伊達慶邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
伊達慶邦
Date Yoshikuni.jpg
伊達慶邦
生誕 文政8年9月6日1825年10月17日
死没 明治7年(1874年7月12日
改名 寿村→慶寿→慶邦
別名 穣三郎、藤次郎
諡号 楽山公
官位 正四位下左近衛権中将、陸奥
幕府 江戸幕府
仙台藩第13代藩主
氏族 伊達氏
父母 父:伊達斉義、母:山本敬親の娘
養父:伊達斉邦
兄弟 微子(伊達斉邦室)、慶邦保子伊達邦実室)
正室:鷹司政煕の娘・綱姫
継室:徳川斉昭の娘・八代姫
側室:松岡道子、天童綱子ほか
宗基邦宗
養子:茂村宗敦

伊達 慶邦(だて よしくに)は、陸奥仙台藩の第13代藩主。伊達氏第29代当主。

経歴[編集]

文政8年9月6日1825年10月17日)、第11代藩主・伊達斉義の二男として生まれる。母は側室山本氏。幼名は穣三郎。文政10年(1827年)に父の斉義が死去した際には、穣三郎はまだ幼少であったため、一門の登米伊達氏から斉邦が第12代藩主に迎えられている。

天保8年(1837年)に、斉邦が姉と婚礼を挙げると同時に、その養嗣子となって寿村(ひさむら)と称した。翌天保9(1838年)には将軍徳川家慶偏諱を賜って慶寿(よしひさ)に改名。天保12年(1841年)に斉邦が25歳で死去すると、伊達宗家の家督および陸奥仙台藩主を継いで従四位少将に叙任され、陸奥守に任官される。嘉永4年(1851年)に従四位下中将に、安政6年(1859年)には正四位下中将に昇進。また、藩主就任後からまもない天保14年(1843年)には亡き斉邦の一字を取って慶邦に改名している。

19世紀初頭から、仙台藩は幕府から蝦夷地(北海道)の警衛を命じられていた。これは陸奥会津藩出羽庄内藩などの東北諸藩も同じであったが、特に仙台藩の担当範囲は最も広く、択捉島国後島などの千島列島にまで及び、慶邦の代には全蝦夷地の3分1に程度まで拡大していた。この原野の警衛に要する費用は莫大で、藩財政に重くのしかかり、慶邦は警衛地の一部を仙台藩領に組み込むことを幕府に求め、許されている。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争に際して仙台藩はいわゆる奥羽越列藩同盟の盟主として錦の御旗を掲げる薩長軍と戦ったが敗戦し降伏。仙台藩は全領土を没収され、慶邦は養子の伊達宗敦と共に江戸へ連行され、死一等を減じられて謹慎閉門を申し渡された。同年末、四男の亀三郎(宗基)が、仙台藩28万石に減封された上で、家督相続は許された。

明治7年(1874年)7月12日死去。享年50。駒込の西福寺に葬られた。葬儀はいわゆる神葬祭によって行われたため法号は無し。明治23年(1890年)4月、伊達家の祖廟がある仙台の大年寺山に改葬された。

系譜[編集]

  • 側室:河上千佐(河上仙之助の娘)
    • 斐姫 - 長女。早世
    • 婉姫 - 次女。早世
    • 伊達禎丸 - 長男。早世
  • 側室:松岡道子(松岡時良の娘。於勝の方)
    • 伊達宗基(亀三郎) - 次男。第14代藩主。伯爵
    • 伊達松五郎 - 三男。早世
    • 伊達邦宗(菊重郎) - 四男。宗基養子。伯爵
    • 伊達某 - 五男。早世
    • 伊達徳六郎 - 六男。早世
  • 側室:天童綱子(天童頼益の娘。於藤の方)
  • 側室:岩間包子


主要家臣[編集]

文久から元治の頃の江戸武鑑に掲載される家臣や主要役職者は以下のとおり。なお【職名】は江戸武鑑の掲載の職名であり実際の職名と違う場合もある。また、一門や奉行など加判級に項目名が振られていないので、《職名》で補完した。

《一門》

石川大和伊達藤五郎伊達上野伊達安芸伊達筑前伊達右近伊達式部伊達弾正伊達主殿、白川七郎、三沢信濃

奉行など》

片倉小十郎、小梁川出雲、佐々豊前、遠藤文七郎但木土佐、遠藤孫兵衛、大町因幡、大内縫殿、芝多対馬

年寄

大町勘解由、亘理伯耆、中村宗三郎、白石直衛、柴田意広、松本要人

用人

中目寛之丞、下郡山内紀、石母田勘解由、斉藤典膳、村田松之進、大目立宮内、大條孫三郎、葦名靱負、橋本九八郎(定府)、大塚伊豆、坂英力、氏家秀之進、西大條源四郎、黒澤亀之進、西大立目図書、中地多利之丞、瀬成田求馬、守屋四郎左衛門、岡本清吉、赤地純左衛門、入生田三右衛門

城使】(全員定府)

大童信太夫、秋保清潔、橋本九太夫

参考文献[編集]

  • 『三百藩藩主人名事典1』 (新人物往来社1986年)。
  • 『大武鑑・中巻』(橋本博、名著刊行会)