これは立命館大学(旧制)が大学昇格条件を満たすために為されたもので、英仏書187冊であった。その後、1930年10月16日に和漢書約300冊、1938年6月には西園寺家伝来の和綴本739部881冊の寄贈が為された。 この和綴書には、宮中儀式、有職故実関係、改元記録、和歌関係などの貴重文書が含まれている。そして最後、すなわち四回目の寄贈は1940年5月に行われている。

この最後の寄贈資料は和漢書6,671冊にもおよび、西園寺公が特に愛読していたと思われるものが大量に含まれているのが特徴とされる。また公望は西園寺家家紋である「左巴」の旗を立命館大学が使用することを許可しており実際に使用されていた。中川小十朗が「立命館」の名称を用いる事を公望に申し出た際には『立命館』の名称と精神の継承(立命館の再興)を大層喜び『立命館と由緒』の大扁額を与えた。

後に公望は「余が建設せる立命館の名称と精神を継承せる貴学」と現在の立命館大学の事を述べており、彼の作った私塾立命館を引き継ぐ存在としてその後も立命館大学に関わった。公望が没した1940年に立命館大学は、創立とその後の教育に大きく貢献した西園寺公望を立命館大学の「学祖」と取り決めた。西園寺家と立命館大学の交流は現代も続いており大学の行事に西園寺家の人々が出席している。

学園ロゴ[編集]

学校法人立命館シンボルマーク「Rits」
(商標登録番号: 4393342および4393343)
立命館大学びわこ・くさつキャンパス
学校法人立命館コミュニケーションマーク「R」
(商標登録番号:5140443)
立命館大学びわこ・くさつキャンパス
立命館大学衣笠キャンパス
平井嘉一郎記念図書館(立命館大学衣笠キャンパス)
立命館大学びわこ・くさつキャンパス
立命館学園発祥之地の碑
(旧立命館大学広小路学舎跡地)

立命館には校章とは別に二つの学園ロゴが存在している。

  • 「Rits」
    1994年、BKC(びわこくさつキャンパス)新展開を期に制定されたシンボルマーク。「リッツ」と読む。2000年6月23日商標登録され、学園グッズのロゴとしても使用された(商標登録番号: 4393342および4393343)。1999年、世界的ホテルチェーン「ザ・リッツ・カールトン」が神戸凮月堂の経営する「ホテルゴーフルリッツ」を相手取り、類似名称の使用差止めにつき勝訴(大阪高判平成11年12月16日)して以降、Ritsロゴを商品に使用することは自粛しているが、商品以外への使用は続けている。
  • 「R」
    2007年10月に誕生したコミュニケーションマークで2008年6月13日に商標登録された(商標登録番号:5140443)。シンボルマークの「Rits」とは区別されて使用されることになった。マークとともにタグライン「+R 未来を生みだす人になる。」も制定された。立命館宇治高等学校以外の付属中学校・高校の制服のエンブレムとして正式に使用されているかについては不明であるが、立命館宇治高等学校の生徒の靴下や制服のエンブレムには2008年度入学生より男女ともに採用されている。「Rits」ロゴの場合、商標としての指定商品・指定役務区分が2区分のみだったのに対し、「R」ロゴは24区分に広がったため、より幅広い「商品」や「サービス」に使用することが可能である。
    「R」のロゴデザインは、アートディレクター秋山具義による。

近年の問題[編集]

立命館大学および立命館アジア太平洋大学において、雇止めに関連する訴訟が起こっている[1][2]。現在もこの訴訟は進行中である。

歴代総長[編集]

氏名 在職期間 備考
初代 中川小十郎 1931年 - 1944年
2 末川博 1948年 - 1969年 名誉総長
3 武藤守一 1970年
4 細野武男 1970年 - 1978年
5 天野和夫 1978年 - 1984年
6 谷岡武雄 1985年 - 1990年
7 大南正瑛 1991年 - 1998年
8 長田豊臣 1999年 - 2006年
9 川口清史 2007年 - 2014年  
10 吉田美喜夫 2015年 - 現在  

歴代理事・理事長[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『立命館百年史』第一巻通史 立命館百年史編纂委員会

脚注[編集]

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  1. ^ 2009年5月1日 学生・生徒数
  2. ^ 2009年5月1日 学生・生徒数
  3. ^ 2009年5月1日 教職員数
  4. ^ 財団法人立命館寄附行為第19条「本財団を解散するに至りたるときは其所属財産の全部を挙げて京都帝国大学に寄附すること」、出典:「立命館あの日あの時」『今日は何の日 - 12月 もう一つの立命館創立100周年』
  5. ^ 「本財團解散スルニ至リタルトキハ、理事ハ協議員會ノ決議ヲ經タル後、主務官庁ノ許可ヲ得テ其財産ヲ京都帝國大學ニ寄付スルモノトス」(出典:「立命館学報」第一号、大正3年2月)