城島町

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じょうじままち
城島町
城島町の町旗 城島町章
町旗 町章
廃止日 2005年2月5日
廃止理由 編入合併
城島町田主丸町北野町三潴町久留米市
現在の自治体 久留米市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
三潴郡
団体コード 40521-3
面積 17.58km2.
総人口 13,667
推計人口、2005年2月1日)
隣接自治体 大川市、三潴郡三潴町、大木町佐賀県三養基郡三根町神埼郡千代田町
町の木 モチノキ
町の花 ツツジコスモス
町の鳥 カササギ
城島町役場
所在地 830-0292
福岡県三潴郡城島町大字楢津743番地2
外部リンク 久留米市
座標 東経130度25分
北緯33度14分
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城島町(じょうじままち)は、福岡県三潴郡に属していたである。久留米市への通勤率は16.8%、大川市への通勤率は12.6%(いずれも平成12年国勢調査)。主に農業稲作イチゴ)、酒造業が盛んな町である。

2005年(平成17年)2月5日に、近隣の三潴郡三潴町浮羽郡田主丸町三井郡北野町とともに編入合併し、久留米市の一部となった。

歴史[編集]

産業[編集]

酒造業[編集]

城島は酒どころとして著名である[1]。酒造業の歴史は江戸時代中期にさかのぼるという[1]筑後川の水や筑後平野の米といった原料、筑後川水運を利用した流通の便に恵まれ、また資本と労働力を有する豪農が多いことから、産地として発展した[1]

明治初期にはから三役と呼ばれる技術者(杜氏、麹付け、元廻り)を招き新醸造法を導入したこともあるが失敗[1]。硬水である灘の宮水と、軟水である筑後川の水の特性の違いによるものである[1]。以後、醸造家や城島杜氏が筑後川の水を用いて醸造する技術を蓄積させた[1]。景気動向による浮沈があったものの、明治時代後期には名醸造地として名声を得、1907年(明治40年)の全国品評会では3人が選ばれている[1]。このころには、城島が九州地方随一の醸造量を誇るようになった[1]

久留米大川を結ぶべく設立された大川軌道(のち大川鉄道を経て西日本鉄道に合併)の株主はみな酒造家であり、1912年(大正元年)に開通した路線(のち西鉄大川線)は酒の輸送にも利用された[1]。また、酒造に用いるため、1921年(大正10年)に城島簡易水道協同組合(のち城島水道株式会社)を組織した[1]。この会社は一部を周辺にも供給、1977年(昭和52年)に町営水道と合併するまで、日本では稀有な民間水道企業であった[1](民間水道にはほかに野田醤油(現在のキッコーマン)によるものがあった)。1923年(大正12年)の福岡県立三潴中学校(現在の福岡県立三潴高等学校)開設には酒造家たちが土地提供などの全面的支援を行った[1]

第二次世界大戦後は、醸造施設の大型化・機械化・合理化の先鞭をつけた[1]。しかし、エネルギー革命に伴う三池筑豊炭田の炭鉱の閉山、北九州工業地帯の沈滞などで大衆酒の消費地を失った[1]

交通[編集]

鉄道[編集]

現在、町内を鉄道路線は通っていないが、1951年までは西鉄大川線が通っていた。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、西鉄犬塚駅


道路[編集]

城島町出身の有名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 城島の酒”. くるめんもん.com. オフィスナカシマ. 2017年1月1日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]