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感染症サーベイランス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

感染症サーベイランス(かんせんしょうサーベイランス、英: surveillance of infectious diseases)は、ヒトが感染する感染症の地域ごとの発生状況に関する継続的な調査である。感染症の発生状況を監視することにより、その感染症の平常の発生状況(ベースライン)を把握するとともに、異常な増加(アウトブレイク)があった場合にそれを早期に検知し、対策の立案や評価に役立てる[1]。公衆衛生サーベイランス体制の一部をなしており[2]、調査結果を利用した研究によって公衆衛生に関する知見を強化することができる。

病院が保健機関に提出する感染症患者の報告などから感染症の発生や流行を検知するのが最も基本的なやりかたであり、受動的サーベイランス (passive surveillance) と呼ばれる。対象地域内でみつかった症例をすべて集める場合を「全数把握」、いくつかの医療機関等を指定してそれらからのみ情報を収集する場合を「定点把握」という。特定の病気について重点的な情報収集が必要となる場合には、保健機関が状況に応じて情報を集める積極的サーベイランス (active surveillance) がおこなわれる[1]。

近年では、このような古典的なサーベイランス方式に加えて、健康診断の記録、学校や薬局、救急車等への通報記録、獣医師による動物の診療情報、インターネット検索ワードやソーシャル・ネットワーキング・サービスでの発言などの各種大規模データの解析によって感染症の流行を推測する仕組みも開発されている[3](pp131-134)。疾病の発生を早期に把握するために、特定の疾病であることが確定していない段階で、その疑いがあることを示唆する情報を収集するこのような活動を、症候群サーベイランス (syndromic surveillance) と総称することがある[4]。

感染症サーベイランスの具体的な仕組みは、各国政府がそれぞれの国内で構築・運営している。日本においては、中央と地方の感染症情報センター、保健所、検疫所などが協力してサーベイランスを実施する体制がある。世界的には、世界保健機関 (WHO) が各国のサーベイランス結果を集約する役割を果たしている。

日本のサーベイランスシステム

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日本には、従来から特定の感染症について患者の発生をみた場合にその届出を受け付けて調査する仕組みがあった。古くは幕末の安政5年(1858年)のコレラの流行について、患者数の記録がのこっている[5](p99)。明治7年(1874年)にできた医制は、当初から伝染病患者およびその死亡についての届出義務を医師に課していた[5](p65)。明治9年(1876年)以降、コレラ、赤痢、腸チフス、痘瘡、ジフテリアなどについて、内務省への報告をもとにした患者数及び死者数届出をもとにした患者数の統計が作られるようになる[6](pp372,790)。その後、伝染病予防規則(1880年)、伝染病予防法(1897年)にも患者届出の義務規定が受け継がれた[5](p320)。1938年の厚生省と保健所の設置を経て、各種感染症について、保健所から都道府県を通じて収集した情報をもとに、厚生省が統計を作成・公表する体制が確立した[注釈 1]。

1998年に各種の法律が感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律[11](感染症法)に統合されて以降、その第3章「感染症に関する情報の収集及び公表」を法的根拠として実施されてきたのが感染症発生動向調査 (NESID: National Epidemiological Surveillance of Infectious Diseases) 事業である[12][13][14]。感染症法3章では、12-13条で医師および獣医師の届け出義務、14条で定点となる機関を指定しての調査について定めているが、これらが受動的サーベイランス(患者発生状況サーベイランスと呼ばれる[15](p96))にあたる。15条は積極的サーベイランス(積極的疫学調査と呼ばれる)に関する規定、16条は収集した情報の公表に関する規定である。

関連機関

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  • 厚生労働省
  • 国立健康危機管理研究機構 (国立感染症研究所)
  • 保健所を設置する地方公共団体(都道府県・保健所設置市・東京都特別区)
  • 中央感染症情報センター - 国立健康危機管理研究機構内に設置されている。
  • 地方感染症情報センター - 上記地方公共団体のそれぞれに置かれる。地方衛生研究所内に置くのが原則であるが、地方公共団体の本庁がその機能を代替することもある[13](p4)。同一都道府県内に複数置く場合は、そのうちのひとつを、都道府県全域の情報を統合する「基幹地方感染症情報センター」とする。
  • 感染症発生動向調査委員会 - 中央および各都道府県に置かれる。
  • 地方衛生研究所 - 病原体の分析等を実施する。
  • 保健所
  • 検疫所

患者発生状況サーベイランス

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感染症法に基づいて指定されたいわゆる全数把握疾患については、診断した医師が保健所に届け出るよう義務づけられている(12条)。こうして国内で診断されたすべての患者の情報を把握することができるようになっている。その対象は、感染症法が1類から4類に分類する感染症と、5類のうちで全数把握対象として指定される感染症(風疹、麻疹、侵襲性髄膜炎菌感染症など)である[16]。一部の人獣共通感染症については、獣医師に報告義務が課されている(13条)。

それ以外の5類感染症については、患者の全部ではなく、感染症法14条に基づいて指定される調査拠点(指定届出機関)が把握したケースだけが対象となる(定点把握)。小児科定点、インフルエンザ定点(内科および小児科)、STD定点、眼科定点、病院定点などの種類がある。2類から4類の感染症の一部についても、感染していることが疑われる者(疑似症)の調査拠点が同様に指定される[注釈 2]。

積極的疫学調査

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感染症法15条から15条の3までの各条は、厚生労働大臣や保健所を設置する地方公共団体の首長に、感染症に関して必要となる調査を行なう権限を与えている。これらの規定に基づく調査を積極的疫学調査と呼ぶ。

結核、麻疹、新型インフルエンザ、新型コロナウイルス感染症などについて、コンタクト・トレーシングを中心とした積極的疫学調査のマニュアルが用意されている[17][18][19][20]。そのほか、各地の保健所や病院に対して特定の情報の収集・報告を依頼して、サーベイランスを進める場合がある。これらの方法で新たに診断を受けた患者が出た場合には、その発生届が医師から提出されて患者発生状況サーベイランス結果にふくまれることになる[21]。

病原体サーベイランス

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病原体サーベイランス (Infectious Agents Surveillance) は、医療機関や検査機関から提供された病原体の検査情報あるいは検体を利用して分析を行なうものである。これには、感染症法14条の2に基づく定点調査の場合[1] と、15条に基づく積極的疫学調査の一環である場合がある。

感染症の病原体を収集して分析・評価する仕組みは1980年代前半には体系的に稼働していたが、感染症法を法的根拠とする事業になったのは2015年のことである[12]。

感染症流行予測調査

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予防接種法に基づく定期接種対象の感染症について、集団免疫の現況を推測し、流行の予測と予防接種事業の効果的な運用に役立てることを目的として、感染症流行予測調査 (NESVPD: National Epidemiological Surveillance of Vaccine-Preventable Diseases) を行なっている。人々の体内に抗体がどの程度存在するか(感受性)、また彼らが接触する可能性のある環境(患者・動物・下水など)中に存在する病原体の種類(感染源)などを調べる[22]。

結果の利用と公表

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2006年から、オンラインで感染症発生動向調査のデータを蓄積する「感染症サーベイランスシステム」(これもNESIDと呼ばれている)が稼働している[16][注釈 3]。このシステムによって関連機関の間で情報が共有される。

集計・分析の結果は、厚生労働省および国立健康危機管理研究機構により、つぎのかたちで常時一般向けに公表されている。いずれも同機構の運営する「感染症情報提供サイト」に掲載される。

感染症発生動向調査週報 (IDWR: Infectious Disease Weekly Report)
患者発生状況サーベイランスの結果を毎週集計した結果を収める[24]。
病原微生物検出情報 (IASR: Infectious Agents Surveillance Report)
病原体サーベイランスの集計結果および分析結果を報告する[25]。
感染症流行予測調査 (NESVPD) 報告書
感染症流行予測調査の結果とそれに基づく評価を報告する[26]。

各地の状況は、各都道府県が公表する。媒体と様式はさまざまである。感染症の種類によっては、流行が予測される地域に警報あるいは注意報が発令される。注意すべき感染症については、状況が特にくわしく公表されることがある。

世界のサーベイランスシステム

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世界保健機関 (WHO) は、各国の保健機関および研究機関(たとえばアメリカ疾病予防管理センター)との情報ネットワークを構築している。ただし各国内でのサーベイランスは各国政府が対応しており、WHOはその公的報告を集約するだけである。このため、情報収集の速度と信頼性は、ネットワーク参加政府機関に依存する。

注釈

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  1. ↑ 厚生省『伝染病精密統計年報』[7] など参照。一方、死亡(死因をふくむ)や死産は、1947年から、人口動態調査の一部として、保健所→都道府県→厚生省(現在は厚生労働省)の経路で届出を集約する仕組みになっている[8](p17)[9](pp200-201)。ただし、人口動態調査が統計法に基づく指定統計(現在は基幹統計)として統計委員会等の審査を受けて実施されてきたのに対して、感染症サーベイランスはそのような体制にはなっておらず、日本の公的統計制度における位置付けはおおきくちがう[10]。
  2. ↑ 診断がつく前の時点での報告を求めるため、より早期に発生を探知することが可能になる。診断方法の確立していない未知の病気への対応にも有効である[1]。国際的には症候群サーベイランス (syndromic surveillance) と呼ばれるものであるが、日本の行政においては疑似症サーベイランスと呼ぶ[15](pp50-51)。なお、医師の診断をあてにせず、感染が疑われる症状を示す者の情報を集めること自体は、明治時代から行われている[5](pp175,306)。
  3. ↑ 1987年以降に稼働していた病原体検出報告や患者発生報告などのオンラインシステムを統合したのがNESIDシステムである[12]。当初は保健所以外は患者情報を登録・更新・削除できない仕様であったが、2022年の更新により、医師による直接の入力も可能となった[23]。この間の新型コロナウイルス感染症の流行にNESIDシステムはじゅうぶん対応できなかったので、その代替として新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム (HER-SYS) が急遽つくられた[15](p97)。

出典

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  1. 1 2 3 4 阿保満 著「サーベイランスに必要な基礎知識」、吉田眞紀子、堀成美 編『感染症疫学ハンドブック』医学書院、2015年、47-63頁。ISBN 978-4-260-02073-2。 NCID BB18801361。
  2. ↑ 鈴木基「わが国における新型コロナウイルス感染症のサーベイランス」『医療と社会』第32巻第3号、医療科学研究所、2022年10月27日、435-442頁、CRID 1390856981716079744、doi:10.4091/iken.32-435、ISSN 0916-9202。
  3. ↑ Giesecke, Johan 著、山本太郎 訳『感染症疫学: 感染症の計測・数学モデル・流行の構造』(新版)昭和堂、2020年(原著2017年)。ISBN 978-4-8122-1935-5。 NCID BC01704084。
  4. ↑ Henning, Kelly J. (2004-09). “What is syndromic surveillance? (Overview of syndromic surveillance)”. Morbidity and Mortality Weekly Report 53 (Suppl): 7-11. PMID 15714620. www.cdc.gov/mmWR/pdf/wk/mm53su01.pdf.
  5. 1 2 3 4 竹原万雄『近代日本の感染症対策と地域社会』清文堂出版、2020年。ISBN 978-4-7924-1483-2。 NCID BC04497022。
  6. ↑ 厚生省医務局『医制八十年史』印刷局朝陽会、1955年。doi:10.11501/2425292。 NCID BN01952367。
  7. ↑ 厚生省大臣官房統計調査部『昭和24年 伝染病精密統計年報』1951年。 NCID AN10061053。国立国会図書館書誌ID:027549543。(PDF版は国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト「伝染病及び食中毒統計 年報」による)
  8. ↑ 厚生省大臣官房統計情報部『人口動態統計百年の歩み』厚生統計協会、2000年。 NCID BA48906124。国立国会図書館書誌ID:000002914683。
  9. ↑ 山中四郎、河合三良『統計法と統計制度』統計の友社〈実用統計叢書 2〉、1950年。doi:10.11501/1152950。 NCID BN10766192。
  10. ↑ 竹内啓 (2022年2月21日). “『統計不正』があらわにした問題”. NHK解説委員室. 視点・論点. 日本放送協会. 2022年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月24日閲覧。
  11. ↑ 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成十年法律第百十四号)- e-Gov法令検索
  12. 1 2 3 国立感染症研究所 感染症疫学センター (2018年2月). “日本の感染症サーベイランス” (PDF). 感染症情報提供サイト. 日本における感染症サーベイランスの成り立ち. 国立健康危機管理研究機構. 2026年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年1月23日閲覧。
  13. 1 2 “感染症発生動向調査事業実施要綱” (PDF). 厚生労働省 (2025年4月7日). 2025年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年1月21日閲覧。
  14. ↑ “Implementation Manual for the National Epidemiological Surveillance of Infectious Diseases Program” (PDF) (英語). Ministry of Health, Labour and Welfare (2019年4月1日). 2025年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年1月21日閲覧。
  15. 1 2 3 関なおみ『保健所の「コロナ戦記」TOKYO 2020-2021』光文社〈光文社新書〉、2021年。ISBN 978-4-334-04578-4。 NCID BC11688188。
  16. 1 2 杉下由之 著「わが国の公衆衛生における感染症サーベイランス」、吉田眞紀子、堀成美 編『感染症疫学ハンドブック』医学書院、2015年、79-94頁。ISBN 978-4-260-02073-2。 NCID BB18801361。
  17. ↑ 阿彦忠之 編『感染症法に基づく結核の接触者健康診断の手引きとその解説』(PDF)(改訂第6版)結核予防会、2022年。ISBN 9784874513217。 NCID BC18708046。2025年6月27日閲覧。
  18. ↑ 国立感染症研究所 感染症疫学センター (2016年6月3日). “麻疹発生時対応ガイドライン 第二版:暫定改訂版”. 感染症情報提供サイト. 麻疹対策・ガイドラインなど:麻しん発生状況に関する注意喚起. 国立健康危機管理研究機構. 2025年7月6日閲覧。
  19. ↑ “新型インフルエンザ (A/H1N1) 積極的疫学調査実施要綱 (平成21年7月版)”. 厚生労働省 (2009年7月22日). 2025年7月5日閲覧。
  20. ↑ 国立感染症研究所 実地疫学研究センター (2021年11月29日). “新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領 (2021年11月29日版)”. 感染症情報提供サイト. 国立健康危機管理研究機構. 2025年7月4日閲覧。
  21. ↑ 河西あかね 著「保健所保健師による新型コロナウイルス感染症対策」、日本看護協会 編『令和3年版 看護白書: 新型コロナウイルス感染拡大下における看護職の活動』日本看護協会出版会、2021年、14-23頁。ISBN 978-4-8180-2345-1。
  22. ↑ 厚生労働省 健康・生活衛生局 感染症対策部 感染症対策課 (2025年). “感染症流行予測調査実施要領” (PDF). 国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト 感染症流行予測調査. 2026年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年1月23日閲覧。
  23. ↑ 国立感染症研究所『感染症発生動向調査事業における届出の質向上のためのガイドライン【医師向け】』(PDF)2025年3月。国立国会図書館書誌ID:034009766。オリジナルの2026年1月23日時点におけるアーカイブ。2026年1月23日閲覧。
  24. ↑ 感染症発生動向調査週報 (IDWR) 国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト
  25. ↑ 病原微生物検出情報 (IASR) 国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト
  26. ↑ 感染症流行予測調査 (NESVPD) 国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト

関連項目

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