コンテンツにスキップ

「前田蓮山」の版間の差分

→‎青年期: リンク
m (床次竹次郎→床次竹二郎)
(→‎青年期: リンク)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
=== 青年期 ===
明治23年(1890年)16歳で、佐賀に出て初めて英語を学んだ。次に長崎に出て、柴田英語学舎学校(創立者は[[柴田昌吉]])に入った。モットというアメリカ人の宣教師から英語を習った。英語や普通学を学び準教員免許状を取り、明治26年(1893年)、[[長崎県尋常師範学校]]に合格した。明治30年(1897年)卒業後すぐ[[東京高等師範学校]]へと進んだ。しかし在学中に盲腸炎になり、学業を続けることが困難な状況になったために帰郷。明治32年(1899年)再び上京し[[東京専門学校]](早稲田)の哲学科に入り、更に英語政治科に移った。この時は外交官になろうかと思った。一挙に[[官試|高文試験]]を受けようと決心、図書館通いをはじめたが、長続きせず、[[高等文官試験|外交官試験]]を断念。[[明治大学]]に編入したがこれも続かず挫折、ブラプラしているうちに早くも明治34年(1901年)27歳になっていた。郷里の隣町の小野出身で[[野口弥三]]という[[第一銀行]]の重役(副支配人)の世話で、[[辻新次]](元[[文部省|文部]][[次官]]、[[男爵]]となる)の書生をしてなんとか食いつないで過ごす。辻の援助のおかげで、「英*漢夜学塾」を設け、又一方、文学社という出版会社の原稿など書いて、独立生活ができるようになった<ref name="50nin"/>。
 
=== 新聞界に入る ===
匿名利用者