クラウディオ・キアプッチ
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| 基本情報 | ||||
| 本名 |
クラウディオ・キアプッチ Claudio Chiappucci | |||
| 生年月日 | 1963年2月28日(63歳) | |||
| 国籍 |
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| 身長 | 172cm | |||
| 体重 | 60kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 所属 | 引退 | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| 特徴 | クライマー | |||
| プロ経歴 | ||||
| 1985–1996 1997 1998-1999 |
カレラ アシックス アミカ・チップ | |||
| 主要レース勝利 | ||||
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ミラノ〜サンレモ 1991 クラシカ・サンセバスティアン 1993 ジャパンカップ 1993-1995 | ||||
| 最終更新日 2008年2月19日 | ||||
クラウディオ・キアプッチ(Claudio Chiappucci、1963年2月28日- )は、イタリア・ウボルド出身の元自転車競技選手。
戦歴
[編集]1982年にイタリアのアマチュアチャンピオンに輝く。1985年にカレラチームと契約してプロ転向。当初は、ステファン・ロッシュやロベルト・ヴィセンティーニのアシスト役だったが、彼らが移籍するとエースの座に君臨するようになった。
1990年のツール・ド・フランスでは、連覇を狙うグレッグ・レモンを終始苦しめ、第20ステージの個人タイムトライアル前まではマイヨ・ジョーヌを守り抜き、最終総合順位も2位に食い込んだ。また、1992年のジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスでは、こちらも連覇を期すミゲル・インドゥラインと終盤まで互角に渡り合い、いずれも総合2位。とりわけジロでは、1分15秒差まで詰め寄った。特に山岳コースでは自ら果敢にアタックを仕掛ける走りを見せ、レモンやインドゥラインがツールで総合優勝を果たしたときにも、敗れたキアプッチのことを「ベストルーザー」だと讃えるファンも多かった。
しかしながら、山岳賞はツール2回、ジロ3回、ポイント賞はジロで1回の受賞経験があるものの、グランツールの総合優勝はついに果たせなかった。その理由は、決まって個人タイムトライアルにおいて、レモンやインドゥラインに遅れを取ったことにある。一方、1991年6月16日~6月29日まで、UCI・ロードワールドランキングスでランキング1位を経験した。また、ジャパンカップサイクルロードレースでは1993年から1995年まで3連覇を達成し、日本のロードレースファンにも人気がある選手だった。
一方、アシックスチームに移籍した1997年には何度もドーピング検査に引っかかったことから、禁止薬物常用の疑いがもたれるようになった。それを受け、後にキアプッチは、1993年以降、禁止薬物であるエリスロポエチンを常用していた事実も認めた。1998年にアミカ・チップチームへと移籍したものの、ドーピングの渦中に常にあったことも災いしてか、ほとんどレースに出場する機会もなくなり、1999年に引退した。
その他
[編集]外部リンク
[編集]- クラウディオ・キアプッチ - サイクリングアーカイヴス