一宮地域

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一宮地域
いちのみや
日章旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
自治体 岡山市
行政区 北区
旧自治体 御津郡一宮町
面積
28.50km²
世帯数
8,300世帯
総人口
21,787
登録人口、2010年9月30日現在)
人口密度
764.46人/km²
隣接地区 市内:北区本庁管内(大野・津島)・高松地域吉備地域津高地域
岡山市北区役所一宮地域センター
岡山市北区役所一宮地域センター
北緯34度40分43.89秒 東経133度51分52.45秒 / 北緯34.6788583度 東経133.8645694度 / 34.6788583; 133.8645694座標: 北緯34度40分43.89秒 東経133度51分52.45秒 / 北緯34.6788583度 東経133.8645694度 / 34.6788583; 133.8645694
所在地 〒701-1211
岡山県岡山市北区一宮553-1
リンク 一宮地域センター公式ページ
一宮地域の位置(岡山県内)
一宮地域
一宮地域
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一宮(いちのみや)は、岡山県岡山市北区にある広域地区である。一宮地域センター(旧 一宮支所)の管轄する地域。かつての御津郡一宮町(いちのみやちょう)に相当する。1971年1月8日に岡山市に編入された。

本項では御津郡一宮町についても述べる。

概要[編集]

当エリアは、岡山市北区役所一宮地域センターが管轄し、中山中学校の学区とほぼ同じである。吉備高原に至る丘陵部中腹から、平野部に至る部分を範囲とし、南西部に吉備中山の東麓部を有する。

地域名は同地域内の大字一宮に由来し、同地はかつて備前国一宮である吉備津彦神社の門前町であったことが、その地名の起源である。

主にこの地域は隣接する津高地域地域とともに市域でも有名な白桃マスカット・オブ・アレキサンドリアの産地として知られており、街道沿いにはこれら作物を生産する農家の直売所が点在している。特に白桃に関し芳賀清水域で採れるものにおいては清水白桃(しみずはくとう)の名で知られており、これは全国的にも高いブランド力を有している。

南部の吉備中山周辺部である一宮地区は、吉備路の一部で西端部に当たる。

地域南部では大型団地の造成や国道180号線周辺を中心に市街化・宅地化が進み、ベッドタウンとして人口が増加した。一方で農家が多いことや山間部交通の不便さにより、旧岡山市域(平成の大合併以前における岡山市域。灘崎・御津・建部・瀬戸等を含まない地域)においては最も高齢化率の高い地域と言われている。

地域[編集]

現行の行政地名において、一宮、一宮山崎を除き、旧町村名は大字としては残されていない。中学校は下記の一宮全体を学区とする中山(ちゅうざん)中学校一校が存在している。

中山(ちゅうざん)

旧・一宮村に相当する。

  • 一宮(いちのみや)
  • 尾上(おのうえ)
  • 西辛川(にしからかわ)
  • 辛川市場(からかわいちば)
馬屋下(まやしも)

おおむね旧・馬屋下村に相当(一部は現在桃丘)する。

  • 大窪(おおくぼ)
  • 長野(ながの)
  • 芳賀(はが) - 一部を除く
  • 福谷(ふくたに)
  • 松尾(まつお)
  • 横尾(よこお)
平津 (ひらつ)

おおむね旧・平津村に相当(一部は現在桃丘)する。

  • 一宮山崎(いちのみや やまさき)
  • 今岡(いまおか)
  • 首部(こうべ)
  • 楢津(ならづ)
桃丘(ももがおか)

人口増にともない、上記平津・馬屋下の一部を割いてできた桃丘小学校区に相当する。

  • 芳賀佐山団地
  • 芳賀の一部(上芳賀地区) - 馬屋下より割譲
  • 佐山 - 平津より割譲

歴史[編集]

いちのみやちょう
一宮町
廃止日 1971年1月8日
廃止理由 編入合併
一宮町津高町高松町 → 岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
中国・四国地方
都道府県 岡山県
御津郡
団体コード 33302-6
面積 28.51km2
総人口 11,620
(昭和45年国勢調査、1970年
隣接自治体 岡山市
御津郡津高町
吉備郡高松町、足守町
都窪郡吉備町
一宮町役場
所在地 岡山県御津郡一宮町一宮
座標 北緯34度40分43.9秒
東経133度51分52.5秒
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一宮地域は、かつて備前国津高郡馬屋郷に属した。馬屋とは古代山陽道の津高駅がこの地[1]に置かれ、その駅家(まや)に起因するものとされる。

江戸時代に備前藩の所領となると、池田氏によって馬市が開かれた。その盛んな様子から現在も「市場」の地名が残っている。

1889年の町村制施行により、一宮村・馬屋下村・平津村が発足した。1954年4月にこれら3村で合併気運が高まり、翌1955年に合併して一宮町が発足した。

1971年1月8日、一宮町は岡山市に編入合併され、町制時の15大字のうち山崎は一宮を冠称した上で他の14大字とともに同市の大字に継承された。

沿革[編集]

  • 1889年明治22年)6月1日 町村制施行。
    • 一宮村・尾上村・西辛川村・辛川市場が合併して津高郡一宮村が発足。
    • 大窪村・福谷村・長野村・横尾村・芳賀村・松尾村が合併して津高郡馬屋下村が発足。
    • 首部村・楢津村・山崎村・今岡村・佐山村が合併して津高郡平津村が発足。
  • 1900年(明治33年)4月1日 津高郡と御野郡が合併して御津郡となる。
  • 1904年(明治37年)11月15日 中国鉄道吉備線が開業。一ノ宮駅(現・備前一宮駅)が設置される。
  • 1955年昭和30年)1月1日 御津郡一宮村・馬屋下村・平津村が合併して一宮町が発足。各村は地区(小学区)となる。
  • 1971年(昭和46年)1月8日 一宮町が岡山市に編入される。
  • 1990年平成2年)4月1日 芳賀佐山団地を中心として上芳賀地区および佐山地区が馬屋下・平津の両地区より割譲され新小学区となる桃丘地区(小学区)が発足する。
  • 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行し、一宮地区の行政区は北区となる。

人口[編集]

1950年 8,737人
1955年 8,887人
1960年 8,629人
1965年 8,904人
1970年 11,620人
総務省統計局 / 国勢調査1970年

教育[編集]

交通[編集]

鉄道
バス路線
  • 芳賀佐山団地行き(大窪経由、平津経由の2系統)
  • 吉備津神社行き
  • 高松最上稲荷行き
  • 足守方面行き
  • かつては「大窪経由最上稲荷行き」が存在したが、現在は撤退している。
道路

経済・産業[編集]

事業所等[編集]

県内でも大手に位置するきびだんご製造メーカー。きびだんごを田楽状に加工した「きび田楽」で有名。辛川市場に事務所を、大窪に製造工場を持つ。

商店[編集]

小売店
  • イオンタウン一宮(楢津地域)
コンビニエンスストア
  • 辛川市場店(辛川市場)
  • 辛川西店(一宮境目地域)
  • 平津店(平津地域)
  • 一宮店(西辛川地域)
  • かつては一宮高校前に「一宮高校前店」が存在したが撤退している。
飲食店
  • 吉備SA上り線フードコート内(今岡)
  • 一宮店(楢津)
  • かつては西辛川[2]にフランチャイズの店舗が存在した。
  • かもがた亭 一宮店(一宮)
  • 岡山プラザホテル 吉備SA上り線フードコート・レストラン (今岡)
  • 岡山ルートサービス 吉備SA下り線フードコート・レストラン (今岡)

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

名所[編集]

祭事・催事[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 現在の辛川市場と推定されるが富原遺跡がある北区富原の説もありはっきりと特定されていない
  2. ^ 現在のセブン-イレブン一宮店付近
  3. ^ 一般的には「ディエゴ喜斎」とされているが、本地域では「ヤコボ喜斎」とも称される。また「喜左衛門」とする資料もあるが、墓碑に刻まれている名は「喜佐衛門」である。1958年、市川数太によって建立された参墓。北緯34度42分33.2秒 東経133度52分1.8秒 / 北緯34.709222度 東経133.867167度 / 34.709222; 133.867167の位置。