福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件

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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件
Mt KAMUEKU 3.jpg
場所 北海道日高山脈カムイエクウチカウシ山
標的 福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員5名
日付 1970年7月26日 - 29日
概要 雌のヒグマ(3歳)が福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員を襲撃
死亡者 3名
対処 7月29日16時半頃、ヒグマを射殺
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追悼プレートのある八の沢カールの位置

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件(ふくおかだいがくワンダーフォーゲルぶヒグマじけん)は1970年(昭和45年)7月に北海道日高郡静内町(現・新ひだか町静内高見)の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。

若いヒグマが登山中の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(のちにワンダーフォーゲル部へ昇格)会員を襲撃し、3名の死者を出した。福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件福岡大学ワンゲル部員日高山系遭難事件とも呼ばれる。

事件の経緯[編集]

計画[編集]

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会所属の学生A(リーダー、20歳)、B(サブリーダー、22歳)、C(19歳)、D(19歳)、E(18歳)の5人は1970年7月12日9時に列車で博多駅を出発し、14日に新得駅へ到着した。14時半に芽室岳へ入山。そのまま芽室岳からペテガリ岳へ日高山脈を縦走する計画だった。

予兆[編集]

25日、中間地点であるカムイエクウチカウシ山 (標高1,979m)の九ノ沢カールでテントを張ったところ、ヒグマが現れた。ヒグマがいない九州から来た彼らは恐れることなく様子を見ていたが、ヒグマが荷物をあさりだしたため音を立てて追い払い荷物を取り返した。しかしその夜、再びヒグマが現れテントに穴を開けた。身の危険を感じた彼らは交代で見張りを立てたが、その後は現れなかった[1]

26日の早朝、ふたたびヒグマが現れテントを倒した。Aの指示でBとEが救助を呼ぶため下山を始めた。その途中で北海学園大学のグループや鳥取大学のグループに会ったので救助要請の伝言をし、BとEは他の3人を助けるため山中へ戻った[1]

ヒグマの襲撃[編集]

BとEは昼ごろに合流し、5人でテントを修繕した。16時ごろ、寝ようとしていた彼らのもとにヒグマが現れ居座った。彼らは鳥取大学のテントへ避難するため、九ノ沢カールを出発し歩き続けた。しかし、鳥取大学や北海学園大学のグループはヒグマ出没の一報を受けすでに避難したあとだったため、仕方なく彼らは夜道を歩き続けた。

不幸にもヒグマは彼らを追いかけ、追いついた。ヒグマはまずEを襲い絶命させた。Cは他のメンバーとはぐれてしまった。彼らは一目散に逃げ、その夜はガレ場で夜を過ごした[1]。27日早朝、深いが出ていたため視界は悪かった。下山する途中でヒグマはまた現れた。Aがターゲットとなりそのまま襲われて死亡した。BとDは無事下山し、逃げ延びた2人は五の沢砂防ダムの工事現場に駆け込んで車を借り、18時に中札内駐在所へ到着した[1]

救助隊[編集]

仲間とはぐれたCは鳥取大学グループが残したテントに駆け込み一夜を明かしたが、27日の8時ごろにヒグマに襲われ死亡した。Cは死ぬ直前まで様子や心境をメモに書いていた。28日、十勝山岳連盟の青山義信を現場隊長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。さらに帯広警察署は、カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。翌29日、早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で2人の遺体を発見した。遺体は九州から捜索に加わっていた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員によってAとEであることが確認された。

29日16時半ごろ、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。亜成獣(3歳)の雌であまり大きくはなかった。30日にはCの遺体も発見された。雨天で足元が悪いことから遺体を下におろすことができず、31日17時に八の沢カールで3人の遺体は荼毘に付された。八の沢カールには追悼のプレートがかけられ、そのプレートには「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が記されている。3人を殺害したヒグマは解剖されたが、体内からヒトや持ち物などは確認されなかった[2]。このヒグマは剥製にされ、中札内村の日高山脈山岳センターに展示されている。

教訓[編集]

野生動物研究家の木村盛武は次の指摘をしている[3]

  • ヒグマがあさった荷物を取り返してはいけない。
彼らは最初にヒグマに遭遇した際、ヒグマにあさられた荷物を取り返したためヒグマから敵と看做された。ヒグマは非常に執着心が強い動物であるため、一度ヒグマの所有物になったものを取り返すのは無謀な行為である。
  • ヒグマに遭遇したらすぐに下山しなければいけない。
彼らはヒグマに遭遇したものの、身の危険をすぐには感じず下山しなかった。Aの母は北海道放送のインタビューで「カムイエクウチカウシ山はAが日頃から行きたがっていた山だったので、どうしても登頂したかったのかもしれない」と述べている。
  • ヒグマに背を向けて逃げてはいけない。
ヒグマは背を向けて逃げるものをイヌのように追いかける習性がある。たとえ敵ではないと認識していても、背を向けて逃げると本能的に追いかけるため非常に危険である。
  • 事前にヒグマに出会ったときの対処法をチェックしておかなければならない。
彼らはヒグマにあまり詳しくなかったので間違った対処をした。
  • ヒグマは時間や天候に関係なく行動する。
彼らを襲った時間は朝から夜まで規則的ではなく、濃霧でも行動した。

事件を題材にした番組[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 北の山脈編集部 1971, pp. 105-111.
  2. ^ 遠藤公男 1972, p. 192.
  3. ^ 木村盛武 2001, pp. 244-249.
  4. ^ 読売新聞 (読売新聞社): p. テレビ欄. (1984年12月29日) 

参考文献[編集]

  • 木村盛武「第9章 事件をかえりみる「福岡大学ワンゲル部員日高山系遭難事件」」『ヒグマそこが知りたい - 理解と予防のための10章』共同文化社、北海道札幌市、2001年8月、244-249頁。ISBN 978-4877390570
  • 北の山脈編集部, 編纂.「福岡大学ワンダーフォーゲル部遭難報告書抜粋」『北の山脈』創刊、北海道撮影社、1971年3月、 105-111頁。
  • 遠藤公男ヒグマが人間を襲った例」『哺乳動物学雑誌: The Journal of the Mammalogical Society of Japan』第5巻第5号、日本哺乳類学会、1972年7月、 192-193頁、 doi:10.11238/jmammsocjapan1952.5.192

関連項目[編集]

外部リンク[編集]