出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ジロ・デ・イタリア 1988" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年12月) |
| この記事は 英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2020年12月)翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
- 英語版記事を日本語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。
- 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。
- 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。
- 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。
- 翻訳後、
{{翻訳告知|en|1988 Giro d'Italia|…}} をノートに追加することもできます。
- Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があります。
|
ジロ・デ・イタリア 1988はジロ・デ・イタリアの71回目の大会。1988年5月23日から6月12日まで、全23ステージ、全行程3579kmで行われた。
人気が停滞傾向にあったジロを盛り上げる窮余の一策として、シャルリー・ゴールが優勝して以降コースから除外されていた標高2621mのガヴィア峠が導入されたが、前回と同じく吹雪に見舞われ大量の選手が低体温症に陥る大荒れの大会となった。
この悪天候を耐え抜いたアメリカ国籍のアンドリュー・ハンプステンが、ジロ史上初の欧州国籍以外の総合優勝者となった。
最終成績[編集]
個人総合成績[編集]
ポイント賞[編集]
山岳賞[編集]
マリア・ローザ保持者[編集]
外部リンク[編集]
|
---|
1900年代 | |
---|
10年代 | |
---|
20年代 | |
---|
30年代 | |
---|
40年代 | |
---|
50年代 | |
---|
60年代 | |
---|
70年代 | |
---|
80年代 | |
---|
90年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
10年代 | |
---|
20年代 | |
---|