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2024年4月5日 (金) 01:28時点における版
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足守地域 あしもりちいき | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
自治体 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
旧自治体 | 吉備郡足守町 |
面積 |
69.46km² |
世帯数 |
2,821世帯 |
総人口 |
5,983人 (登録人口、2022年6月14日現在) |
人口密度 |
86.14人/km² |
隣接地区 |
市内: 北区高松地域・一宮地域・津高地域・御津地域 市外: 吉備中央町、総社市 |
岡山市北区役所足守地域センター | |
北緯34度43分46.1秒 東経133度48分3.3秒 / 北緯34.729472度 東経133.800917度座標: 北緯34度43分46.1秒 東経133度48分3.3秒 / 北緯34.729472度 東経133.800917度 | |
所在地 |
〒701-1463 岡山県岡山市北区足守718 |
足守地域(あしもりちいき)は岡山県岡山市北区西部に位置する広域地区である。かつての吉備郡足守町(あしもりちょう)に相当し、現在の岡山市北区役所足守地域センターが管轄[1]する地域。本項では賀陽郡・吉備郡足守町、同町の町制前の名称である賀陽郡足守村(あしもりそん)についても述べる。
概要
岡山市中心部から北西に約10km、笹ヶ瀬川支流の足守川沿いに開けた山あいの町である。江戸時代は木下氏足守藩の陣屋町、蘭学者緒方洪庵の出身地で、中心部一帯は足守町並み保存地区に指定されており現在も当時の町並みが残っている。
足守は吉備史跡県立自然公園の一部に属し、文化財や観光資源が点在している。また夏にはホタルが飛び交うことで有名である。
産業として農業があり、米やシイタケ・ゴボウの他、果物の生産が盛んで、岡山県の名産である白桃やマスカット・ピオーネの他にアールスメロンが有名である。特にアールスメロンは、「足守メロン」の名称でブランド化されている。また北部では山野を切り開いて乳牛を中心とした酪農が行われている。
地域
足守地域は岡山市北区役所足守地域センター管内の以下の大字が該当する。
- 足守 下足守 上土田 粟井 大井 上高田 下高田 杉谷 日近 吉 石妻 山上 掛畑 河原 苔山 庄田 西山内 東山内 間倉 真星
歴史
あしもりちょう 足守町 | |
---|---|
旧・足守町役場の門柱 | |
廃止日 | 1971年5月1日 |
廃止理由 |
編入合併 足守町、興除村、上道町 → 岡山市 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 吉備郡 |
市町村コード | 33502-9 |
面積 | 69.34 km2. |
総人口 |
8,941人 (国勢調査、1970年) |
隣接自治体 | 岡山市、総社市、上房郡賀陽町、御津郡加茂川町、御津町 |
足守町役場 | |
所在地 | 岡山県吉備郡足守町上足守 |
座標 | 北緯34度43分45.9秒 東経133度48分3.5秒 / 北緯34.729417度 東経133.800972度 |
特記事項 | 町役場は現在の観光駐車場付近に所在[2]。当時の門柱が保存されている。 |
ウィキプロジェクト |
足守地域は、古くは備中国賀陽郡葦森郷と大井郷に属し、1601年(慶長6年)に木下氏の所領となった。その後浅野氏を経て、再び木下氏の所領となり明治維新に至った。
1871年(明治4年)7月14日、廃藩置県の布告により足守藩の藩域をもって足守県が成立され、賀陽郡足守村の陣屋町に県庁が置かれたが、同年11月に統合されて深津県となった。
1889年(明治22年)6月1日の町村制施行により、足守村(後に町制施行)・大井村・日近村・岩田村・福谷村が発足した。戦後、1954年(昭和29年)10月にこれら5町村の合併問題が検討されたが実現には至らず、1956年(昭和31年)2月に再度合併協議が行われた結果、同年3月31日に合併して新・足守町が発足した。
1971年5月1日、足守町は岡山市に編入合併され、元の20大字はそのまま町名に継承された(後に岡山市上足守は岡山市足守に改称)。
沿革
- 1601年(慶長6年) 木下家定が播磨国姫路藩より転封し石高2万5千石で足守藩を立藩。
- 1810年(文化7年) 緒方洪庵誕生。
- 1871年(明治4年)7月14日 廃藩置県により、足守藩が足守県となる。
- 1871年(明治4年)11月15日 足守県他11県が合併し、深津県(後の小田県)を新設。
- 1875年(明治8年)12月10日 小田県が岡山県に編入合併したため、岡山県の管轄下となる。
- 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行により賀陽郡上足守村・下足守村・上土田村の地域をもって同郡足守村を新設。
- 1896年(明治29年)2月26日 町制施行により足守町(旧)となる。
- 1900年(明治33年)4月1日 賀陽郡と下道郡が合併して吉備郡を新設したため、吉備郡足守町となる。
- 1904年(明治37年)11月15日 吉備郡生石村に足守駅が開業。(吉備郡生石村は1955年1月1日に高松町(旧)、都窪郡加茂村と合併して高松町(新)となる)
- 1956年(昭和31年)3月31日 足守町・福谷村・大井村・日近村・岩田村が合併して足守町(新)を新設。
- 1971年(昭和46年)5月1日 足守町が岡山市に編入される。
- 1990年(平成2年) 岡山県が足守町並み保存地区に指定する。
- 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行した事に伴い、北区の管轄下となる。
人口
足守町(に該当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 / 国勢調査 |
1956年3月31日合併以前の旧足守町の人口の推移
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総務省統計局 / 国勢調査 |
教育
交通
鉄道路線
道路
- 一般国道
バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 足守中心部
- その他
特産品・名物
出身有名人
関連項目
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典
- 岡山市と周辺市町村合併の記録(1971年)