上沼真平

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上沼 真平(かみぬま しんぺい 1947年1月 - )は、元関西テレビ所属のテレビ演出家プロデューサー、常務取締役・制作局長、元メディアプルポ(関西テレビ完全子会社代表取締役会長

妻はタレント上沼恵美子(旧姓:橋本)で、2男あり。

来歴[編集]

大阪府八尾市の出身。実父は、毎日新聞競馬担当の記者や論説委員を歴任。祖父は弁護士で、姉が1人いる。母は飯田の大地主の娘。

小学校を4回転校した後に、池田市立石橋小学校を卒業。大阪教育大学附属池田中学校を経て、1965年関西学院大学へ進学した。

大学卒業後の1969年に、新卒扱いで関西テレビ放送へ入社。桑原征平杉山一雄(いずれも現在は退職)は、中途採用のアナウンサーながら同期に当たる。

関西テレビへの入社後は、営業部で京都方面を担当した後に、制作部へ異動。異動後は、桑原・杉山が出演する番組をはじめ、ディレクター・プロデューサーとして多くの人気番組を制作した。土曜朝の生ワイド番組土曜大好き!830』シリーズ(フジテレビ系列全国ネット[1]では、プロデューサーとして桑原と板東英二を司会に起用したうえで、2人による海外取材企画を頻繁に実施。同番組をはじめ、社会・国際問題をテーマに、ジャーナリズムの視点による取材企画・生中継をワイドショーへ盛り込む手法を得意にしていた。

28歳だった1975年に、自身の担当番組『日曜ドキドキパンチ』で、8歳下の恵美子(当時海原千里・万里)と出会う。1977年5月22日に、恵美子と結婚。親族・親類全員が反対する状況での結婚だった。恵美子は、ラスベガスカウアイ島への新婚旅行を経て、芸能界を一時引退。しかし、翌年に単独で芸能界へ復帰した。1978年に長男、1983年に次男が誕生。

2002年に第1回R-1ぐらんぷり審査員、2003年に第1回M-1甲子園審査委員長。2004年第2回R-1ぐらんぷり審査員を歴任。その間には、関西テレビの常務取締役・制作局長や、メディアプルポの代表取締役会長を務めた。2008年1月に、61歳で関西テレビを退社。退社後の2011年7月に、恵美子と共同で「犬も食わない 上沼さんちの夫婦げんか事件簿」という著書を発刊した。

人物・エピソード[編集]

「専業主婦は耐えられない」と芸能界復帰を決めた恵美子に対し、「(仕事をする範囲として)西は姫路、東は京都まで」との約束を持ちかけた。恵美子はこの約束を守り、仕事は基本的に在阪局に絞って行い、あまり在京局やローカル局では仕事をしないスタイルをとっている(これにより本格的な東京進出を断念している)[2]

恵美子が引き受ける仕事には基本的に反対の姿勢である。一方、恵美子がNHKより1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』の紅組司会の打診を受けた際には「引き受けないと君が一生後悔するだろう」と応援の姿勢を示した(これが決め手となって恵美子は紅組司会を受諾)[3]

2014年1月12日放送の読売テレビ中京テレビ上沼・高田のクギズケ!』で恵美子が、「来世は東京に行きたい」「東京進出をしないのは、大阪の人と結婚したから。(東京に行ったら)別居になるやん。今度は東京の人と結婚したい!」「NHKから『大河ドラマ』の出演打診があったが、東京収録のため断った」「紅白の司会をした後、在京局から11本に及ぶレギュラー番組のオファーがあったが、夫を優先するため全て断った」と語った[4]

同じく「自分が定年退職となる時に一緒に仕事を辞めよう」との約束もしていたが、こちらは裏腹に真平の定年退職後も恵美子は仕事を続けている[5]。恵美子は2014年7月20日放送の『クギズケ!』で「(真平の定年退職時)夫から『一緒にやめようね』って言われて。ちょっと待ってって言いました」「(仕事は)もういいじゃないか、一緒に世界旅行でもしようよという気持ちみたいだったんだけど、あたしはまだ未練があった。コンサートやるって言ったらいい顔はしません」と語っている[6]

現在(2013年時点)、長男が独立したことで恵美子と箕面市内の自宅で2人暮らしをしている。ところが真平と毎日顔を突き合わせる生活は、恵美子にとって大きなストレスの原因になったとされる(後述)。

恵美子の知人は真平について、「昭和の父親のような人物。家事は全て恵美子に任せ、靴下も自分で出そうとせず、恵美子が用意するまで座って裸足で待っている程。“おーい”と呼んだら、すぐに恵美子が飛んでいってあげないと駄目な方」と語っている。

2018年7月、妻・恵美子と別居状態となる[7]。 元々好奇心旺盛で定年退職後、暇ができたため、従来のゴルフに加え、ウクレレ、家庭菜園、俳句(俳号は真葉郎)「きゃんきゃんと 紫陽花トーク。 昼下り」、キックボクシング、スペイン語、能面、バタフライ、絵画と、次々に新しい趣味に飛びついては恵美子を巻き込んだという。嫌気が差した恵美子は、レギュラーの仕事が立て込む週末になると、大阪市内の高級ホテルに1人で泊まるようになった[8]

2015年12月18日放送の関西テレビ『快傑えみちゃんねる』で恵美子が、真平に別居を申し込んだところ、怒られたというエピソードを紹介した[9]

母方の親戚に峰竜太。元ボーイスカウト隊長。喫煙者。標準語を使用。

担当番組[編集]

映画[編集]

  • ラビットマン物語(製作・総指揮)-関西テレビの人気番組『エンドレスナイト』から生まれたヒーロー映画。

著書[編集]

  • 沼さん 上沼健吉 追悼遺稿集 毎日新聞社員(上沼 真平/ 上沼 浜子 編、昭45. (毎日新聞局長) )

脚注[編集]

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  1. ^ 関西テレビでは、このシリーズの終了後に、恵美子と俳優の渡辺徹の司会によるトーク番組いつでも笑みを!』(1998年10月 - 2005年3月)を後継番組として生放送した。ただし、真平自身は制作に携わっていない。
  2. ^ 週刊文春』2013年9月26日号
  3. ^ 毎日新聞』(1994年12月31日付)のインタビューで恵美子が発言。
  4. ^ [1],デイリースポーツ,2014年1月12日
  5. ^ 同『週刊文春』2013年9月26日号
  6. ^ [2],デイリースポーツ,2014年7月20日
  7. ^ 上沼恵美子、夫との関係悪化 「夫源病」で結婚41年目の別居,女性セブン,2018年8月9日号
  8. ^ [3],女性セブン,2013年12月5日号。
  9. ^ [4],アメーバニュース,2015年12月19日