岩田準一

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岩田準一(いわた じゅんいち、明治33年(1900年)-昭和20年(1945年))は、日本の画家・風俗研究家[1]

概略[編集]

三重県志摩郡鳥羽町(現・鳥羽市)生まれ。三重県立第四中学校卒業後、親の意志により神宮皇學館へ進むも中退し、東京文化学院絵画科へ転校、同院で教鞭を執っていた竹久夢二に師事[1]。夢二の代作を務め、また夢二本人から「日本一の夢二通」と称される[2]

江戸川乱歩の作品『パノラマ島奇談』、『踊る一寸法師』、『鏡地獄』の挿絵を担当。その美青年ぶりから乱歩の『孤島の鬼』の美青年・箕浦金之助のモデルといわれる。同作の発想のヒントを乱歩に与えたのも岩田である。

ライフワークは日本の男色文献研究で、乱歩は同好の友でありライバルでもあった。『孤島の鬼』は二人の男色文献あさりへの情熱が頂点に達した頃に書かれた作品で、同性愛がテーマに描かれたのも乱歩のごく自然な感情の発露といえる。

民俗研究家として柳田國男主宰の『郷土研究』に寄稿、渋沢敬三主宰の民俗学会アチック・ミュージアムの会員にもなり、志摩地方の民俗採取に最初の鍬を入れた。1929年(昭和4年)に故郷の鳥羽に戻る[1]。1945年(昭和20年)、渋沢敬三から近衛文麿の蔵書目録作成を依頼され上京するも、胃潰瘍による出血のため没[1]。享年45。準一は、日本のいわば影の歴史に光を当てた先駆的存在といえる。

著書[編集]

主著『本朝男色考 男色文献書志』(原書房2002年ISBN 4-562-03489-0
『本朝男色考』は1930年(昭和5年)から翌年にかけて『犯罪科学』に連載されたもので、1973年に岩田の遺族によって私家版が出版されている。英語・仏語にも翻訳出版され、南方熊楠も絶賛した。『男色文献書志』は岩田が収集した古今東西の膨大な男色文献の中から1200点ほどをリストアップしたもので、戦前、出版化が試みられたが実現しなかった。戦後、古典文庫吉田幸一が江戸川乱歩から委嘱を受け、1956年(昭和31年)10月、「近世文藝資料」の1冊として刊行[3]。また『本朝男色考』と同じく、1973年に岩田の遺族によって私家版が発行されている。2冊を合わせた形で刊行されたのが本書である。
南方熊楠との往復書簡
岩田と南方の男色に関する論議『南方熊楠男色談義――岩田準一往復書簡』(長谷川興蔵・月川和雄編、八坂書房1991年ISBN 4-89694-613-8)が公刊されている。また、一部は中沢新一編『浄のセクソロジー 南方熊楠コレクション 第3巻』(河出文庫、1991年。ISBN 4-309-47208-7)にも収められている。ほかに『南方熊楠全集(全12巻)』(乾元社、1951 - 1952年)、『南方熊楠全集(全10巻別巻2)』(平凡社、1971 - 1975年)の第9巻にも岩田との書簡全58通が収められている。

鳥羽みなとまち文学館[編集]

鳥羽市には準一の生家を改築した「鳥羽みなとまち文学館 岩田準一と乱歩・夢二館」があり、孫の岩田準子(1967年生)は、乱歩と準一の関係を描いた長篇小説『二青年図 乱歩と岩田準一』(新潮社 2001年)で作家デビュー後、同館の館長を務めている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 三重県環境生活部文化振興課県史編さん班"63 岩田準一と伊勢朝報 - 三重の文化"(2014年2月2日閲覧。)
  2. ^ 詳しくは岩田準一画文集『竹久夢二 その弟子』(おうふう 1985年ほか)を参照。
  3. ^ 吉田幸一編 『古典文庫総目録』 古典文庫1991年12月20日、388頁。