大須シネマ

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大須シネマ
Osu Cinema

RZ Osu Cinema 2019-07 C.jpg

情報
開館 2019年3月30日
開館公演禁じられた遊び
客席数 42席
用途 映画上映
運営 特定非営利活動法人大須シネマ
所在地 460-0011
愛知県名古屋市中区大須3丁目27-12
位置 北緯35度09分33.0秒 東経136度54分14.3秒 / 北緯35.159167度 東経136.903972度 / 35.159167; 136.903972座標: 北緯35度09分33.0秒 東経136度54分14.3秒 / 北緯35.159167度 東経136.903972度 / 35.159167; 136.903972
外部リンク www.osucinema.com

大須シネマ(おおすシネマ)は、愛知県名古屋市中区大須にある映画館ミニシアター)。特定非営利活動法人(NPO法人)大須シネマが運営しており、コミュニティシネマであるとされる。42席の1スクリーンを有する。2019年平成31年)3月30日に開館した。

基礎情報[編集]

歴史[編集]

大須の映画館史[編集]

戦前の大須にあった帝国劇場(左)、大須映画劇場(右)
現在の大須(万松寺通商店街)

近代の大須名古屋市随一の歓楽街として栄え、東京・浅草と大阪・千日前と並ぶ「日本三大商業地」と称された[2]。1897年(明治30年)2月28日には若宮八幡宮境内の末広座トーマス・エジソンが発明したキネトスコープが試験上映され、3月1日から15日間に渡って一般公開された[3]。試験上映も一般公開も大阪に次いで日本で2番目のことだった。1908年(明治41年)1月には大須に活動写真常設館の文明館が開館したが、1903年(明治36年)10月に開館した東京・浅草の電気館、1907年(明治40年)7月に開館した大阪・千日前の千日前電気館に次いで、文明館は日本で3番目の活動写真常設館だった[2][4]。1908年4月には大須2番目の活動写真常設館として電気館が開館した。1909年(明治42年)3月には大須金城座が、1910年(明治43年)6月には桔梗座が芝居小屋から活動写真館に転換し、1910年(明治43年)8月には活動写真館として日出館が、1912年(明治45年)7月には太陽館が開館した[2]。昭和初期が大須の映画館数のピークであり、大須に次ぐ繁華街である広小路通には映画館が2館しかなかったものの、大須には23館もの映画館が存在した[2]

太平洋戦争の空襲では、大須にあるすべての映画館が焼失したとされるが、戦後すぐに複数の映画館が再建されて営業を再開した[2]。戦後の大須の映画館数のピークは昭和30年代前半であり、14館の映画館があった[2]大須観音周辺には港座・太陽館・キネマ会館・大須新松竹・大須東映(旧文明館)があり、萬松寺周辺には赤門劇場・日活シネマ・大須大映・東洋劇場があり、その他には平和劇場・宝塚劇場があった[2]

1959年(昭和34年)のミッチー・ブームを機にテレビが一般家庭に入りはじめ、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後にはテレビが一気に普及[2]。このあおりを受けて映画は斜陽産業となり、大須の映画館は相次いで閉館、名古屋の映画館街は名古屋駅前とに移っていった[2]。1950年代から1970年代前半、万松寺通りには日活シネマ、大須大映、名古屋劇場、万松寺日活の4館が並んでいたが、1977年(昭和52年)にはこれらの映画館の跡地にアメ横ビルなどが開業している[5]

1985年(昭和60年)3月29日にはヘラルド映画興行が経営する太陽館が閉館[6][7]。1912年(明治45年)に開館した太陽館は名古屋市に現存する最古の映画館だったとされ、ヘラルド興行の古川為三郎が映画業界に進出するきっかけとなった映画館である[6]。これによって大須の映画館は成人映画館の大須名画座のみとなったが[8]、大須名画座も1988年(昭和63年)[9]後半に閉館し、「映画館の街」大須から映画館がなくなった[9]

大須シネマ[編集]

チケット売り場
テイクアウト専門の飲食店

かつて大須で衣料雑貨店を経営していた中川健次郎らは、2016年(平成28年)8月からは中公設市場の空きスペースで自主上映会「大須赤門名画座」を開催し(計20回)、同年12月からは覚王山でも月1回の頻度で出張上映会を開催した[10]。2018年(平成30年)9月には中川らが中心となって特定非営利活動法人(NPO法人)大須シネマを設立し、本格的に常設映画館の開館を模索、クラウドファンディングなどの寄付や約250人の賛助会員費によって約2,000万円の開館資金を集めた[11][12][13]。2018年11月から12月には開館プレイベントを行い、映画ポスターや映画パンフレットの展示販売会、大学生らの制作したアニメーション作品の映像展示会などを行った[14]

2019年(平成31年)3月30日がプレオープン日であり、フランス映画『禁じられた遊び』を上映したオープニングイベントには約120人が参加した[15][13]。当初は西部劇『シェーン』を上映する予定だったが[16]、『シェーン』の上映にはDCPが必須のために断念している[17]。3月31日にもオープニングイベントを開催し、活動弁士を招いてハロルド・ロイドチャールズ・チャップリンの短編無声映画などを上映した[15]。4月1日が正式オープン日であり、石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』などを上映した[15]

特色[編集]

大須シネマのスクリーンと客席

施設[編集]

万松寺通りに近い路地に面した、約100m2の喫茶店の建物を賃借して映画館に改装[16][11]。縦2メートル×横3.5メートルのスクリーン、42席の座席を備える[12][18]。建物内には世界の山ちゃんによるテイクアウト専門の飲食店を併設する[16]

上映作品・会員制度[編集]

名古屋シネマテークシネマスコーレ伏見ミリオン座名演小劇場など、名古屋市に既にあるミニシアターとは異なる独自路線を志向している[17]。中川は「大規模映画館とミニシアターの間くらいのポジションを取れると面白い」と語る[17]。劇場は貸しホールとしても活用し、eスポーツのイベントなども開催する[17]

午前中は時代劇西部劇などの名作映画、日中は子どもや若者向けのアニメ映画、夕方以降は短編映画などを上映する[12][18][13][19]。入場料は当日券のみであり、作品ごとに1000円から1500円となる[15]。2週間から1か月ごとに上映作品を入れ替える[15]。中小の配給会社を中心にして飛び込みで交渉を行い、日活東京テアトルなど約10社と契約した[17]。当面は劇場用ブルーレイディスク(BD)を用いるが、他の映画館ではデジタルシネマ(DCP)が主流であり、DCPが必須の大手作品の上映は断念する[17]

脚注[編集]

  1. ^ アクセス 大須シネマ
  2. ^ a b c d e f g h i 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年、pp.120-124
  3. ^ 伊藤紫英『シネマよるひる 改稿名古屋映画史』1984年、pp.149-153
  4. ^ 伊藤紫英『名古屋映画史 8mmから70mmまで』1980年、p.2
  5. ^ 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年、p.126
  6. ^ a b 「明治45年にオープン 大須の太陽館 長い歴史ついにEND」『中日新聞』1985年4月3日
  7. ^ 「最古の映画館、消える 明治生まれ『太陽館』 興行主古川さん 地位築いた出発点」『中部読売新聞』1985年4月4日
  8. ^ 小林貞弘『名古屋の映画館の歴史 1908-2015』河合文化教育研究所、2018年、p.74
  9. ^ a b 「"シネマの大須" 灯消える 『名画座』も閉館」80年の歴史、最盛期は17館 新しい魅力づくり 商店主たち決意」『中日新聞』1988年12月20日
  10. ^ 大須シネマについて 大須シネマ
  11. ^ a b 「大須に映画館、30年ぶり 元商店主ら運営、来年3月開館へ」『朝日新聞』2018年12月26日
  12. ^ a b c 「30年ぶり、名古屋・大須に銀幕『映画の街 復活を』」『毎日新聞』2019年3月12日
  13. ^ a b c 「銀幕 30年ぶり復活 名古屋・大須商店街 ネットで出資募り常設館」『読売新聞』2019年3月31日
  14. ^ 大須に30年ぶり映画館復活 来年3月開館に向けプレイベント サカエ経済新聞、2018年12月1日
  15. ^ a b c d e 「大須 30年ぶり銀幕 シネマ プレオープン」『中日新聞』2019年3月31日
  16. ^ a b c 「30年ぶり 大須に銀幕 来年3月 ミニシアター開館 NPOが寄付募り 喫茶店跡に」『中日新聞』2018年11月16日
  17. ^ a b c d e f 「『大須らしさ』で勝負 30年ぶり 戻ってきた映画館 大須シネマ 独自の運営手探り」『中日新聞』2019年4月20日
  18. ^ a b 「名古屋・大須に銀幕復活 30年ぶり、有志ら準備進む」『日本経済新聞』
  19. ^ 「名古屋・大須で銀幕30年ぶり復活 『映画の街だった』」『朝日新聞』2019年4月2日

外部リンク[編集]