マンホールの蓋

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100年以上前から日本のマンホールの代表的な顔であり続けた「東京市型」。水道の父と呼ばれる中島鋭治が考案したとされ、現在はJIS規格(JIS A 5506)となっている。これは本家東京市下水道局の戦前の仕様の蓋。
東京市型と並んで全国的に普及した茂庭忠次郎考案とされる「名古屋市型」。写真は本家名古屋市の蓋で、このように中心の紋章部分にも穴が開いているのが最も古い仕様[† 1]である。
静岡県浜松市で3枚だけ発見された非常に古いドイツ仕様の蓋。技術者伴宜が中国の青島経由で図面を持ち込んだ可能性が極めて高い。詳細は後述。
大阪府大阪市住之江区にあるマンホールの蓋。大阪城がデザインされている。

マンホールの蓋(マンホールのふた、英語:manhole coverまたはmaintenance cover)は、マンホールあるいは排水ますの最上段に載置・嵌合される蓋あるいは蓋付枠である[1]。人が誤ってマンホールに落ちてしまうのを防ぐとともに関係者以外の進入を防ぐため、マンホールの開口部に嵌められた着脱可能な蓋を指す。下水道の物が最も一般的だが、上水道、電信電話、電力、ガス等、地下設備を有するあらゆる事業体の物が存在する。

概要[編集]

プラハのマンホールの蓋
古代ローマ帝国の都市ウィンドボナ下水道に設置されていた砂岩製の蓋。

マンホールの蓋は、車両をはじめとする交通機関が蓋の上を通過する際、蓋に十分な重さがなければ、所定の位置から外れてしまう恐れがある。そのため、マンホールの蓋は強固かつ重量のある鋳鉄製であり、表面をアスファルトコンクリートで固められていることもある。また、鋳鉄ならば比較的安価で製造できることも理由の一つである。かつては80キログラム以上もある蓋もあったが、現在は性能が向上し、軽量化と強度の向上が図られたため、40キログラム程度になっている[2]。耐用年数は、車の通行量が多い場所は磨耗するため15年ほど、それ以外では経年劣化のため30年が目安とされる[2]が、例外的に100年以上使用されている蓋も存在する。

蓋には通常、かぎ型のバールキーと呼ばれる工具を挿入して引き開けるための「摘み穴」が開けられている。専用のマンホールバールキーは特にこうした穴に引っかける目的で製造されている。[要出典]

水害の際には、マンホール内を通る水圧の影響によりマンホールの蓋が外れ、マンホール内に人が落ちてしまう二次災害が発生することがある。その対策として、大量の雨水が管内に流れ込んできたときでも空気の逃げ場ができるようあらかじめガス抜き用の穴が開けられているものもある。また国賓が来日する際には、治安対策として所管の警察によりマンホールの蓋に封印がされることがある。[要出典]

かつてインドはマンホールの蓋の製造において世界でも優位を占め、他の国々で運営している多くの製造会社が倒産に追い込まれた。これは、その極端に低い労働賃金が重い製品を船で輸送するコストさえも下回っていたことによる。[要出典]

形状[編集]

イタリアローマにある四角い排水口の蓋。排水用の穴が目立つ。SPQRの文字が見える。

マンホールの蓋には円形と角形がある[1]。円形が多く採用される理由として、以下が指摘されている。

  • 円は定幅図形であるため、蓋がずれても穴に落ちてしまうことがないから[2]
  • 自動車などの重い物が載った時でも、圧力が分散されて割れにくいため。また、もし蓋が外れた場合でも、他の形のマンホールであれば、鋭い角の部分が後に通過する他の自動車のタイヤをパンクさせてしまう恐れがあるが、丸い形には角が無いため。
  • 円筒状の穴は掘るのが容易であり、マンホール開口部の丸い形状は、それを囲む地面の圧力に対して最も効率的な形状であるため、その丸い開口部の蓋が丸い様相を帯びるのは自然であるから。
  • 丸型の鋳造は水平の型押しロール機を使用して機械切断するのがより簡単だから。
  • 丸型の蓋は丸いマンホール穴に対して、うまくはまるように回転させる必要が無いから。
  • 丸い形状なら簡単に転がして移動できるから。
  • 文化的理由。

など、様々なものがあるが、明確な理由はない。

排水口を兼ねた蓋は丸い形状のものもあるが、長方形(四角形)が一般的となっている。

アメリカ合衆国ニューハンプシャー州の都市ナシュアには、地下での流れの方向を指し示す三角形のマンホールの蓋があり、これはアメリカ国内でも独特のものと思われる。しかし、地元の鋳造場で生産された同市内にある三角形のマンホールの蓋は今や消えつつあり、こうした三角形の蓋は現代の安全基準に合わず、また、ある程度以上の大きさのものも見られない。

収集と盗難[編集]

蓋は収集品としてはあまりに大きすぎるにも関わらず、その遍在と数多くの模様、表面に刻まれている記述や描写[注釈 1][1]が、世界中で多くの人々を収集へと駆り立てている。[誰によって?]日本では主に写真や写生によって蓋が“収集”されるが、その多くはただの表面的な関心に起因する最近の具象模様付きデザイン蓋だけの単なる収集に過ぎない[注釈 2]。その一方で歴史的に貴重な蓋を学術的見地から分類研究する本格的な研究者も存在する。詳細については後述する。

またその重量や扱いにくい性質にもかかわらず、マンホールの蓋は時折盗まれることがあり、特に金属の価格が上昇した際は、スクラップ部品として転売されてしまうことが多い。[要出典]

近年における鉄価格の高騰は、マンホールの蓋を含め、電柱や鉄道の線路など多くの鉄製品の再利用や盗難を促進する結果となった。中国政府はマンホールの蓋の窃盗を減らすべく奮闘し、2004年に24000件を数えた蓋の年間窃盗件数を、その翌年に4000件にまで減らすことに成功した。[要出典]

日本のマンホール蓋[編集]

日本では、前述のように「わざわざ目立たせるように作られた」最近のデザインマンホールを収集して、ただ喜んでいるだけの人々が21世紀に入った頃から雨後の筍の如く増殖する[注釈 3][注釈 2]一方で、専ら明治時代の黎明期から第二次世界大戦前までの産業遺産的価値のある蓋(むしろ最近の蓋よりもデザイン的に凝っており一種の謎解きが必要な場合もある)の残存状況や、当時の蓋の意匠の地域的分布傾向(これには上下水道の設計に携わった技術者が多大な影響を与える)、更には市町村合併により半世紀以上前に消滅した自治体の名称や紋章が入った蓋の残存状況等を、産業考古学的見地から学術的に数十年にわたって調査研究している本格的な研究者(例えば林丈二[注釈 4]栗原岳[注釈 5])も少数ながら居り、その世界は奥が深い[3]


近年のマンホール蓋に於ける問題点[編集]

本来、マンホール蓋表面の紋様はスリップ防止の為に付けられている物だが、近年散見される具象模様付の蓋[注釈 6]は、旧来の単純な幾何学模様の蓋に比べて平面の部分が増加した物も多く、耐スリップ性の観点からは機能的に退化していると言わざるを得ない。また、製造コストの面でもカラーマンホールと呼ばれる色付の蓋は当然高価であり、関心の無い多くの人々から見れば税金の無駄遣い以外の何物でもない。このような観点から、自治体によっては20世紀末から21世紀初頭にかけての一時期、流行に乗じて安易に具象模様付の蓋を採用したものの、ごく最近になってそれを中止[注釈 7][注釈 2]し、最新の耐スリップ性に優れた細かい幾何学模様の質実剛健なマンホール蓋を採用している例もあり、機能性、コスト面の双方から高く評価されるべき事例である[4][† 2][5]

歴史的なマンホール蓋[編集]

日本で最初の下水道は、1881年(明治14年)の横浜居留地で、神奈川県御用掛(技師)の三田善太郎がこの下水道の設計を行ない、その時に「マンホール」を「人孔」と翻訳したのではないかと言われている。この時設置された蓋は鋳鉄製格子状だったとも木製格子状だったとも言われており、詳細については不明である[† 3]

間違いなく鋳鉄製の蓋が使用されたのは、1885年(明治18年)の神田下水(東京)の「鋳鉄製格子形」が嚆矢とされている[† 3]。鋳鉄製格子形の物は実際に2000年代まで東京都千代田区神田岩本町に残存していたのが林丈二、栗原岳により確認されており、寸法や格子の穴の数まで神田下水当時の図面に描かれた蓋[† 4]と同一であった。また、北海道函館市入舟町には1897年(明治30年)頃の物と推察される鋳鉄製格子形の蓋が2015年7月時点で幾つか現存しており[注釈 8]、国内現役最古のマンホール蓋の可能性がある。

現在の蓋の原形は、明治から大正にかけて、東京帝国大学で教鞭をとると同時に、内務省の技師として全国の上下水道を指導していた中島鋭治が、1904年(明治37年)から1907年(明治40年)にかけて東京市の下水道を設計するとき[‡ 1]に西欧のマンホールを参考に考案した。この当時の紋様が東京市型(このページ冒頭の写真参照)と呼ばれ、中島門下生が全国に散るとともに広まってゆき、その後、1958年(昭和33年)にマンホール蓋のJIS規格(JIS A 5506)が制定された際に、この紋様がJIS模様になった。一方、名古屋市の創設下水道(1907年=明治40年起工[‡ 2])の専任技師だった茂庭忠次郎は、その後内務省土木局に入り、全国の上下水道技術を指導した折に名古屋市型(このページ冒頭2枚目の写真参照)を推めた為、名古屋市型紋様も全国的に広まっていった[† 3]

コンクリート製マンホール蓋は、1932年(昭和7年)頃、東京の隅田川にかかる小台橋近くの工場で森勝吉が製造したのが嚆矢[† 5]とされ、ダイヤ型のガス抜き穴が開いた物であった。「森式」、或いは「小台型」と呼ばれ、特に金属が不足した支那事変以降、戦時中にかけて多用されたと言われている[† 5]。現在でも、このダイヤ穴の物は稀に見かける。

以上、下水道関係のマンホール蓋について簡単に述べたが、他に上水道、電話、電力、ガスといった事業体でもマンホール蓋は存在する。

ギャラリー[編集]

以下のギャラリーでは事業体別に主に戦前製の蓋を掲載している。

下水道関係[編集]

この項ではマンホール蓋の代表格である下水道関係の蓋を取り扱うが、厳密にはマンホールと呼べない桝蓋類や形状的に共通点の多い防火水槽蓋も一部掲載する。歴史的に重要な物やデザイン的に凝った物を冒頭部分で掲載し、その後はほぼ北から順に並べてある。

上水道関係[編集]

この項では上水道関係の蓋を取り扱う。上水道のマンホールというのは存在はするが、下水道に比べて稀な存在の為、厳密にはマンホールとは呼べない消火栓蓋の写真が中心となる。また、制水弁、量水器等の小型の蓋も一部掲載している。歴史的に重要な物やデザイン的に凝った物を冒頭部分で掲載し、その後はほぼ北から順に並べてある。

電信電話関係[編集]

この項では電信電話関係のマンホール蓋、ハンドホール蓋を取り扱う。 1885年(明治18年)に逓信省が設置され、郵政事業と電信電話事業を取り扱う事となった。その後、1949年(昭和24年)に郵政事業は郵政省、電信電話事業は電気通信省に分離され、旧逓信省の紋章は郵政省が引き継ぎ、電気通信省は新たな紋章を制定した。そして1952年には電気通信省が日本電信電話公社となり、電気通信省の紋章を引き継いだ[† 46]。従って、旧逓信省の紋章(逓信の頭文字「テ」をデザインした物で現在は郵便マークとして認識されている)が入った蓋は1949年(昭和24年)以前に設置された物である。

電力関係[編集]

この項では戦前に存在した電力会社、電力供給事業体のマンホール蓋を取り扱う。戦前は東京電燈(株)、東邦電力(株)、大同電力(株)、宇治川電気(株)、日本電力(株)の5大電力会社が存在し、自由競争の時代があった為、その他にも主な電鉄会社が鉄道業の傍ら、電力供給事業に参入するケースが多かった。

ガス関係[編集]

この項では戦前に存在したガス会社、ガス供給事業体の蓋を取り扱う。現在、都市ガス供給事業は比較的広範囲で1社独占となっているが、戦前は供給区域が非常に狭い小規模ガス会社が多数存在した。ガス管上にあるマンホールは非常に数が少なく、近年まで残存した戦前の蓋で大型の物は殆ど無いので、小蓋類の掲載にとどめる。

東京都下水道局のマンホール[編集]

2002年度に布設された合流管

東京都下水道局23区管轄において、2001年度以降に導入された新しいマンホールの蓋にはマンホールの固有番号および管きょ(下水道)の布設年度(西暦)が記されている。四つ並んでいるうちの一番左の数字は管理図内の人孔番号(01〜99)で黄色が合流管・汚水管、青色が雨水管というように区別されている。中央の二つが管理図内の固有記号(0Aのように数字とアルファベットの組み合わせ)で緑色のみ。一番右の数字は管きょ布設年度の西暦下二桁(00〜99)で黄色が1900年代1999年度まで)、青色が2000年代2000年度以降)というように区別されている。

下水道局では23区内の下水道管きょを管理図で把握しており、固有番号は管理図の番号・記号と対応している。なお、新しいマンホールの蓋の設置は、管きょの新設時や蓋の取り替え時などに行われる[14]

デザインマンホール[編集]

日本の多くの自治体ではその地域の名産や特色をモチーフにしているデザインマンホールが導入されている(色付きのものはカラーマンホールとも呼ばれる)。特に下水道関連のマンホールでは多種多様なデザインが見受けられる。

逸話[編集]

スロバキアの首都ブラチスラヴァにあるマンホールの蓋と作業員を模ったオブジェ。

レーシングカーは蓋を持ち上げられるか[編集]

現代のレーシングカーは、その空気力学的な力によりかなりの真空状態を作り出し、マンホールの蓋をも地面から持ち上げる。そのため都市部でのレース中は、マンホールの蓋は競技車両を損傷から守るため溶接される。1990年カナダモントリオールで行われたスポーツカー世界選手権レース中、ヘスス・パレハが乗るポルシェ962に前方の車の地面効果によって持ち上げられたマンホールの蓋が衝突、パレハのシャシーは炎上・全損した。[要出典]

蓋は宇宙空間で最初の人工物か[編集]

都市伝説においては、マンホールの蓋が1950年代の地下核実験中に、爆風の圧力のためシャフトから猛スピードで発射され、第一宇宙速度を超えて宇宙空間に飛び出したという話がある。この話は1957年8月27日プラムボブ作戦中に実際に起こった事件に基づいたもので、実験中に重い鋼鉄板が試験シャフトからものすごい速さで吹き飛び、その後再び発見されることは無かったという事例だった。その鋼鉄板が本当に大気圏を飛び出していったかどうかは定かではない。[要出典]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 上部に具象模様付きのデザインを施したものもある。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 栗原岳の調査による
  3. ^ この頃からデザインマンホールを扱う個人のホームページやブログが増加の一途を辿っている
  4. ^ マンホールのふた(日本篇)、マンホールの蓋(ヨーロッパ篇)の2冊を上梓。
  5. ^ 日本土木工業協会刊行 建設業界誌に連載のエッセイで歴史的マンホール蓋について詳細に記述
  6. ^ 1980年代頃から出現し始め一気に全国に波及した
  7. ^ 2010年代になってやや増加傾向にある
  8. ^ 北海道庁函館支庁1899年(明治32年)発行 函館港改良工事報文に掲載の図面に描かれた物と同一の蓋が図面と同位置に現存
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 東京市域拡張(旧15区→35区)の1932年(昭和7年)以前。1932年(昭和7年)に東京市に編入された。
  10. ^ 戦前製で左書きの蓋は各地に散在する
  11. ^ 横浜市役所 1920年(大正9年)発行 横浜市水道第二拡張誌附図に当該蓋の図面が掲載されている
  12. ^ 中島工学博士記念『日本水道史』では「消火栓」と「防火栓」の二通りの記述が混在している
  13. ^ a b c d 林丈二の調査による

出典[編集]

『マンホールのふた』を出典とするもの[編集]

  1. ^ 『マンホールのふた』、136頁。
  2. ^ 『マンホールのふた』、176-177頁。
  3. ^ a b c 『マンホールのふた』、177-178頁。
  4. ^ 『マンホールのふた』、45頁。
  5. ^ a b c 『マンホールのふた』、63頁。
  6. ^ a b 『マンホールのふた』、148頁。
  7. ^ a b 『マンホールのふた』、60頁。
  8. ^ 『マンホールのふた』、56頁。
  9. ^ 『マンホールのふた』、164頁。
  10. ^ 『マンホールのふた』、163頁。
  11. ^ 『マンホールのふた』、188頁。
  12. ^ 『マンホールのふた』、53-54頁。
  13. ^ 『マンホールのふた』、55頁。
  14. ^ a b 『マンホールのふた』、57頁。
  15. ^ a b 『マンホールのふた』、58頁。
  16. ^ a b 『マンホールのふた』、59頁。
  17. ^ 『マンホールのふた』、147頁。
  18. ^ a b 『マンホールのふた』、136-137頁。
  19. ^ a b 『マンホールのふた』、139頁。
  20. ^ 『マンホールのふた』、128頁。
  21. ^ a b 『マンホールのふた』、117頁。
  22. ^ 『マンホールのふた』、95頁。
  23. ^ 『マンホールのふた』、144-146頁。
  24. ^ 『マンホールのふた』、145頁。
  25. ^ 『マンホールのふた』、144頁。
  26. ^ a b c 『マンホールのふた』、181頁。
  27. ^ 『マンホールのふた』、38-39頁。
  28. ^ a b c 『マンホールのふた』、165頁。
  29. ^ a b 『マンホールのふた』、138-139頁。
  30. ^ 『マンホールのふた』、162頁。
  31. ^ a b 『マンホールのふた』、20頁。
  32. ^ 『マンホールのふた』、161頁。
  33. ^ 『マンホールのふた』、159頁。
  34. ^ 『マンホールのふた』、19-20頁。
  35. ^ 『マンホールのふた』、21頁。
  36. ^ 『マンホールのふた』、44頁。
  37. ^ 『マンホールのふた』、27頁。
  38. ^ 『マンホールのふた』、143頁。
  39. ^ 『マンホールのふた』、146頁。
  40. ^ 『マンホールのふた』、169頁。
  41. ^ 『マンホールのふた』、141頁。
  42. ^ 『マンホールのふた』、134頁。
  43. ^ 『マンホールのふた』、127頁。
  44. ^ 『マンホールのふた』、119頁。
  45. ^ 『マンホールのふた』、98頁。
  46. ^ 『マンホールのふた』、64頁。
  47. ^ 『マンホールのふた』、111,113。
  48. ^ 『マンホールのふた』、73頁。
  49. ^ a b 『マンホールのふた』、123頁。
  50. ^ a b 『マンホールのふた』、130頁。

『中島工学博士記念 日本水道史』を出典とするもの[編集]

  1. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、727-769頁。
  2. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、789-800頁。
  3. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、785頁。
  4. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、720-726頁。
  5. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、777-782頁。
  6. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、769-771頁。
  7. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、771-773頁。
  8. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、786-788頁。
  9. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、807-810頁。
  10. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、801-804頁。
  11. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、820-822頁。
  12. ^ a b 『中島工学博士記念 日本水道史』、834-836頁。
  13. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、823-826頁。
  14. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、828-830頁。
  15. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、832-834頁。
  16. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、830-832頁。
  17. ^ a b 『中島工学博士記念 日本水道史』、836頁。
  18. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、837頁。
  19. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、363頁。
  20. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、358頁。
  21. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、361-363頁。
  22. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、457頁。
  23. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、450頁。
  24. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、423-425頁。
  25. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、418-422頁。
  26. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、414-415頁。
  27. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、394-395頁。
  28. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、389-391頁。
  29. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、396-399頁。
  30. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、404-405頁。
  31. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、367-369頁。
  32. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、380頁。
  33. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、381-385頁。
  34. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、364頁。
  35. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、429-432頁。
  36. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、432頁。
  37. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、437-439頁。
  38. ^ a b 『中島工学博士記念 日本水道史』、479-480頁。
  39. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、439頁。
  40. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、459-461頁。
  41. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、445-447頁。
  42. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、454-455頁。
  43. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、443-445頁。
  44. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、455頁。
  45. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、453頁。
  46. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、463頁。
  47. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、516-517頁。
  48. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、510-516頁。
  49. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、519頁。
  50. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、520-530頁。
  51. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、549-551頁。
  52. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、552-554頁。
  53. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、554-555頁。
  54. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、554頁。
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  57. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、573-578頁。
  58. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、581-582頁。
  59. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、583頁。
  60. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、570-571頁。
  61. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、583-586頁。
  62. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、587-588頁。
  63. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、602頁。
  64. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、600-601頁。
  65. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、596-599頁。
  66. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、590-596頁。
  67. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、603-605頁。
  68. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、605-607頁。
  69. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、617頁。
  70. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、615-617頁。
  71. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、614-615頁。
  72. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、615頁。
  73. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、642-644頁。
  74. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、646-650頁。
  75. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、654頁。
  76. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、650-652頁。
  77. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、659-661頁。
  78. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、630-632頁。
  79. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、633頁。
  80. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、625-628頁。
  81. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、661-664頁。
  82. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、391-392頁。
  83. ^ 『中島工学博士記念 日本水道史』、355-356頁。

『東京都水道史』を出典とするもの[編集]

  1. ^ 『東京都水道史』、5-6頁。
  2. ^ 『東京都水道史』、216,318。
  3. ^ 『東京都水道史』、322-327頁。
  4. ^ 『東京都水道史』、332-333頁。
  5. ^ 『東京都水道史』、312-318頁。
  6. ^ 『東京都水道史』、327-329頁。
  7. ^ 『東京都水道史』、329-331頁。
  8. ^ a b 『東京都水道史』、359-367頁。
  9. ^ 『東京都水道史』、44-54頁。

そのほかの出典[編集]

  1. ^ a b c 意匠分類定義カード(L2) (PDF)”. 特許庁. 2016年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c 身もフタもある ご当地マンホール - ウェイバックマシン(2013年5月21日アーカイブ分)
  3. ^ 林丈二 サイエンティスト社刊 マンホールのふた(日本篇)
  4. ^ 伊藤哲男 『マンホール鉄蓋』 東京出版センター、1967年、72-78頁。
  5. ^ 栗原岳『建設業界』、日本土木工業協会、2001年11月、 50-51頁、 ISSN 03862054
  6. ^ 栗原岳『建設業界』、日本土木工業協会、2001年11月、 50頁、 ISSN 03862054
  7. ^ 栗原岳『建設業界』、日本土木工業協会、2001年10月、 38頁、 ISSN 03862054
  8. ^ 神戸新聞. (1991年1月10日) 
  9. ^ a b 『神奈川県営水道六十年史』、847頁。
  10. ^ 栗原岳『建設業界』、日本土木工業協会、2001年11月、 48-49頁、 ISSN 03862054
  11. ^ a b c 社団法人日本水道協会 『日本水道史』、238-243頁。
  12. ^ 栗原岳『建設業界』、日本土木工業協会、2001年10月、 36頁、 ISSN 03862054
  13. ^ 栗原岳『建設業界』、日本土木工業協会、2001年10月、 37頁、 ISSN 03862054
  14. ^ マンホールのふたが変わります -固有のマンホール番号を付けました-”. 東京都下水道局 (2001年3月26日). 2016年10月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • 林丈二 『マンホールのふた 日本篇』 サイエンティスト社1984年ISBN 978-4914903275
  • 『中島工学博士記念 日本水道史』 中島工学博士記念事業会、中島工学博士記念事業会、1927年
  • 東京都水道局 『東京都水道史』 東京都水道局、1952年
  • 社団法人日本水道協会 『日本水道史』 社団法人日本水道協会、1967年
  • 神奈川県営水道六十年年史編集委員会 『神奈川県営水道六十年史』 神奈川県企業庁、1994年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]