リュク・ルブラン

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リュク・ルブラン
Luc Leblanc
Cycling (road) pictogram.svg
個人情報
本名 リュク・ルブラン
Luc Leblanc
生年月日 (1966-08-04) 1966年8月4日(56歳)
国籍 フランスの旗 フランス
チーム情報
所属 引退
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 クライマー
プロ所属チーム
1987-1988
1989
1990-1993
1994
1995
1995-1998
東芝
ヒストル
カストラマ
フェスティナ
ル・グルプマン(6月30日まで)
ポルティ
グランツール最高成績
主要レース勝利
Jersey rainbow.svg世界選手権・個人ロード 1994
ブエルタ・ア・エスパーニャ・山岳賞 1994
フランスの旗 フランス国内選手権 1992
GP西フランス・プルエー 1988
獲得メダル
男子 自転車競技
Arc en ciel.svg
世界選手権自転車競技大会
1994 アグリジェント 個人ロード
最終更新日
2008年2月26日

リュク・ルブラン(Luc Leblanc、1966年8月4日 - )はフランスリモージュ出身の元自転車競技選手。

経歴[編集]

11歳のときに自転車競技をはじめ、1987年、東芝チームと契約を結んでプロ転向。1988年GP西フランス・プルエー1992年に国内選手権ロードレースを制覇。ツール・ド・フランスにおいても、1991年には第12ステージ後にマイヨ・ジョーヌを獲得。総合最終順位では5位と健闘。

1994年はレースキャリアとして最良の年を迎え、ブエルタ・ア・エスパーニャ山岳賞を獲得。ツールでは総合4位(区間1勝)。そして、8月にイタリアで開催された世界自転車選手権・個人ロードレースでは、地元イタリアのクラウディオ・キアプッチらを退けて優勝を飾った。

ところが、1995年に移籍することになった、「ル・グルプマン」チーム[1]が破産。同年7月にイタリアのポルティチームに急遽移籍するも、同年シーズンの大半を棒に振った。

1996年ツールでは総合6位に入ったが、1998年を最後に現役を引退[2]。引退後の2000年10月、1994年シーズン中にエリスロポエチン(EPO)を使用していることを告白[3]した。

脚注[編集]

  1. ^ スポンサー会社がマルチ商法として指弾され、業績が急速に悪化したことによる。 http://www.cyclingwebsite.net/ploegfiche.php?id=9389
  2. ^ ポルティチームがルブランと犬猿の仲となっていたリシャール・ヴィランクと契約。結果としてルブランは契約途中で解雇される形になり、契約違反として訴訟沙汰に発展した。
  3. ^ http://www.cyclingnews.com/results/2000/oct00/oct25news.shtml

関連項目[編集]

外部リンク[編集]