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1982年に担当していたラジオ番組[[真夜中ギンギラ大放送]]でリスナーからの一枚のハガキを発端に話が膨らみ、[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]](8耐)への出場を宣言。当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得。自身のサポートクラブ的団体である國武舞レーシングチームを主宰し、バイク業界で精力的に活動を始める。[[1983年]]には8耐の登竜門的レースである鈴鹿4時間耐久レースに出場、決勝20位で完走を果たす。[[1985年]]まで4耐に出場。その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、[[1990年]]、元世界GP[[ライダー]]の[[福田照男]]とペアを組み8耐に初参戦。予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。そして、これをもってレース界からの引退を宣言する。 |
1982年に担当していたラジオ番組[[真夜中ギンギラ大放送]]でリスナーからの一枚のハガキを発端に話が膨らみ、[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]](8耐)への出場を宣言。当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得。自身のサポートクラブ的団体である國武舞レーシングチームを主宰し、バイク業界で精力的に活動を始める。[[1983年]]には8耐の登竜門的レースである鈴鹿4時間耐久レースに出場、決勝20位で完走を果たす。[[1985年]]まで4耐に出場。その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、[[1990年]]、元世界GP[[ライダー]]の[[福田照男]]とペアを組み8耐に初参戦。予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。そして、これをもってレース界からの引退を宣言する。 |
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私生活では[[歌手]]・[[レポーター]]として活動していた[[清水クーコ]]と結婚、カカア天下&おしどり夫婦として知られたが1982年に離婚(子なし)。国明・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通だったので、元夫婦がとった行動は当時としては異例だった。クーコはしばらくあのねのね事務所に所属し芸能活動を続け、そして国明とはよき友人関係を続けたが、自身の海外留学・国明の再婚(1984年に再婚したが離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。クーコは[[1991年]][[3月]]子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主を国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。 |
私生活では[[歌手]]・[[レポーター]]として活動していた[[清水クーコ]]と1976年に結婚、カカア天下&おしどり夫婦として知られたが1982年に離婚(子なし)。国明・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通だったので、元夫婦がとった行動は当時としては異例だった。クーコはしばらくあのねのね事務所に所属し芸能活動を続け、そして国明とはよき友人関係を続けたが、自身の海外留学・国明の再婚(1984年に再婚したが離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。クーコは[[1991年]][[3月]]子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主を国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。 |
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2007年1月、敬子夫人と3度目の結婚(23歳差)。同年[[11月4日]]には初めての男子をもうけ、2015年に離婚。 |
2007年1月、敬子夫人と3度目の結婚(23歳差)。同年[[11月4日]]には初めての男子をもうけ、2015年に離婚。 |
2020年3月17日 (火) 11:30時点における版
しみず くにあき 清水 国明 | |
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本名 | 清水 國明 |
生年月日 | 1950年10月15日(73歳) |
出生地 |
日本 福井県大野郡和泉村(現・大野市) |
国籍 | 日本 |
血液型 | A型 |
活動期間 | 1973年 - |
活動内容 | タレント/冒険家/歌手/実業家/作家 |
配偶者 | あり |
事務所 | 株式会社 kuniaki.plus |
主な作品 | |
『噂の!東京マガジン』 『湯のまち放浪記』 『ものまね王座決定戦』 |
清水 国明(しみず くにあき、1950年10月15日 - )は、福井県出身の日本のタレント・歌手・作家・冒険家・実業家である。本名は清水 國明(読み同じ)。
アウトドア愛好者として有名で、国際A級ロードレースライダーでもある。
所属事務所はあのねのね事務所→清水国明事務所(アワーライフ)→kuniaki.plus。
芸名は、現在デビュー時と同じ清水国明。一時期本名の清水國明に変えていた。
姉の橋本真由美は、ブックオフコーポレーションの取締役相談役である。
経歴・人物
福井県大野郡和泉村(現大野市)出身。福井県立大野高等学校、京都産業大学法学部卒。
1973年に、原田伸郎とのコンビで「あのねのね」として、「赤とんぼの唄」でデビュー。大ヒットを記録した。「あのねのね」結成当初は複数人の編成で、笑福亭鶴瓶とその妻もメンバーだった。
「あのねのね」時代は台本を書き、芸でも原田をリードする立場だった。あのねのね時代はラジオで下ネタを連発したり放送コードを超えた卑猥な歌を歌っていたが、後述のように1990年代にアウトドアの旗手としてファミリー層から持ち上げられるようになってからは、ものまね王座決定戦で清水アキラが下ネタを連発した際にとがめる場面を見せるなど芸風が様変わりしていた(ただし、アキラを一時期自らの事務所に所属させ、3度目の結婚の際にはアキラが披露宴の司会をするなど、両者の親交は深い)。
1982年に担当していたラジオ番組真夜中ギンギラ大放送でリスナーからの一枚のハガキを発端に話が膨らみ、鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)への出場を宣言。当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得。自身のサポートクラブ的団体である國武舞レーシングチームを主宰し、バイク業界で精力的に活動を始める。1983年には8耐の登竜門的レースである鈴鹿4時間耐久レースに出場、決勝20位で完走を果たす。1985年まで4耐に出場。その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、1990年、元世界GPライダーの福田照男とペアを組み8耐に初参戦。予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。そして、これをもってレース界からの引退を宣言する。
私生活では歌手・レポーターとして活動していた清水クーコと1976年に結婚、カカア天下&おしどり夫婦として知られたが1982年に離婚(子なし)。国明・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通だったので、元夫婦がとった行動は当時としては異例だった。クーコはしばらくあのねのね事務所に所属し芸能活動を続け、そして国明とはよき友人関係を続けたが、自身の海外留学・国明の再婚(1984年に再婚したが離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。クーコは1991年3月子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主を国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。
2007年1月、敬子夫人と3度目の結婚(23歳差)。同年11月4日には初めての男子をもうけ、2015年に離婚。
2008年末、都内の病院の人間ドックで十二指腸に約2センチの腫瘍(ポリープ)を発見。良性との判断で翌2009年2月、内視鏡で摘出したが、念のため摘出部の細胞を調べたところ、十二指腸乳頭部に腫瘍が見つかったため、十二指腸の全摘出となった。4月に都内慈恵医大病院に入院し手術。早期発見で約3週間の入院で済み、5月の連休明けには復帰した。
2013年6月4日あのねのね結成40周年記念コンサートを東京・渋谷のマウントレーニアホールで行った。
2018年3月3日、25歳年下の一般女性と入籍(4度目の結婚)。女性は妊娠中で11月に出産予定。
アウトドア志向
90年代からはアウトドア志向の活動を多く行うようになった。自らチェンソーを握り、木を伐採し、ログハウスを建築する様子がテレビなどを通じて流され、以降、アウトドア派、DIY派のイメージが定着した。
2002年、滋賀県が「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」を施行したのを受け、「オオクチバス再放流禁止義務不存在確認等請求事件」の原告となる。 リリース擁護派として「リリ禁ネット」を立ち上げるが、第一審結審(棄却)後、この問題からは手を引いた。
2005年、ライフワークとしての「森と湖の楽園」をオープン。NPO活動として子どもキャンプなどを開催する傍ら、河口湖を拠点として、ツリーハウス作りや農業体験など、団塊世代を主にターゲットとした自然のチカラを人の暮らしに生かすビジネスを創出。
清水は小学校時代から大学2年生まで剣道をやっており、剣道二段の腕前である。2011年3月東北地方太平洋沖地震の際には、被災者救援活動を自らが主宰するNPO法人「河口湖自然楽校」で行うにあたって剣道経験者としてその活動を紹介した『剣道日本』6月号(スキージャーナル社)のインタビューに登場した[1]。被災した子どもやその家族を受け入れた際は、バスで被災地と河口湖を送迎した。
2011年財団法人日本レクリエーション協会主催で審査された【もっともレクリエーショナルなイメージを持つ著名人「ベストリクルー」】一般審査部門にて1位に選出される。
2012年4月、山梨学院大学現代ビジネス学科客員教授に就任。5月、ハワイ・ホノルルトライアスロンに挑戦。完走する。
2013年に瀬戸内海にある無人島を入手、「ありが島」と名付けてキャンプ場をプロデュースしている。
弟子
主な出演
テレビ番組
- 現在
- 過去
フィッシングバトル九州[2]
- ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)
- ものまね王座決定戦(フジテレビ)
- たったひとつの地球(NHK教育)
- タミヤRCカーグランプリ(テレビ東京)
- うわさのチャンネル(日本テレビ)
- 出没!!おもしろMAP(NETテレビ)
- それゆけホッティーズ!(中国放送・テレビ山口・山陽放送・山陰放送)
- 冒険王〜大人の遊び旅〜(旅チャンネル)
- It's山梨〜清水國明のやまなし再発見!〜(テレビ山梨)
- CNNデイウォッチ(テレビ朝日)
- チェック・ザ・ステーション(テレビ朝日)
- 桃色学園都市宣言!!(フジテレビ)
- おかえりワイド(MBS)
- とびっきり!しずおか(静岡朝日テレビ)
- 湯のまち放浪記(BS-TBS、2013年4月 - 2014年9月)
ラジオ番組
- どっきん!面白天国(ラジオ大阪)
- 真夜中ギンギラ大放送(ラジオ関西)
- ヤロメロジュニア出発進行!(ラジオたんぱ)
- それゆけ!金曜 清水國明→金曜まるごと 清水國明です(MBSラジオ)
- 清水國明の風に乗れ!(TBSラジオ)
- 清水國明・千堂あきほの真夜中ジャンクション(TBSラジオ)
- 清水國明の集まれ!川仲間(文化放送)
- 野村邦丸のごきげん!二重丸◎(文化放送)
- 清水國明のバイク・バイク・バイク(山口放送ほか)
- 清水國明の気分はトムソーヤー(岐阜ラジオほか)
- 清水國明のフォレストパラダイス(静岡放送ほか)
- 清水国明のFRIENDS MINING(FMヨコハマ)
- アイタイ・アイタイ(FMヨコハマ)
CM
主な著書
- 1984年 - 『そらもうぶっちぎり! とはいわんけどな』ベストバイク社/講談社
- 1997年 - 『清水國明の自然遊び日記〜丸太小屋編』読売新聞社
- 1999年 - 『遊YOUキッズアドベンチャー』ベースボール・マガジン社
- 2000年 - 『清水國明の人の釣り見て、わが釣り直す』 祥伝社黄金文庫
- 2001年 - 『清水國明の東京リトルガリバー』東急エージェンシー
- 2003年 - 『釣戦記―ブラックバス琵琶湖リリース禁止裁判』つり人社
- 2005年 - 『森のチカラ、生きるチカラ』日東書院
- 2005年 - 『直角死』日東書院
- 2006年 - 『絵手紙入門』幻冬舎
- 2008年 - 『清水国明の自然暮らし検定』学習研究社
脚注
- ^ [1] Kenbudo.Biz参照
- ^ 「フィッシングバトル九州」『Wikipedia』2019年4月11日。
外部リンク
- 清水国明公式サイト
- 清水國明オフィシャルブログ
- 清水国明 (@shimizukuniaki) - X(旧Twitter)
- 清水国明 (@9292aki432) - Instagram
- 清水國明の「自然楽校&森と湖の楽園」
- 社員研修・企業研修の自然楽校
- 国店 自然暮らし 〜清水國明セレクトショップ〜
- 清水國明のバック・トゥ・ザ・ネイチャー
- 無人島キャンプ場「ありが島」
- ブックオフコーポレーション株式会社
- 株式会社 Kuniaki.plus