リチャード・ガルシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
リチャード・ガルシア Football pictogram.svg
Richard Garcia-Australia.jpg
名前
本名 リチャード・ガルシア
ラテン文字 Richard Garcia
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 1981年9月4日(32歳)
出身地 パース
身長 180cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム オーストラリアの旗 シドニーFC
ポジション FW (WG)
背番号 11
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2004
2000
2004-2007
2007-2012
2012-2013
2013-
イングランドの旗 ウェストハム
イングランドの旗 レイトン
イングランドの旗 コルチェスター
イングランドの旗 ハル・シティ
オーストラリアの旗 メルボルン・ハート
オーストラリアの旗 シドニーFC
16 0(0)
18 0(4)
82 (16)
114 0(8)
0 0(0)
代表歴2
2003
2008-
オーストラリアの旗 オーストラリア U-23
オーストラリアの旗 オーストラリア
2 0(0)
18 0(2)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年7月22日現在。
2. 2012年12月9日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

リチャード・ガルシアRichard Garcia, 1981年9月4日 - )は、オーストラリアパース出身の同国代表サッカー選手。ポジションはFW (WG)。メルボルン・ハートFC所属。

ガルシアは以前、ウェストハム・ユナイテッドFC, レイトン・オリエントFC, コルチェスター・ユナイテッドFC, ハル・シティAFCでプレーした。また、下部リーグに所属する地元パースバルカッタSC英語版でプレーした。[1]

経歴[編集]

ウェストハム[編集]

ガルシアは、パースで生まれると、当初ガルシアの兄を見に来ていたウェストハム・ユナイテッドFCのスカウトに見つけられ、15歳の時にクラブのアカデミーに参加するためオーストラリアからイングランドへ移住した。1998年9月にプロ契約を結んだ。1998-99シーズンに、FAユースカッププレミアユースリーグの2冠をジョー・コールマイケル・キャリックらと共に達成。ユースカップでは、決勝を含め全ラウンドでゴール(合計8ゴール)をした。[2]2000年8月に、同じロンドンをホームとするレイトン・オリエントFCへレンタル移籍し、そこでリーグとカップ戦合わして21試合4ゴールを記録した。[3]2000年11月にレンタルから戻るも膝の靭帯を負傷してしまい、そのままシーズンを終えた。[4]2001年9月にリーグカップのアウェーレディングFC戦でファーストチームデビューを果たしたが、レギュラー確保は出来なかった。2003年にチャンピオンシップへ降格した後は1試合しか出場出来ず、2004年にコルチェスター・ユナイテッドFCへ移籍した。ウェストハムではリーグ戦で合計16試合に出場した。[3]

コルチェスター[編集]

2004年9月に移籍金非公開でコルチェスター・ユナイテッドFCへ加入すると、同月のスウィンドン・タウンFC戦で移籍後デビューをした。このシーズンは30試合6ゴールを記録した。[3]次のシーズンになると、フットボールリーグ1の舞台でチームは2位になり昇格するうえで重要な役割を果たし、FAカップ5回戦ではプレミアリーグ王者のチェルシーFC相手に敗北したものの、ガルシアのクロスからリカルド・カルヴァーリョのオウンゴールを誘い1点を入れた。[5]2006年3月、膝に手術を必要とするほどの怪我を負ったため途中でシーズンアウトした。[6]シーズン終了後にクラブと新たに契約を結んだ。[7]2006-07シーズン開幕戦である2006年8月のバーミンガム・シティFC戦でクラブのシーズン最初のゴールを決める[8]と、最終的に36試合7ゴールを記録[3]し、クラブを昇格プレーオフ決勝まで押し上げた。[9]ガルシアは、コルチェスター・で全シーズン全大会合わせ96試合21ゴールを記録した。[3]

ハル・シティ[編集]

コルチェスター側から新たな契約の申し出があったにもかかわらず、2007年7月2日にボスマン判決に則りフリー移籍でハル・シティAFCと3年契約を結んだ。[10]2007年8月のプリマス・アーガイルFC戦で移籍後リーグ戦デビューをすると、次戦のクルー・アレクサンドラFC戦で初ゴールを決め3-0と勝利した。[11]2008年4月に肩を負傷したにもかかわらず、中心選手として2007-08シーズンにクラブを昇格プレーオフへと押し上げた。[12]このシーズンの注目すべきハイライトは、3月のバーンリーFC戦で35ヤードものシュートで、クラブのゴール・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。2008年5月の昇格プレーオフ決勝ブリストル・シティFCに勝利し、ガルシアは久しぶりにプレミアリーグの舞台へと戻ることになった。2008年8月16日の開幕戦フラムFC戦でベストポジションの右WGでスタメン出場した。次戦のイーウッド・パークでのブラックバーン・ローヴァーズFC戦では、ジェイソン・ロバーツに決められ一旦はリードされるも、2分後に同点ゴールを決め1-1で引き分けた。

2009年7月31日に膝の靭帯を断裂し、最低3ヶ月離脱することになった。[13]2010年11月12日、2-0と勝利したディープデイルでのプレストン・ノースエンドFC戦で、プレミア復帰2シーズン目のゴールを決めた。[14]

1年間の延長オファーがあったものの、2011年5月13日に全治9ヶ月もの十字靭帯を負傷したため撤回された。2011年12月10日のコヴェントリー・シティFC戦で、怪我から復帰し1-0で勝利した。

メルボルン.H[編集]

2012年8月23日にAリーグメルボルン・ハートFCと1年契約を結んだ。[15]

代表[編集]

代表でウォーミングアップするガルシア

2008年4月に、オーストラリアのサン・ヘラルド紙のインタビューでアテネオリンピックの代表候補だったが、大会前に怪我で出場出来ず、それ以降オーストラリア代表で招集されず、再びサッカールーズ(オーストラリア代表の愛称)でプレーしたいことを語った[16]。また、インタビュアーのマシュー・ホール記者は右MFにマーク・ブレッシアーノミル・ステリョフスキーがいるとはいえ、厳しいリーグでレギュラーを務めてきたガルシアをピム・ファーベーク代表監督はチェックすべきと指摘した[16]。2008年8月19日、ロンドンにあるロフタス・ロードでの2-2と引き分けた南アフリカ代表との親善試合で、後半から出場しA代表デビューをした。2-1で勝利したオランダ代表との親善試合で再び途中から出場し、2キャップ目を記録した。2010 FIFAワールドカップメンバーに選ばれ、2010年6月13日、ハル・シティAFC史上初のFIFAワールドカップでプレーする選手となった[17]AFCアジアカップ2011のメンバーにも選出されたが、膝の負傷で出場を断念した。2012年12月7日の東アジアカップ2013予選のグアム代表戦で代表初得点を挙げた。

プライベート[編集]

両親がスペイン語を話すため、ガルシア本人もスペイン語を流暢に話すことが出来、レアル・マドリードのファンである。イングランド代表マイケル・キャリックとはウェストハム・ユナイテッドFCのユース時代から2004年に2人が移籍する(キャリックはトッテナム・ホットスパーFCへ)まで共にプレーした友人で、お互いの結婚式に招待するほど仲が良い。また、兄のマイケル・ガルシア英語版もサッカー選手だった。

所属クラブ[編集]

イングランドの旗 レイトン・オリエントFC 2000 (loan)

脚注[編集]

  1. ^ History - Balcatta SC
  2. ^ "The Class Of '99"
  3. ^ a b c d e "Richard Garcia"
  4. ^ "Striking problems at Brisbane Road"
  5. ^ "Chelsea 3–1 Colchester"
  6. ^ "Surgery for Colchester ace Garcia"
  7. ^ "Garcia pens new Colchester deal"
  8. ^ "Birmingham 2–1 Colchester"
  9. ^ "Garcia primed for play-off push"
  10. ^ "Garcia leaves Colchester for Hull"
  11. ^ "Crewe 0–3 Hull"
  12. ^ "Garcia determined to return"
  13. ^ "Garcia injured"
  14. ^ "Preston 0 – 2 Hull"
  15. ^ "Richard Garcia joins Heart"
  16. ^ a b "Garcia who? Quiet Australian ready to star"
  17. ^ "City Winger Makes History"

外部リンク[編集]