松岡洋子 (評論家)

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松岡 洋子(まつおか ようこ、1916年(大正5年)4月20日[1] - 1979年(昭和54年)12月7日[1])は日本の評論家翻訳家

父の松岡正男は、京城日報社社長 毎日申報社社長 時事新報社社長[2]。伯母(父の姉)に羽仁もと子[3]

生涯[編集]

東京府生まれ。自由学園を中退後、1932年(昭和7年)にアメリカ合衆国へ渡り、スワースモア大学政治学科を卒業。第二次世界大戦中は国際文化振興会太平洋問題調査会で勤務した[4]

戦後の1946年(昭和21年)に羽仁説子(従姉妹にあたる)、佐多稲子らと共に婦人民主クラブの結成に参加、初代委員長を務めたほか、『婦人民主新聞』編集長としても活動した[4]

1949年(昭和24年)に再渡米。3年間の留学生活を経た後、ヨーロッパインド経由で帰国[4]1956年(昭和31年)、国際通であることを買われて日本ペンクラブ事務局長に就任し、翌1957年(昭和32年)には東京で開催された国際ペンクラブ大会を成功に導いたが、1970年(昭和45年)、日本ペンクラブがソウルで開催された国際ペンクラブ大会および台北で開催されたアジア作家会議へ参加することに反対し、日本ペンクラブを脱退した[4]

ベトナム戦争では北ベトナム側を支持し、同国に3回、北ベトナムを支援していた中華人民共和国にも8回の訪問をおこなった[4]第10回参議院議員通常選挙三里塚芝山連合空港反対同盟戸村一作が立候補すると、小田実羽仁五郎(伯母の嫁ぎ先の親戚筋)らの「三里塚闘争と戸村一作氏に連帯する会」に参加した[5]

このほか、アジア・アフリカ作家会議日本委員会事務局長、日中友好協会(正統)本部常任理事を務めた。また、エドガー・スノーが日本に滞在した際、アシスタントを務めたこともある[4]

著書[編集]

  • 『世界の小学生たち』和光社 1953
  • リンカーン講談社(世界伝記全集)1956 のち火の鳥伝記文庫 
  • 『世界の女性』講談社(ミリオン・ブックス) 1958
  • 『世界の人びと』牧書店(牧少年少女文庫) 1959
  • 『北ベトナム』筑摩書房(グリーンベルト・シリーズ) 1964
  • キュリー夫人 科学の真理に生きた女性』1968 (旺文社文庫)
  • 『ベトナム・アメリカ・安保』田畑書店 1970
  • 『ゴキブリくん』講談社の創作童話) 1974
  • 『「覇権反対」とはなにか 激動の中を前進するために』三景 1975

訳書[編集]

  • サンサ・ラマ・ラオ『インドの顔』新潮社(一時間文庫)1955
  • エドガー・スノウ『今日の中国 もうひとつの世界』筑摩書房「中国もう一つの世界」叢書 1963 
  • エドガー・スノー『目覚めへの旅』紀伊国屋書店 1963 のち筑摩叢書 
  • エドガー・スノー『北京・ワシントン・ハノイ 日本で考えたこと』朝日新聞社 1968
  • ハン・スーイン『中国の目・アジアの目』朝日新聞社 1971
  • ハン・スーイン『2001年の中国』東洋経済新報社 1971
  • エドガー・スノー『革命、そして革命…』朝日新聞社 1972
  • 中国の赤い星 増補改訂版 エドガー・スノー著作集 2』筑摩書房 1972 のち学芸文庫 
  • ハン・スーイン『毛沢東毎日新聞社 1973
  • 『革命はつづく エドガー・スノー著作集 7』筑摩書房 1974

脚注[編集]

  1. ^ a b 20世紀日本人名事典『松岡 洋子』 - コトバンク
  2. ^ 大宅壮一『群像断裁』(文藝春秋新社)P.124
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『松岡洋子』 - コトバンク
  4. ^ a b c d e f 『昭和史事典』毎日新聞社〈別冊1億人の昭和史〉、1980年5月、349頁。 
  5. ^ 衆議院会議録情報 第101回国会 運輸委員会 第4号”. kokkai.ndl.go.jp. 2018年10月3日閲覧。