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襄陽郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江原特別自治道 襄陽郡
洛山寺の義湘台
位置
各種表記
ハングル: 양양군
漢字: 襄陽郡
日本語読み仮名: じょうようぐん
片仮名転写: ヤンヤン=グン
ローマ字転写 (RR): Yangyang-gun
統計(2023年
面積: 628.60 km2
総人口: 27,710[1]
男子人口: 14,192 人
女子人口: 13,518 人
行政
国: 大韓民国の旗 大韓民国
上位自治体: 江原特別自治道
下位行政区画: 1邑5面
行政区域分類コード: 32410
襄陽郡の木: イチョウ
襄陽郡の花: ?
襄陽郡の鳥: カササギ
自治体公式サイト: 襄陽郡
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襄陽郡庁

襄陽郡(ヤンヤンぐん)は、大韓民国江原特別自治道の東部にある郡である。

歴史

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  • 1895年旧暦閏5月1日 - 江陵府に属し襄陽郡となる(二十三府制)。
  • 1896年8月4日 - 江原道襄陽郡となる(十三道制)。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、襄陽郡に以下の面が成立(7面)。
    • 郡内面・巽陽面・降峴面・道川面・西面・県北面・県南面
  • 1919年(9面)
    • 高城郡土城面・竹旺面を編入。
    • 郡内面が襄陽面に改称。
  • 1937年 - 道川面が束草面に改称(9面)。
  • 1942年10月1日 - 束草面が束草邑に昇格(1邑8面)。
  • 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。ただし、県南面および県北面・西面の各一部は米軍管理下に置かれる。[2](南3面、北1邑7面)
  • 1945年9月16日 - 米軍管理下の襄陽郡県北面・県南面・西面が江陵郡に編入。襄陽郡消滅(1邑7面)。
    • 西面は新西面に改称。
  • 1946年12月 - ソ連軍管理下の県北面が巽陽面に編入(1邑6面)。
  • 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、襄陽郡に対する施政権が回復。下記の1邑7面で再出発。
    • 束草邑・襄陽面・巽陽面・降峴面・土城面・竹旺面・県北面・西面下線部は江陵郡から返還)
  • 1963年1月1日(6面)
    • 束草邑が束草市に昇格・分離。
    • 竹旺面・土城面が高城郡に返還。
    • 溟州郡から県南面を返還。
  • 1973年7月1日 - 西面の一部(明開里)が洪川郡内面に編入(6面)。
  • 1979年5月1日 - 襄陽面が襄陽邑に昇格(1邑5面)。
  • 1983年2月15日 - 降峴面の一部(上福里の一部)が束草市雪岳洞に編入(1邑5面)。

行政

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行政区域図

下位行政区域

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邑・面 法定里
襄陽邑朝鮮語版 甘谷里、車馬里、旧校里、軍餉里、基里、南門里、奈谷里、仕川里、西門里、城内里、松岩里、連昌里、月里、林泉里、丁巽里、造山里、青谷里、浦月里、禾日里
巽陽面朝鮮語版 柯坪里、間里、金崗里、桃花里、銅湖里、密陽里、扶蘇峙里、挿存里、上陽穴里、上旺道里、祥雲里、石界里、松田里、松峴里、水山里、水余里、如雲浦里、鰲山里、瓦里、牛岩里、舟里、下陽穴里、下旺道里、鶴浦里
降峴面朝鮮語版 間谷里、降仙里、広石里、金風里、畓里、屯田里、勿甲里、沕淄里、防築里、沙橋里、上福里、石橋里、龍湖里、長山里、積銀里、前津里、釘岩里、酒庁里、中福里、砧橋里、下福里、回龍里
西面朝鮮語版 加羅皮里、葛川里、公須田里、内峴里、論化里、米川里、凡阜里、北坪里、上坪里、西林里、西仙里、北庵里、松魚里、松川里、水里、盈徳里、五色里、龍沼里、龍泉里、長承里
県北面朝鮮語版 基士門里、大峙里、陶里、末谷里、綿玉峙里、明池里、法水峙里、上光丁里、漁城田里、元日田里、桟橋里、獐里、中光丁里、下光丁里
県南面朝鮮語版 見仏里、広津里、南涯里、洞山里、斗里、北盆里、上月川里、市辺里、遠浦里、仁邱里、臨湖亭里、笠岩里、前浦梅里、亭子里、酒里、竹里、池里、地境里、昌里、下月川里、後浦梅里

警察

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  • 束草警察署
    • 襄陽地区隊
    • 降峴派出所
    • 県北派出所
    • 県南派出所
    • 西面治安センター
    • 巽陽治安センター

消防

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交通

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高速道路

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空港

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港湾

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脚注

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  1. ^ 주민등록 인구통계 - 행정안전부”. 行政安全部. 2024年1月3日閲覧。
  2. ^ 양양의 역사 - 전통의 고장 양양문화원에 오신것을 환영합니다. (朝鮮語)

関連項目

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  • 松茸 - 襄陽郡は韓国有数の松茸生産地

外部リンク

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