ボンボン・マルコス

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ボンボン・マルコス
Bongbong Marcos
Bongbong Marcos 2019.jpg
生年月日 (1957-09-23) 1957年9月23日(64歳)
出生地 Flag of the Philippines (1936–1985, 1986–1998).svg フィリピン
マニラ首都圏マニラ
出身校 オックスフォード大学
ウォートン・スクール
前職 上院議員
所属政党 新社会運動(1980年 - 2009年)
国民党(2009年 - 2021年)
フィリピン連邦党(2021年 - )
配偶者
ルイーズ・アラネタ (m. 1993)
親族 フェルディナンド・マルコス
イメルダ・マルコス
サイン Bongbong Marcos Signature.svg
公式サイト Official website

在任期間 2010年6月30日 - 2016年6月30日

選挙区 北イロコス州第2地区
在任期間 1992年6月30日 - 1995年6月30日
2007年6月30日 - 2010年6月30日

在任期間 1983年 - 1986年
1998年6月30日 - 2007年6月30日

在任期間 1980年 - 1983年
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フェルディナンド・ロムアルデス・マルコス・ジュニアFerdinand Romualdez Marcos Jr.、通称:ボンボン・マルコスBongbong Marcos1957年9月23日 - )は、フィリピン政治家。かつて北イロコス州知事や下院議員上院議員を務めた。実父はフィリピンの元大統領フェルディナンド・マルコス、実母はイメルダ・マルコスである。

来歴[編集]

1982年にマルコス一家がペンタゴンを訪れた際の写真。

1957年マニラ首都圏マニラ市でフェルディナンド・マルコス(シニア)とイメルダ・マルコスの長男(第二子)として生まれる。1970年イギリスに送られ、ウェスト・サセックスのワース・スクールに入学した。その後、オックスフォード大学セント・エドモンド・ホールに入学。ここで哲学・政治学・経済学コース(PPE)を学び、学士号を取得したと言われていたが、実際は虚偽で、非卒業者に渡される「特別卒業証書」を取得していた[1]。その後、アメリカ合衆国フィラデルフィアペンシルベニア大学ウォートン・スクール経営学修士課程に進学するも修了しないままフィリピンに戻った。

1980年、当時フィリピンを統治していた新社会運動の下、無投票で北イロコス州副知事に就任した。その後、1983年に州知事に就任した。1986年エドゥサ革命により、父・シニア政権は打倒され、一家は米軍によりアメリカ合衆国ハワイ州に連れだされ、結果亡命移住生活をした。

シニアが1989年にハワイ州で死去した後、コラソン・アキノ大統領はマルコス家の帰国を許可し、一家はフィリピンに戻った。権力基盤の再構築を開始し、1992年から1995年には北イロコス州第2区地区選出の下院議員を務め、1998年には再び北イロコス州知事に正当な選挙による当選で就任した。

2010年上院議員に当選したが、2015年8月26日のテレビ番組内で、大統領選挙への出馬を示唆し[2]、その後2016年フィリピン大統領選挙において副大統領候補として出馬し、エドゥサ革命のことを隠して、漫画を使った自伝で選挙戦を展開したが、対立候補のレニー・ロブレドに敗北した[3]

2021年10月5日、自身のフェイスブック上で2022年フィリピン大統領選挙に出馬することを表明した[4]。その後、11月13日には現職ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の娘でダバオ市長のサラ・ドゥテルテが、大統領選挙への立候補を取りやめ、副大統領選挙に立候補し、マルコスと連携することを発表した[5]

2022年5月9日のフィリピン大統領選挙において、相手候補のレニー・ロブレドに開票途中で2倍以上の差をつけ[6][7]て圧勝した[8]

脚注[編集]

外部リンク[編集]