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松平信友 (吉井藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平信友
時代 江戸時代中期
生誕 享保2年4月22日1717年6月1日[1]
死没 宝暦10年3月7日1760年4月22日
改名 亀丸(幼名)→信友
戒名 瑞琳院殿義山了空大居士
墓所 東京都新宿区富久町の自証院
官位 従四位下、侍従中務大輔、越前守、式部大輔
幕府 江戸幕府
上野吉井藩
氏族 鷹司松平家
父母 父:松平信清
兄弟 信友、潔姫(伊達村信婚約者)
松平頼明の娘
信明房恭
養子:信有
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松平 信友(まつだいら のぶとも)は、上野吉井藩の第2代藩主。鷹司松平家4代。

初代藩主・松平信清の長男。享保9年(1724年)、父の死去により跡を継ぐ。享保12年(1727年)8月28日、将軍徳川吉宗に拝謁する。同年12月18日、従四位下・侍従・中務大輔に叙任する。宝暦3年(1753年)、陣屋を矢田から吉井に移す。宝暦10年(1760年)3月7日、44歳で死去し、跡を養嗣子の信有が継いだ。

脚注

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  1. ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.174)。同資料によると没年齢を49歳とするのは「表向」(官年)とされる。