小杉天外

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小杉 天外
(こすぎ てんがい)
Kosugi Tengai.jpg
1948年
誕生 1865年11月7日
出羽国仙北郡六郷村
(現・秋田県仙北郡美郷町
死没 (1952-09-01) 1952年9月1日(86歳没)
神奈川県鎌倉市
墓地 善証寺(秋田県美郷町)
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1893年 - 1952年
ジャンル 小説
文学活動 ゾライズム青春小説
代表作 『はつ姿』(1900年)
『はやり唄』(1902年)
魔風恋風』(1904年)
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小杉 天外(こすぎ てんがい、1865年11月7日慶応元年9月19日) - 1952年昭和27年)9月1日)は、日本小説家出羽国仙北郡六郷村(現・秋田県仙北郡美郷町)生まれ。本名・為蔵。

生涯と作品[編集]

父小杉豊治は、羽後国六郷で油絞り、醤油醸造、呉服、古着の店を経営していたが、戊辰戦争では有志隊を組織し勤王軍を支援した。天外はその長男として生まれ、少年時代は漢学者岩谷順太郎に学び、大曲の岡田好成の塾で英語などを学んだ。1886年明治19年)に東京に出て、英吉利法律学校国民英学会に通う。こののちいったん帰郷して政治結社鳥峯倶楽部にかかわった[1]

はじめ政治家を志したが文学に転向し、斎藤緑雨に師事した。『當世志士伝』(1892年)などの政治小説を書き、1895年(明治28年)から「奇病」「改良若殿」「卒都婆記」で諷刺作家として高い評価を得た。1897年(明治30年)には後藤宙外とともに丁酉文社を組織し『新著月刊』発行に参加、小説執筆の他、川柳欄の選者を務めたが、この欄への尾崎紅葉の投稿が原因で紅葉と疎遠になった。1900年(明治33年)に発表した『はつ姿』はエミール・ゾラの影響を受けたことで注目され、1902年(明治35年)の『はやり唄』は、人妻の姦通などを描いて初期ゾライズム自然主義のさきがけとされた[1]

尾崎紅葉亡きあとの1903年(明治36年)、読売新聞に連載した青春小説『魔風恋風』が連載190回の人気となって、このために新聞の再版を出すといった椿事さえ起こっている[注釈 1]。一方では激しい非難もあり「淫蕩文学」という言葉も造られるほどであった。これにより流行作家となり、『コブシ』『長者星』などを書くが、1907年(明治40年)以降、大衆作家としての天外は文壇の中心から遠ざかった。しかし、1948年昭和23年)日本芸術院会員となって長命を保ち、1952年(昭和27年)9月1日、老衰による萎縮腎のため神奈川県鎌倉市の自宅にて死去した[2]

「芸術の美の人を感じせしむるや、よろしく自然の現象の人の官能に触るるが如くなるべし」(「はつ姿」序)、「自然は自然である。善でも無い、悪でも無い、美でも無い、醜でも無い、たゞ或時代の、或国の、或人が自然の一角を捉へて、勝手に善悪美醜の名を付けるのだ。小説または想界の自然である。善悪美醜の孰(いずれ)に対しても、叙す可し、或は叙す可からずと羈絆(きはん)せらるゝ理窟はない。」(「はやり唄」序)という語は、フランス自然主義思想の日本の作家への影響の最初の表現として知られるが、エミール・ゾラの医学的見地に基づく小説の構成といった方法には到達しえなかったとも評される[3]

『魔風恋風』は戦後岩波文庫に入り、いったん絶版となったが、本田和子が『女学生の系譜』(1993年)で論じてより、明治の女学生を論じる際の定番テクストとなった。

著書[編集]

  • 『議員の黒白』天外山人 中村鍾美堂 1893
  • 『蛇いちご』春陽堂 1899
  • 『女夫星』春陽堂 1900
  • 『初すがた』春陽堂 1900 のち岩波文庫 - 清元の小しゅん本名お俊は、画家桐沢素雲に養われたが、実親はとある海軍将官で、その前妻との間の子であるという出生の秘密を彼女自身は知らない。19歳のとき、桐沢家の生活を助けるために、おぼえた清元の芸人となって、初めて春木座の慈善演芸会に出て、人気の中心になる。ひいきの客に、高利貸の老人斧岡と、青年紳士の滝山がいて、斧岡はとりわけうちこんでいる。お俊には1歳年下の美少年竜太郎という恋人がいて、固く操を守っている。竜太郎の養母で叔母のお鶴の主人筋にあたる真宮家に、総領娘玉枝がいる。夫と別れてから贅沢な暮らしをしていたが、二十七八という年増で、多情な彼女が竜太郎を誘惑し、お俊はこころをいためる。ある日、滝山がお俊をわがものにしようとし、料亭「しほばら」に呼び出す。お俊はそこでぐうぜん、玉枝に連れられて来た竜太郎に会い、2人で知人お直のもとへ逃げ、夜が更けたので泊めてもらう。それを知った滝山の知人で新聞記者の笠田が、あくどいやりかたでお俊を脅し、一夜、お俊の純潔を汚す。お俊は悔いるが、芸人のかなしさ、どうすることもできず、そのうえお俊が反対するのに、竜太郎が出家しようとするのを聞き、悲しんでいるところへ、お直から自身の出生の秘密を明かされ、養父母の多年の恩を思って、斧岡老人の妻になる決意をする。その嫁入りの日、竜太郎は大泉寺で得度式をあげる。
  • 『恋と恋』春陽堂 1901
  • 『はやり唄』春陽堂 1902
  • 『肱まくら』春陽堂 1902
  • 『二人孤児』金港堂 1903
  • 『新学士』春陽堂 1904
  • 『新夫人』春陽堂 1904
  • 『魔風恋風』春陽堂 1903-1904 のち岩波文庫 - 萩原初野は、帝国女子学園の模範生とも言われるが、自転車から落ちて片腕を痛め、大学医院へはいる。夏本子爵の娘芳江は絶えず見舞いに来る。初野は、異母兄が初野の東京遊学に反対していたから、学資も不足がち、治療費にも困るが、芳江は心配してくれる。費用の都合で早く退院するが、初野に恋している青年美術家殿井恭一は援助をしようといいだす。初野がききいれないから、初野の下宿先の女主人を説き、彼女から殿井のかねを借りさせる。初野は同情に感謝し、しかしそのにやけた様子には好感をかんじない。初野の心は芳江の夫となるべき夏本東吾の男らしさにひかれていた。東吾は帝大法科学生で、許婚の芳江を好ましく思いながら、初野の美貌に心引かれ、ふたりは人知れず夢に酔っている。芳江は初野を信じ切っているが、2人の関係を知っている夏本子爵夫妻だけは芳江を初野からはなそうとし、芳江はきかない。初野の妹お浪が故郷から、やはり義兄と合わずに、初野のもとに逃げてきて、初野の生活はますます苦しくなる。資産家の息子殿井なら快くかねを貸してくれるだろうが、その心を知った初野は借りようとしない。夏本子爵夫妻とはきまずいし、芳江にも頼めない。とある植木屋の離座敷を借りて妹とつましく自炊生活をする。東吾は、殿井の味方の下宿屋の女主人にじゃまされて初野から遠ざかる時期もあったが、初野の気持ちを知って同情をふかめ、すくなからざるかねを初野にあたえる。それがきっかけで初野と東吾は将来を誓い合う仲になる。それが夏本子爵夫妻にわかり、養子の東吾は離縁されかけ、芳江はくるしみ家出しようとする。間に挟まれた初野は悩んだあげく、房州に出かけようとする芳江に追いついた瞬間、心臓麻痺で死亡する、駆けつけた東吾と芳江の手を握りながら。
  • 『霜夜』春陽堂 1905
  • 『にせ紫』春陽堂 1905
  • 『コブシ』章光閣 1906-1907
  • 『回想記』読売新聞社 1908
  • 『草笛』章光閣 1909
  • 『長者星』春陽堂 1909-1910
  • 『闇を行く人』春陽堂 1911
  • 『伊豆乃頼朝』東亜堂 1912
  • 『落花帖』春陽堂 1913-1914
  • 『銀笛』実業之日本社 1915-1916
  • 『二人傘』南北社出版部 1918
  • 『七色珊瑚』南北社出版部 1917-1918
  • 『霊鐘』実業之日本社 1920
  • 『雛暦』民友社 1920
  • 『三代地獄』玄文社 1921-1922
  • 『二つの太陽』玄文社出版部 1923
  • 『藤娘』大日本雄弁会 1927
  • 『真空鈴』大日本雄弁会講談社 1927-1928
  • 『くだん草紙』海口書店 1948
  • 『初すがた』岩波文庫、1955 

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『魔風恋風』のヒロイン荻野初野に思いを寄せる青年美術家のモデルは天外と同郷の画家小西正太郎だといわれている『秋田の先覚』(1969)

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 「小西正太郎」『秋田の先覚 2』 秋田県総務部秘書広報課(編)、秋田県広報協会、1969年4月。
  • 千葉三郎 「小杉天外」『秋田大百科事典』 秋田魁新報社、1981年9月。ISBN 4-87020-007-4
  • 中村光夫 『日本の近代小説』 岩波書店、1954年。
  • 『現代日本文學全集 第53篇 小杉天外集・山田美妙集』改造社 1929年(年譜)