レフスキ・ソフィア
レフスキ・ソフィア | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 |
Професионален футболен клуб Левски София (Professional Football Club Levski Sofia) | |||
愛称 |
Сините (The Blues) Отбора на народа (The Team of the People) Синята лавина (The Blue Avalanche) | |||
創設年 | 1914年 | |||
所属リーグ | ファーストリーグ | |||
ホームタウン | ソフィア | |||
ホームスタジアム | ゲオルギ・アスパルホフ・スタジアム | |||
収容人数 | 25,000 | |||
代表者 |
![]() ![]() その他 (13.4%) | |||
監督 |
![]() | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
プロフェシオナレン・フドボレン・クルプ・レフスキ・ソフィヤ(ブルガリア語: Професионален футболен клуб Левски София, 英語: Professional Football Club Levski Sofia)は、ブルガリアの首都ソフィアを本拠地とするサッカークラブ。20回以上の優勝回数を有するブルガリアの古豪クラブである。クラブ名のレフスキは、ブルガリアの民族的英雄であるヴァシル・レフスキに由来する[1]。
歴史[編集]
1911年、学生によるスポーツクラブとして発足した[1]。正式にクラブとして登録されたのは1914年であり[1]、クラブとしてはこの年を公式な発足年としている。戦間期よりブルガリアで国内リーグ戦が始まり、1933年にはレフスキ・ソフィアが初優勝を果たした。
第二次世界大戦後、ブルガリアで共産党政権が成立した。ブルガリアを衛星国化せんとしたスターリンにとって、ブルガリアの民族的英雄の名を冠し、自由を尊ぶクラブが存在することは望ましくないことであった。そのため、1949年にクラブ名が「ディナモ・ソフィア」と変更された[1]。
スターリンの死後にソ連でスターリン批判が進む中、1957年にクラブはかつての名称を取り戻したが[1]、レフスキの名称は反共産主義的なものと見做され1969年にはFDスパルタク・ソフィアと合併し「DFSレフスキ・スパルタク・ソフィア」と改称された[1]。1989年の東欧革命および共産党政権の崩壊に伴い創設時の「レフスキ・ソフィア」へ戻された[1]。
1990年代前半に、レフスキ・ソフィアは、1993年・1994年・1995年と三年連続でブルガリアの優勝クラブとなった。当時のライバルとなるクラブにも大差で勝利を収めており、ブルガリア代表にもレフスキ・ソフィアから多くの選手が選ばれた。2000年より再びクラブは3連覇しており、クラブの好調期は続いている。2006年に再びリーグ優勝をすると、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07では予選ラウンドでイタリアのACキエーヴォ・ヴェローナなどを破り、ブルガリア勢として初めてグループリーグ進出を果たした[2] 。
2020年1月末、クラブの主出資者のボシュコフが強制・脅迫、公務員への贈賄、マネーロンダリングなどを理由に国際手配される。同年2月にクラブの株式85%を所有するポポフとともにアラブ首長国連邦当局に拘束された[3]。
クラブ名遍歴[編集]
- 1914年: レフスキ・ソフィアとして創設。
- 1949年: ディナモ・ソフィアに改名。
- 1957年: レフスキ・ソフィアに改名。
- 1969年: FDスパルタク・ソフィアと合併して、DFSレフスキ・スパルタク・ソフィアに改名。
- 1985年: 合併を解消。FKヴィトシャ・ソフィアに改名。
- 1989年: レフスキ・ソフィアに改名。
タイトル[編集]
国内タイトル[編集]
A PFG:26回
- 1933, 1937, 1942, 1946, 1947, 1948-49, 1950, 1953, 1964-65, 1967-68, 1969-70, 1973-74, 1976-77, 1978–79, 1983-84, 1984-85, 1987-88, 1992-93, 1993-94, 1994-95, 1999-00, 2000-01, 2001-02, 2005-06, 2006-07, 2008-09
ブルガリアカップ:26回
- 1942, 1946, 1947, 1949, 1950, 1956, 1957, 1959, 1967, 1969-70, 1970-71, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1990-91, 1991-92, 1993-94, 1997-98, 1999-00, 2001-02, 2002-03, 2004-05, 2006-07, 2021-22
- 2005, 2007, 2009
国際タイトル[編集]
なし
過去の成績[編集]

シーズン | ディビジョン | ブルガリアカップ | ブルガリア スーパーカップ |
欧州カップ | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 順位 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | |||||
2008–09 | A PFG | 1位 | 30 | 21 | 6 | 3 | 57 | 18 | 69 | 準決勝敗退 | - | UCL | 予選3回戦 |
UC | 1回戦 | ||||||||||||
2009–10 | A PFG | 3位 | 30 | 17 | 6 | 7 | 57 | 26 | 57 | ベスト16 | 優勝 | UCL | プレーオフ |
UEL | グループリーグ | ||||||||||||
2010–11 | A PFG | 2位 | 30 | 23 | 3 | 4 | 67 | 24 | 72 | 準々決勝敗退 | - | UEL | グループリーグ |
2011–12 | A PFG | 3位 | 30 | 20 | 2 | 8 | 61 | 28 | 62 | 準々決勝敗退 | - | UEL | 予選3回戦 |
2012–13 | A PFG | 2位 | 30 | 22 | 5 | 3 | 59 | 20 | 71 | 準優勝 | - | UEL | 予選2回戦 |
2013–14 | A PFG | 5位 | 38 | 19 | 5 | 14 | 59 | 39 | 62 | 準々決勝敗退 | - | UEL | 予選1回戦 |
2014–15 | A PFG | 7位 | 32 | 17 | 5 | 10 | 66 | 33 | 56 | 準優勝 | - | - | |
2015–16 | A PFG | 2位 | 32 | 16 | 8 | 8 | 36 | 18 | 56 | 準々決勝敗退 | - | - | |
2016–17 | A PFG | 3位 | 36 | 18 | 9 | 9 | 50 | 31 | 63 | ベスト16 | - | UEL | 予選2回戦 |
2017–18 | A PFG | 3位 | 36 | 18 | 10 | 8 | 55 | 27 | 64 | 準優勝 | - | UEL | 予選2回戦 |
2018-19 | A PFG | 3位 | 36 | 20 | 6 | 10 | 64 | 37 | 66 | ベスト16 | - | UEL | 予選1回戦 |
2019-20 | A PFG | 位 | UEL | 予選2回戦 |
歴代監督[編集]
歴代所属選手[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g 「素晴らしきエンブレムの世界 File071 レフスキ・ソフィア」『週刊サッカーマガジン』2009年12月1日号、ベースボール・マガジン社、88頁。
- ^ “Levski make Bulgarian history”. Uefa.com. 2007年12月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年3月1日閲覧。
- ^ “ブルガリア月報 2020年2月 p8”. 在ブルガリア日本国大使館 (2020年3月). 2020年12月30日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式サイト
- その他