慢性甲状腺炎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
橋本病
分類及び外部参照情報
ICD-10 E06.3
ICD-9 245.2
OMIM 140300
DiseasesDB 5649
eMedicine med/949
Patient UK 慢性甲状腺炎
MeSH D050031
プロジェクト:病気Portal:医学と医療
テンプレートを表示

慢性甲状腺炎(まんせいこうじょうせんえん、: Chronic thyroiditis)あるいは橋本病(はしもとびょう、: Hashimoto's thyroiditis)は、甲状腺における自己免疫疾患の一種である。 この病気は、自己免疫疾患として認識された最初の病気であった。

慢性甲状腺炎は、北アメリカおよび日本[1]における原発性甲状腺機能低下症の原因のなかでもっとも頻度が高いものと考えられている。女性に多く(男性の10倍から20倍)、また45歳から65歳の年齢層で多くみられる。

歴史[編集]

1912年に九州大学の橋本策は摘出した橋本病患者の甲状腺の病理所見を詳細に検討し、胚中心を伴うリンパ濾胞形成、甲状腺濾胞の破壊像、濾胞上皮の好酸性変性、間質の線維化と増大という慢性甲状腺炎の病理所見をまとめ、ドイツ留学中に論文を発表した[2]。当時はあまり注目されずその後帰国して伊賀にて開業医として過ごした。1940年代より免疫学が発達して、自己免疫という概念が形成された。これらの研究の中で、甲状腺組織やサイログロブリンでウサギを免疫すると血中には甲状腺やサイログロブリンに対する抗体が生じるばかりではなく、甲状腺が破壊され橋本策が報告した病理組織像と類似の所見が得られることが判明した[3][4][5]。さらに慢性甲状腺炎患者に甲状腺に対する自己抗体が存在することも証明され、その抗体価は低下症の程度と相関することも明らかになった[6]。なお当時はオタクロニー法による検査であり現在の高感度法とは異なる。高感度法での抗TPO抗体や抗Tg抗体の抗体価は組織破壊や甲状腺機能低下症への寄与は少ない。

このような研究をおこなったのは米国ボルチモアのJohn Hopkins大学のRoseや英国ロンドンのMiddkesex病院のDoniachのグループであった。彼らははじめにこのような病理所見を報告した橋本策に敬意を祓い、Hashimoto's thyroiditisという名称を使用したため欧米でこの名称が定着した。

原因[編集]

多くの自己免疫性疾患と同様に遺伝因子と環境因子の組み合わせで発症すると考えられており、家族歴が認められることもある。関連が示されている遺伝子としてはHLA-DR多型、HLA-DR3、HLA-DR4、HLA-DR5、T細胞の調節因子であるCTLA-4の多型と橋本病の発症には関連性が示されている。しかし、これらの遺伝子との関連は1型糖尿病アジソン病悪性貧血白斑症をはじめ多くの自己免疫性疾患でも明らかになっている。

関連する遺伝子の種類は人種により大きく異なっており、またターナー症候群ダウン症候群、およびクラインフェルター症候群などの染色体異常の患者では有病率が高くなるとされる。また慢性的なヨウ素の過剰摂取は甲状腺機能低下症甲状腺腫を誘発されることが知られているが橋本病の患者はさらに影響を受けやすいことが知られている。

病理学的な特徴としてはリンパろ胞の形成、甲状腺上皮細胞の変性、結合組織の新生、円形細胞のびまん性浸潤である。2010年現在、病理生検によって橋本病の診断を行うことは非常に稀であり、甲状腺ペルオキシダーゼやサイログロブリンに対する自己抗体を用いて診断される場合が多い。これらの抗体は胎盤移行性があるにも関わらず、胎児に影響を与えないことが知られている。抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(抗TPO抗体)、抗サイログロブリン抗体(抗Tg抗体)は臨床上は重要な診断マーカーであるが病因としては進行中の自己免疫反応を増幅させる二次的なものである。

バセドウ病がB細胞が産出する甲状腺刺激ホルモン受容体(TSHレセプター)に結合するTSH受容体抗体によって引き起こされる甲状腺濾胞細胞の機能亢進と増殖が病態の本態であるのに対して橋本病はT細胞による組織破壊が病態の中心であると考えられている。

病態・症状[編集]

慢性甲状腺炎により甲状腺機能低下が起こるとされるが、慢性甲状腺炎の症例全体の中で、甲状腺機能の指標のひとつである血清遊離サイロキシン (fT4) 濃度が低下している症例は約4分の1程度にとどまる[7]。明らかな甲状腺機能異常を伴わない症例や、甲状腺刺激ホルモン (TSH) 値が軽度上昇するも血清fT4濃度や血清遊離トリヨードサイロニン (fT3) 濃度の低下がみられない、潜在的甲状腺機能低下症の段階にとどまる症例の方が多い[7]。また、病初期の急性期には一時的に「ハシトキシコーシス (Hashitoxicosis)」と呼ばれる甲状腺中毒症の状態になり甲状腺機能の亢進が起こることがある。

白血球、とくにTリンパ球の甲状腺への浸潤も特徴的である。非ホジキンリンパ腫との関連が指摘されている。

診察所見としてはびまん性の甲状腺腫大がみられる。また、病初期には甲状腺機能亢進による症状(体重減少、脈拍数の増加など)を呈しうるが、その後は甲状腺機能低下に起因する症状が出現する。体重増加、うつ状態、全身の疲れ、脈拍数の低下、高コレステロール血症、便秘、記憶力の低下、不妊、毛髪の脱落などが起こりうる[8]

診断[編集]

日本甲状腺学会によりガイドライン案が策定されている[9]。これによると、臨床所見としてはびまん性の甲状腺腫大(ただしバセドウ病などの別疾患によるものを除外する)を、また検査所見は甲状腺の自己抗体(抗甲状腺マイクロゾーム抗体抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体抗サイログロブリン抗体)、または 細胞診におけるリンパ球の浸潤所見を確認し、臨床所見の存在ならびに検査所見のうちいずれか1つの陽性をもって慢性甲状腺炎の診断がなされる。抗甲状腺抗体は細胞診と比較して感度、特異度ともに高い検査と考えられている[10]

慢性甲状腺炎であることの診断には甲状腺ホルモン値は影響しないが、甲状腺機能異常の合併がよくみられること、また甲状腺機能異常に対しては治療介入が必要であることから、甲状腺機能異常を念頭においた問診と、甲状腺機能(前述のfT4, fT3, TSH値)の測定も必要とされる。

超音波検査[編集]

出典[7][9]

超音波検査での橋本病典型像は、辺縁は鈍化し、表面に凹凸がみられ厚みがまし、内部エコーがびまん性に低下し、全体的に粗いエコー像が特徴的である。低エコーの部分も一様でなく不均一なことが多い。内部エコーが著明に低い症例では前頚筋群との境界が不鮮明となる。びまん性甲状腺腫は成人の場合は最大横径が20mm以上、最大縦径15mm以上、峽部4mm以上といった簡易診断基準でしばしば判定される。典型例は前述の通りであるが橋本病の超音波像は多彩なことも知られている。内部エコーが正常に近い症例や稀に局所的な低エコーを呈するもの、腫瘤性病変を形成するもの(偽腫瘍形成)、また著明な萎縮を呈するものなど多彩な像を呈することも知られている。内部エコーの低下は病状の進行とともに起こる濾胞構造の破壊、リンパ球浸潤や線維化などの組織学変化を反映していると考えられる。内部エコーの低下は抗TPO抗体や抗Tg抗体など甲状腺自己抗体の高力価例や機能低下例に多い。また内部エコーが低下した甲状腺機能正常症例は、将来機能低下に移行しやすいことも知られている。偽腫瘍形成に関しては1cm前後の高エコーを呈する境界不明朗な充実性腫瘤像の場合が多いが、多彩な像(多発結節形成、嚢胞形成や石灰化など)を呈しうるため吸引細胞診が鑑別に重要である。しばしばリンパ節腫大も伴い、軽度の傍気管を含む甲状腺腫大は比較的よく遭遇する。

治療[編集]

甲状腺腫大が軽度で、甲状腺機能低下のない症例では、特別な治療は行わずに、年に1回程度の診察で経過を観察する[7]。慢性甲状腺炎患者においては甲状腺機能は変動しやすいため、定期的な経過観察が勧められる。また甲状腺機能異常(低下症や亢進症)の症状が出現したときには主治医を受診する必要がある[1]

甲状腺機能低下を伴う症例に対しては、甲状腺ホルモン剤の補充を行う。一般には合成サイロキシン (T4) 製剤であるレボチロキシンナトリウム (Levothyroxine) (商品名・チラーヂンS)の内服を行うことが多い。T4製剤の場合、血中半減期が長い(約7日)ため、1日1 回の内服で血中の甲状腺ホルモン濃度をコントロールできる[11]。TSHの正常化が投与量の目安となる[1]

甲状腺自己抗体と慢性甲状腺炎の関連[編集]

人間ドック受診者を対象とした研究[12]では抗TPO抗体、抗Tg抗体のいずれかが陽性であったものはおよそ18%程度認められるとしている。米国のNHANSEⅢという研究でも同様の結果[13]が得られている。このうち長期経過観察で実際に甲状腺機能低下症を示すものはおよそ20%とされている。即ち、甲状腺学会の診断基準における疑い例を含めると一般人口の18%が慢性甲状腺炎と考えられる。自己抗体のみ陽性で甲状腺腫大を認めない例は病気の初期と考えられ潜在性自己免疫性甲状腺炎として広義の橋本病に含める[14]

推定される自然歴[編集]

出典[15]

  潜在性自己免疫性甲状腺炎 慢性自己免疫性甲状腺炎 古典的橋本病 萎縮性甲状腺炎
病態 初期 中期 後期 終末期
甲状腺自己抗体 陰性~陽性 陽性 陽性 陽性~陰性
甲状腺腫腫大度 なし 軽度から中等度、軟から硬 大、硬 なし
甲状腺機能 正常 正常、機能低下、破壊性甲状腺中毒症 正常、機能低下、破壊性甲状腺中毒症 機能低下 

橋本病はHeterogeneousな疾患であり一般化は難しいが疫学調査から自然歴が推定されている。6歳から12歳では慢性甲状腺炎は稀であるが思春期を契機に甲状腺自己免疫現象が促進し、散在性のリンパ球浸潤と甲状腺自己抗体産出をきたす(無症候性甲状腺炎)、出産やストレス、ヨード負荷によって自己免疫現象や甲状腺機能が一過性に増悪しながら40歳以上になり約20%近くに甲状腺への炎症細胞浸潤をきたす。しだいにびまん性変化をきたし、間質系の反応、濾胞上皮の変性、線維化などを生じると甲状腺が腫大する(甲状腺腫台の原因はリンパ球浸潤など慢性炎症によるものと高TSH血症による代償性肥大の機序が想定されている)。そして潜在性、顕性の機能低下症が増大する。TSH受容体に対する抗体まで生じそれが刺激性であればバセドウ病となり、阻害性であるか甲状腺細胞のアポトーシスなどを伴うと甲状腺は萎縮してくる。慢性甲状腺炎の約0.1%から0.2%が約10年以内に甲状腺悪性リンパ腫に移行する可能性を秘めている。他臓器の自己免疫異常を伴うと膠原病などを発症し、腎障害を伴うと予後不良となる。

慢性甲状腺炎とその他の自己免疫疾患の合併[編集]

甲状腺自己抗体は多くの自己免疫性疾患の患者で陽性となるとされており橋本病の合併が疑われる。自己免疫性疾患の中では関節リウマチ、SLEなどにおける合併がよく知られている[16][17][18]が、線維筋痛症との合併率は40%と圧倒的に多く、甲状腺自己抗体陽性例と陰性例では臨床像では差が認められないものの、重症度が陽性例の方が強い傾向が示唆されている[19][20]。他にも脳症脊髄症末梢神経障害うつ病躁うつ病認知症に対しても関連が指摘されている[21]

悪性貧血

悪性貧血症例における慢性甲状腺炎の併発率は高く、抗TPO抗体陽性が50%、抗TG抗体が14%程度に認められる。12%の症例に顕性の甲状腺機能低下症、15%に潜在性の甲状腺機能低下症がみられるという報告もある。

アジソン病

アジソン病症例ではバセドウ病が10%、慢性甲状腺炎が10%合併している。

抗核抗体

抗核抗体は健常人でも10~20%ほど陽性でありリウマチ・膠原病が疑われる症例での測定が進められる。臨床検査ではヒト由来の培養細胞を用いて希釈血清を用いて核の染色型を顕微鏡によって判定している。慢性甲状腺炎では20~30%で抗核抗体が陽性となる。抗平滑筋抗体、抗ssDNA抗体、抗カルジオリピン抗体の陽性率も高いが疾患特異的な自己抗体は陰性であることがほとんどである。

全身性エリテマトーデス

全身性エリテマトーデスはHLA-DR3を疾患感受性遺伝子として発症し、自己免疫性甲状腺炎の併発が多いことで知られている。甲状腺自己抗体は健常対照者の陽性率は30%以下であるのに対してSLE症例では半数が陽性であり顕性の甲状腺機能低下症が6%、機能亢進症が2%で認められる。

関節リウマチ
シェーグレン症候群

シェーグレン症候群の約7%で橋本病が認められ、約3%でバセドウ病が認められている。逆に橋本病の16%にシェーグレン症候群が認められている。

重症筋無力症

重症筋無力症はHLR-DR3やB8が疾患感受性遺伝子であり、甲状腺疾患、特にバセドウ病の併発がよく知られている。

1型糖尿病

1型糖尿病症例の6~40%で甲状腺自己抗体が陽性になるとされている。

橋本病に伴う中枢神経障害[編集]

甲状腺機能異常に伴う神経症状としては甲状腺機能低下症による意識障害認知症、運動失調などを来す粘液水腫脳症、甲状腺機能亢進症に伴う痙攣、躁状態、妄想、不随意運動をきたす甲状腺中毒脳症などが知られている。これらは甲状腺ホルモンの値の正常化によって改善される。これとは別に甲状腺ホルモン値の異常が軽度もしくは正常範囲にもかかわらず神経症状をしめすことが知られ、ステロイドによって改善が認められる症候群が知られている。橋本病の合併が多いことからこのような群を橋本脳症と呼ぶ。

参考文献[編集]

  • 内分泌・糖尿病科 科学評論社 2007年8月 vol.25 no.2
  • 甲状腺疾患と自己抗体検査 ISBN 9784787817877
  1. ^ a b c 浜田昇 『研修医・実地医家のためのパーフェクトナビ 甲状腺疾患診療』 診断と治療社、2004年9月30日、初版、pp. 9 - 13, 76 - 91。ISBN 4-7878-1276-9
  2. ^ Hakaru Hashimoto: Zur Kenntnis der lymphomatösen Veränderung der Schilddrüse (Struma lymphomatosa). Archiv für klinische Chirurgie, Berlin, 1912, 97: 219−248.
  3. ^ Lancet. 1956 271 105-9. PMID 13347092
  4. ^ J Immunol. 1956 76 408-16. PMID 13332242
  5. ^ Lancet. 1956 271 820-1. PMID 13368530
  6. ^ Biochem J. 1958 69 248-56. PMID 13546173
  7. ^ a b c d 関原久彦ほか 『内分泌疾患診療マニュアル』 日本医師会 発行、南光堂 発売、2002年、pp. 182 - 183。ISBN 4-524-23508-6
  8. ^ 肥塚直美 編 『専門医を目指すケース・メソッド・アプローチ 内分泌疾患』 日本医事新報社、2003年1月20日、第3版、pp. 104-115。ISBN 4-7849-5241-1
  9. ^ a b 日本甲状腺学会 (2004年1月20日). “診断ガイドライン” (日本語). 2008年4月23日閲覧。
  10. ^ Clinical significance of measurements of antithyroid antibodies in the diagnosis of Hashimoto's thyroiditis: comparison with histological findings.Thyroid. 1996 Oct;6(5):445-50.PMID: 8936669
  11. ^ 阿部好文・西川哲男 『臨床に直結する内分泌・代謝疾患治療のエビデンス』 文光堂、2004年11月25日、初版、pp. 71-74。ISBN 4-8306-1357-2
  12. ^ 人間ドック受検者における甲状腺機能 人間ドックvol.24 No.1 2009 74-83
  13. ^ Serum TSH, T(4), and thyroid antibodies in the United States population (1988 to 1994): National Health and Nutrition Examination Survey (NHANES III).J Clin Endocrinol Metab. 2002 Feb;87(2):489-99.PMID 11836274
  14. ^ J Clin Endocrinol Metab. 1978 46 859-862. PMID 263468
  15. ^ Endocrinology Adult and Pediatric, 2-Volume Set, 7e ISBN 9780323189071
  16. ^ Best Pract Res Clin Endocrinol Metab. 2005 19 17-32. PMID 15826920
  17. ^ Am J Med. 2010 123 183.e1-9. PMID 20103030
  18. ^ Clin Rheumatol. 2006 25 240-245. PMID 16247581
  19. ^ Association between thyroid autoimmunity and fibromyalgic disease severity.Clin Rheumatol. 2007 Dec;26(12):2115-20. Epub 2007 May 9.PMID: 17487449
  20. ^ Clin Rheumatol. 2007 26 55-59. PMID 16541203
  21. ^ Arch Neurol. 2003 60 164-171. PMID 12580699