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===朝鮮戦争===
===朝鮮戦争===
続く数ヶ月間、タコマは[[国際連合]]の海上封鎖および護衛部隊である第95任務部隊に所属して活動した。1951年1月30日に上陸作戦に先立ってKansongで陽動のための砲撃を行う。その日の午後には同じく[[高城郡 (江原道)|高城郡]]に対して攻撃を行った。タコマは2月1日に[[釜山広域市|釜山]]に寄港し、その2日後佐世保に向かった。2月5日までにタコマは、2日ずつの砲撃命令のため[[江陵市|江陵]]の東部海岸に戻った。7日と8日には[[襄陽郡]]に対して、9日と10日にはHwangpoに対して砲撃を行った。Hwangpoへの砲撃後はChikute島を偵察する。タコマは2月13日に佐世保へ戻り19日まで留まった後、[[北朝鮮]]の元山湾に向かった。2月22日に[[元山市|元山]]に到着し、続く4日間は上陸作戦に参加、24日にはSin Doに対して韓国海兵隊の110名が上陸に成功した。翌日タコマは元山を離れ佐世保に向かう。佐世保には2月27日到着し3月10日まで停泊、その後横須賀に向かい、4月23日まで信頼性試験が行われた。
続く数ヶ月間、タコマは[[国際連合]]の海上封鎖および護衛部隊である第95任務部隊に所属して活動した。1951年1月30日に上陸作戦に先立ってKansongで陽動のための砲撃を行う。その日の午後には同じく[[高城郡 (江原道 1919年)|高城郡]]に対して攻撃を行った。タコマは2月1日に[[釜山広域市|釜山]]に寄港し、その2日後佐世保に向かった。2月5日までにタコマは、2日ずつの砲撃命令のため[[江陵市|江陵]]の東部海岸に戻った。7日と8日には[[襄陽郡]]に対して、9日と10日にはHwangpoに対して砲撃を行った。Hwangpoへの砲撃後はChikute島を偵察する。タコマは2月13日に佐世保へ戻り19日まで留まった後、[[北朝鮮]]の元山湾に向かった。2月22日に[[元山市|元山]]に到着し、続く4日間は上陸作戦に参加、24日にはSin Doに対して韓国海兵隊の110名が上陸に成功した。翌日タコマは元山を離れ佐世保に向かう。佐世保には2月27日到着し3月10日まで停泊、その後横須賀に向かい、4月23日まで信頼性試験が行われた。





2023年9月24日 (日) 03:02時点における版

艦歴
発注
起工 1943年3月10日
進水 1943年7月7日
就役 1943年11月6日
1949年12月1日
退役 1945年8月16日
1973年2月28日
その後 韓国海軍に貸与
返還後博物艦船として公開
除籍 1973年4月2日
性能諸元
排水量 1,264トン
全長 303 ft 11 in (92.6 m)
全幅 37 ft 6 in (11.4 m)
吃水 13 ft 8 in (4.1 m)
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット (37 km/h)
航続距離
乗員 190名
兵装 3インチ50口径対空砲3門
40mm機関砲 4門
20mm機関砲 9門
ヘッジホッグ 1基
対潜爆雷投射機(Y砲)8基
爆雷投下軌条 2条

タコマ (USS Tacoma, PF-3) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はワシントン州タコマに因む。その名を持つ艦としては3隻目。

艦歴

タコマは海事委任契約(船体番号1421)の下1943年3月10日にカリフォルニア州リッチモンドカイザー・カーゴ社で PG-111 (砲艦)として起工する。1943年4月15日に PF-3 (哨戒フリゲート)へ艦種変更され、1943年5月5日にタコマと命名された。1943年7月7日にA・R・バーガーセン夫人によって進水し、1943年11月6日に艦長エイドリアン・F・ヴェルナー沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

12月にカリフォルニア沖で整調訓練を完了すると、タコマは1944年1月に訓練艦としての任務に就く。6月27日までフリゲートに乗艦予定の水兵を訓練し、海上公試の完了後、アラスカ州海域への移動を命じられた。しかしながら公試は不調に終わり、機関室の火災のためアラスカへの移動は10月まで行われなかった。10月21日にコディアックに到着し、続く4ヶ月間をアラスカ州沿岸およびアリューシャン列島の島々の間で対潜哨戒、補給船の護衛などに費やし、アッツ島エイダックダッチハーバーなどを訪問した。

ソ連海軍で

1945年2月23日、タコマはダッチハーバーを出港して南に向かい、ソ連海軍に引き渡す準備のため最初にサンフランシスコで、続いてブレマートンでの広範囲オーバーホールが行われた。7月10日、タコマはアラスカ州のコールド・ベイに戻り、乗艦予定のソ連海軍の兵士に対する訓練を始める。タコマは8月16日にコールド・ベイで退役し、レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号を付与され、EK-12 の名で就役し、4年にわたって活動した。

その後タコマは1949年10月16日に横須賀でアメリカ海軍に返還され、同地で保管された。1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、8月に再就役の準備を開始し、12月1日に横須賀で再就役する。翌日から15日間、横須賀沖および相模湾東京湾で整調訓練を行う。12月18日から25日まで横須賀で整調後の信頼性試験を行い、その後長崎県佐世保に向かう。12月28日、タコマは韓国沿岸へ向けて出航した。

朝鮮戦争

続く数ヶ月間、タコマは国際連合の海上封鎖および護衛部隊である第95任務部隊に所属して活動した。1951年1月30日に上陸作戦に先立ってKansongで陽動のための砲撃を行う。その日の午後には同じく高城郡に対して攻撃を行った。タコマは2月1日に釜山に寄港し、その2日後佐世保に向かった。2月5日までにタコマは、2日ずつの砲撃命令のため江陵の東部海岸に戻った。7日と8日には襄陽郡に対して、9日と10日にはHwangpoに対して砲撃を行った。Hwangpoへの砲撃後はChikute島を偵察する。タコマは2月13日に佐世保へ戻り19日まで留まった後、北朝鮮の元山湾に向かった。2月22日に元山に到着し、続く4日間は上陸作戦に参加、24日にはSin Doに対して韓国海兵隊の110名が上陸に成功した。翌日タコマは元山を離れ佐世保に向かう。佐世保には2月27日到着し3月10日まで停泊、その後横須賀に向かい、4月23日まで信頼性試験が行われた。


1951年4月3日、アメリカ海軍極東軍の構成が再編成された。その結果第7艦隊および極東グループに所属していた部隊は第92任務部隊の新たな補給グループに統合されることと成った。タコマは4月後半にドックを出渠したが、新たな任務部隊に護衛として配属され、任務を継続した。その後9月まで日本と韓国の間の補給船を護衛し、対潜哨戒および沿岸への火力支援も行った。

韓国海軍で

1951年10月9日、タコマは大韓民国へ移管された。韓国海軍では大同江(テドンガン、ROK Daedonggang, PF-63)の艦名で1973年2月28日まで就役した。退役後はアメリカ海軍に返還され、1973年4月2日に除籍された。その後タコマは韓国海軍に寄贈され、訓練艦および博物館船として公開された。

タコマは朝鮮戦争の戦功で3個の従軍星章を受章した。

外部リンク