コンテンツにスキップ

トニー・ロミンゲル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トニー・ロミンゲル(Tony Rominger。1961年3月27日- )はデンマーク・ベーレ出身でスイス国籍の元自転車競技選手。ミゲル・インドゥラインの最大のライバルとして立ちはだかったこともあった。

経歴

[編集]

前歴は経理関係の仕事に就いていた。プロ入りしたのは25歳の1986年。そしてレースキャリアとしてピークを迎えるのは1992年1994年ブエルタ・ア・エスパーニャ3連覇(過去に同レースの連覇記録として達成したのはロミンゲルただ一人[1])及び1995年ジロ・デ・イタリア優勝を果たした頃であろう。ちなみに1993年ブエルタ・ア・エスパーニャでは総合優勝の他、山岳賞ポイント賞も獲得し、主要3部門を独占した。グランツールにおける、同一開催年の総合優勝、山岳賞、ポイント賞の主要3部門制覇は、エディ・メルクス1968年のジロ・デ・イタリア及び1969年ツール・ド・フランスで達成して以来史上2人目の快挙であった[2]

またその頃は前述の通り、ツール・ド・フランスにおいて連覇中のインドゥラインの最大のライバルと目された。1993年のツールでは、最終ステージひとつ前の個人タイムトライアルでインドゥラインを撃破し、総合でも2位に食い込んだが、その後はインドゥラインに後塵を拝し続け、とうとうツールだけは優勝できなかった。インドゥラインが不調で崩れた1996年のツールでは当初好調だったものの、メカニシャンのブレーキワイヤ取り付けミスなどで落車を連発。広範囲に擦過傷を負ったことでマッサージを受けられなくなり、疲労が蓄積して失速してしまった。1997年のツールでも落車し、鎖骨骨折したことが原因で引退した。

なお、1994年11月にはフランスボルドーで55.291kmのアワーレコード(UCI・ベストヒューマンエフォート)を樹立している。

引退後は代理人として活動している。顧客にはマティアス・ブレンドレがいる[3]

実績

[編集]

ブエルタ・ア・エスパーニャ

[編集]
  • 総合優勝: 1992, 1993, 1994; 総合3位 1996
  • 山岳賞: 1993, 1996
  • ポイント賞: 1993
  • 通算13勝: 1992 (2勝); 1993 (3勝); 1994 (6勝); 1996 (2勝)

ジロ・デ・イタリア

[編集]
  • 総合優勝: 1995
  • ポイント賞: 1995
  • インテルジロ賞:1995
  • 通算5勝: 1988 (1勝); 1995 (4勝)

ツール・ド・フランス

[編集]
  • 1988: 総合68位
  • 1990: 総合57位
  • 1993: 総合2位; 山岳賞;区間3勝
  • 1995: 総合8位
  • 1996: 総合10位

その他

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 2005年のブエルタで、スペインのロベルト・エラスが当初は総合優勝を果たして3連覇を達成した形となったが、ドーピング疑惑により優勝を剥奪された。
  2. ^ その後、1995年のブエルタにおいて、ローラン・ジャラベールが主要3部門賞独占を果たしている。
  3. ^ 'Now or never' as Brändle tackles Voigt's Hour Record”. cyclingnews.com (30 October 2014). 30 October 2014閲覧。

外部リンク

[編集]