「ガーディアン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cheapside (会話 | 投稿記録)
→‎歴史: 人名誤記修正と「ピータールーの虐殺」への言及の追加。
編集の要約なし
36行目: 36行目:
'''ガーディアン'''(''The Guardian'')は、[[イギリス]]の大手一般[[新聞]]である。旧題号は『マンチェスター・ガーディアン』(''The Manchester Guardian'' ; [[1821年]]~[[1959年]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3-45447 ガーディアンとは]コトバンク</ref>)。
'''ガーディアン'''(''The Guardian'')は、[[イギリス]]の大手一般[[新聞]]である。旧題号は『マンチェスター・ガーディアン』(''The Manchester Guardian'' ; [[1821年]]~[[1959年]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3-45447 ガーディアンとは]コトバンク</ref>)。


==概要==
== 概要 ==
編集方針は[[中道左派]]・リベラル寄りとされ、読者の多くは[[労働党 (イギリス)|労働党]]か[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]の支持者である。伝統的に労働党を支持しているが、2010年の総選挙では自由民主党を支持。
編集方針は[[中道左派]]・[[リベラル]]寄りとされ、読者の多くは[[労働党 (イギリス)|労働党]]か[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]の支持者である。伝統的に労働党を支持しているが、[[2010年イギリス総選挙|2010年の総選挙]]では自由民主党を支持。


紙媒体の発行部数は約14万部(2018年現在)<ref>https://www.abc.org.uk/product/2451</ref>、紙媒体と電子版と合わせた定期購読者の数は50万人以上である<ref>https://www.theguardian.com/gnm-press-office/2017/oct/26/guardian-reaches-milestone-of-500000-regular-paying-supporters</ref>。
紙媒体の発行部数は約14万部(2018年現在)<ref>https://www.abc.org.uk/product/2451</ref>、紙媒体と電子版と合わせた定期購読者の数は50万人以上である<ref>https://www.theguardian.com/gnm-press-office/2017/oct/26/guardian-reaches-milestone-of-500000-regular-paying-supporters</ref>。
46行目: 46行目:
『マンチェスター・ガーディアン』は[[1821年]][[5月5日]]、{{仮リンク|ジョン・エドワード・テイラー|en|John Edward Taylor}}らによって[[非国教徒 (イギリス)|非国教会]]系の新聞として[[マンチェスター]]で創刊された。テイラーらは「[[ピータールーの虐殺]]」事件を目撃しており、事件後に『マンチェスター・オブザーヴァー』紙が警察によって閉鎖されたことをきっかけとして、この新聞を立ち上げた。
『マンチェスター・ガーディアン』は[[1821年]][[5月5日]]、{{仮リンク|ジョン・エドワード・テイラー|en|John Edward Taylor}}らによって[[非国教徒 (イギリス)|非国教会]]系の新聞として[[マンチェスター]]で創刊された。テイラーらは「[[ピータールーの虐殺]]」事件を目撃しており、事件後に『マンチェスター・オブザーヴァー』紙が警察によって閉鎖されたことをきっかけとして、この新聞を立ち上げた。


[[1855年]]に日刊に移行し、[[1872年]]から[[1927年]]まで57年間にわたり編集長を務めたチャールズ・プレスウィッチ・スコット(Charles Prestwich Scott、[[1846年]] - [[1932年]])の手で有力紙に成長した。スコットは[[1907年]]に社を創業家から買いとり社主を兼務した。スコット没後の[[1936年]]、息子のジョン・スコットが設立したスコット・トラスト社(現:スコット・トラスト有限会社)に新聞社の所有権を移し法人化した。
[[1855年]]に日刊に移行し、[[1872年]]から[[1927年]]まで57年間にわたり編集長を務めたチャールズ・プレスウィッチ・スコット(Charles Prestwich Scott、[[1846年]] - [[1932年]])の手で有力紙に成長した。スコットは[[1907年]]に社を創業家から買いとり社主を兼務した。スコット没後の[[1936年]]、息子のジョン・スコットが設立したスコット・トラスト社(現:スコット・トラスト有限会社)に新聞社の所有権を移し法人化した。


伝統的に[[自由党 (イギリス)|自由党]](今の[[自由民主党 (イギリス)|イギリス自由民主党]])と友好関係にあり、[[スペイン内戦]]時の論調が国際的評価を集め、左派・リベラル勢力からの信頼を得た。
伝統的に[[自由党 (イギリス)|自由党]](今の[[自由民主党 (イギリス)|イギリス自由民主党]])と友好関係にあり、[[スペイン内戦]]時の論調が国際的評価を集め、左派・リベラル勢力からの信頼を得た。
54行目: 54行目:
[[1986年]]には同じリベラル系の一般紙『[[インデペンデント]]』が創刊され、新聞各紙間の部数競争が激化する中、[[1988年]]に紙面のデザインを変更した。[[1993年]]に『タイムズ』が皮切りとなった価格競争には加わらず、[[アメリカのアフガニスタン侵攻]]や[[イラク戦争]]時には反戦の立場を取る市民から支持されたほか、[[アメリカ合衆国]]でも読者を増やした。
[[1986年]]には同じリベラル系の一般紙『[[インデペンデント]]』が創刊され、新聞各紙間の部数競争が激化する中、[[1988年]]に紙面のデザインを変更した。[[1993年]]に『タイムズ』が皮切りとなった価格競争には加わらず、[[アメリカのアフガニスタン侵攻]]や[[イラク戦争]]時には反戦の立場を取る市民から支持されたほか、[[アメリカ合衆国]]でも読者を増やした。


判型は長年にわたりブロードシート判であったが、[[2000年代]]に進んだ一般紙の小型化においては[[ベルリナー判]](470×315 mm)を採用し、[[2005年]][[9月12日]]に移行した。また[[タブロイド判]]であった『ガーディアン・ウィークリー』も[[2007年]]に本紙の半裁にあたる[[ベルリナー判#ハーフ・ベルリナー判|ハーフ・ベルリナー判]]に移行した。[[2013年]]6月から、元[[CIA]]職員の[[エドワード・スノーデン]]から託された[[アメリカ国家安全保障局|NSA]]の機密資料に基づき多数の記事を掲載している。[[2014年]][[4月14日]]、ガーディアンのアメリカ合衆国ウェブ部門は、NSAの極秘情報収集活動「[[PRISM (監視プログラム)|PRISM]]」の[[調査報道]]が評価され、[[ピューリッツァー賞]]の公益部門金賞を受賞した<ref>{{Cite news |title= NSA報道のGuardianとWashington Postにピューリッツァー賞|date= 2014-04-15
[[判型#新聞|判型]]は長年にわたりブロードシート判(375×600 mm)であったが、[[2000年代]]に進んだ一般紙の小型化においては[[ベルリナー判]](470×315 mm)を採用し、[[2005年]][[9月12日]]に移行した。また[[タブロイド判]]であった『ガーディアン・ウィークリー』も[[2007年]]に本紙の半裁にあたる[[ベルリナー判#ハーフ・ベルリナー判|ハーフ・ベルリナー判]]に移行した。[[2013年]]6月から、元[[CIA]]職員の[[エドワード・スノーデン]]から託された[[アメリカ国家安全保障局|NSA]]の機密資料に基づき多数の記事を掲載している。[[2014年]][[4月14日]]、ガーディアンのアメリカ合衆国ウェブ部門は、NSAの極秘情報収集活動「[[PRISM (監視プログラム)|PRISM]]」の[[調査報道]]が評価され、[[ピューリッツァー賞]]の公益部門金賞を受賞した<ref>{{Cite news |title= NSA報道のGuardianとWashington Postにピューリッツァー賞|date= 2014-04-15
|author= 佐藤由紀子|url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1404/15/news064.html|accessdate=2014-04-16|publisher= [[ITmedia]]}}</ref>。
|author= 佐藤由紀子|url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1404/15/news064.html|accessdate=2014-04-16|publisher= [[ITmedia]]}}</ref>。


[[2018年]]1月より、経費削減のため判型を[[タブロイド]]に変更した。
[[2018年]]1月より、経費削減のため判型を[[タブロイド]]に変更した。


==注釈==
== 注釈 ==
<references/>
<references/>



2019年10月11日 (金) 02:20時点における版

The Guardian
種別日刊紙
判型タブロイド判
所有者ガーディアン・メディア・グループ
編集長キャサリン・ヴァイナー(2015年より)
設立1821年
政治的傾向中道左派[1]
言語英語
本社所在地キングプレイス英語版
姉妹紙オブザーヴァー
The Guardian Weekly英語版
ISSN0261-3077
OCLC60623878
ウェブサイトtheguardian.com

ガーディアンThe Guardian)は、イギリスの大手一般新聞である。旧題号は『マンチェスター・ガーディアン』(The Manchester Guardian ; 1821年1959年[2])。

概要

編集方針は中道左派リベラル寄りとされ、読者の多くは労働党自由民主党の支持者である。伝統的に労働党を支持しているが、2010年の総選挙では自由民主党を支持。

紙媒体の発行部数は約14万部(2018年現在)[3]、紙媒体と電子版と合わせた定期購読者の数は50万人以上である[4]

日曜日は休刊日だが、日曜版の『オブザーヴァー』(The Observer)を発行している。また、国際版雑誌の『ガーディアン・ウィークリー』(en:The Guardian Weekly)も発行している。

歴史

『マンチェスター・ガーディアン』は1821年5月5日ジョン・エドワード・テイラー英語版らによって非国教会系の新聞としてマンチェスターで創刊された。テイラーらは「ピータールーの虐殺」事件を目撃しており、事件後に『マンチェスター・オブザーヴァー』紙が警察によって閉鎖されたことをきっかけとして、この新聞を立ち上げた。

1855年に日刊に移行し、1872年から1927年まで57年間にわたり編集長を務めたチャールズ・プレスウィッチ・スコット(Charles Prestwich Scott、1846年 - 1932年)の手で有力紙に成長した。スコットは1907年に社を創業家から買いとり社主を兼務した。スコット没後の1936年、息子のジョン・スコットが設立したスコット・トラスト社(現:スコット・トラスト有限会社)に新聞社の所有権を移し、法人化した。

伝統的に自由党(今のイギリス自由民主党)と友好関係にあり、スペイン内戦時の論調が国際的評価を集め、左派・リベラル勢力からの信頼を得た。

1959年、題号を現在の『ガーディアン』に変更し、1964年に本社をマンチェスターからロンドンに移転したが、1970年代に経営不振に陥り、一時、『タイムズ』との合併交渉も行われた。

1986年には同じリベラル系の一般紙『インデペンデント』が創刊され、新聞各紙間の部数競争が激化する中、1988年に紙面のデザインを変更した。1993年に『タイムズ』が皮切りとなった価格競争には加わらず、アメリカのアフガニスタン侵攻イラク戦争時には反戦の立場を取る市民から支持されたほか、アメリカ合衆国でも読者を増やした。

判型は長年にわたりブロードシート判(375×600 mm)であったが、2000年代に進んだ一般紙の小型化においてはベルリナー判(470×315 mm)を採用し、2005年9月12日に移行した。またタブロイド判であった『ガーディアン・ウィークリー』も2007年に本紙の半裁にあたるハーフ・ベルリナー判に移行した。2013年6月から、元CIA職員のエドワード・スノーデンから託されたNSAの機密資料に基づき多数の記事を掲載している。2014年4月14日、ガーディアンのアメリカ合衆国ウェブ部門は、NSAの極秘情報収集活動「PRISM」の調査報道が評価され、ピューリッツァー賞の公益部門金賞を受賞した[5]

2018年1月より、経費削減のため判型をタブロイドに変更した。

注釈

  1. ^ Wells, Matt (16 October 2004). "World writes to undecided voters". The Guardian (London). Retrieved 13 July 2008.
  2. ^ ガーディアンとはコトバンク
  3. ^ https://www.abc.org.uk/product/2451
  4. ^ https://www.theguardian.com/gnm-press-office/2017/oct/26/guardian-reaches-milestone-of-500000-regular-paying-supporters
  5. ^ 佐藤由紀子 (2014年4月15日). “NSA報道のGuardianとWashington Postにピューリッツァー賞”. ITmedia. http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1404/15/news064.html 2014年4月16日閲覧。 

関連項目

外部リンク