ベニグノ・アキノ3世

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ベニグノ・アキノ3世
Benigno Aquino III
Noynoy Aquino.jpg

任期 2010年6月30日
副大統領 ジェジョマール・ビナイ

任期 2007年6月30日 – 2010年6月30日

任期 1998年6月30日 – 2007年6月30日

出生 1960年2月8日(55歳)
フィリピンの旗 フィリピン マニラ
政党 自由党
配偶者
署名 Nonoy Aquino Signature.svg

ベニグノ・シメオン・コファンコ・アキノ3世Benigno Simeon Cojuangco Aquino III1960年2月8日 - )は、フィリピン政治家。第15代フィリピン共和国大統領コラソン・アキノ元大統領と、ベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員の唯一の息子である。通称はノイノイ(Noynoy)。

アテネオ・デ・マニラ大学卒業。母の大統領在任中に発生し失敗したクーデターの際、反乱軍の兵士によって負傷させられた。1998年の第11回議会選挙にてタルラック州第2地区より下院議員に当選。2007年の第14回議会選挙で上院議員に当選した。

テレビの司会者で女優のクリス・アキノは妹。

来歴[編集]

1960年2月8日生まれ。タルラック州の副知事であったベニグノ・アキノ・ジュニアコラソン・アキノの3番目の子である。マリア・エリーナ(愛称バルシー)、オーロラ・コラゾン(ピンキー)、ビクトリア・イライザ(ビエール)、そしてクリスティーナ・ベルナデット(クリス)の4人の姉妹がいる。

アテネオ・デ・マニラ大学で初等教育から高校、大学まで学び、1981年に経済学学士を取得し卒業。その後、アメリカ合衆国に追放されていた家族とボストンで合流した。

1983年、父がマニラ国際空港暗殺された後、短い間フィリピンの企業「フィリピン・ビジネス・フォー・ソーシャルプログレス」の社員だった。1985年から1986年にかけて小売販売の監督、フィリピンにおけるナイキの若者向け販売促進のアシスタント、そして後にフィリピンのモンドラゴンの広告、販売促進のアシスタントを務めた。1986年に、同族会社であるイントラ・ストラータ保証会社の副社長となった。

1986年11月、母のアキノ大統領の国賓訪日に同行。

1987年8月28日に、グレゴリオ・ホナサンによって起こされたクーデター未遂事件では、アキノは襲撃された大統領府マラカニアン宮殿から道2本離れたところにいた。彼の4人の警護官のうち3人が犠牲となり、最後の一人は彼を守りながら負傷した。アキノ自身も5発被弾し、そのうち1発は今なお彼の首に留まったままである[1]

1993年には、コファンコ一族が所有していた精糖プラントのセントラル・アズカレラ・デ・ターラックに勤務した。

政歴[編集]

下院議員[編集]

1998年の選挙でタルラック州第2選挙区より下院議員に当選。以来、多くの委員会の委員を務めた。

上院議員[編集]

制限によりタルラック州第2選挙区からの下院議員の4選は禁じられているため、2007年3月15日の総選挙で「真の野党」より上院議員に当選した。「真の野党」は彼の自由党を含むいくつかの政党の連合体であり、グロリア・アロヨ大統領による憲法改正の阻止を目的としている。選挙運動では妹でテレビ司会者のクリス、それに母親のアキノ元大統領の支援を受けた。彼自身はカトリック教徒であるが、フィリピンで最大のプロテスタント教会の一つである「イエスは主である」より支援を受け[2][3][4]、1430万票を獲得した。改選数12人のところに立候補した37人の中で6番目の多さであった。2007年6月30日に新しいオフィスを構える。

選挙のさなか、以前の敵であるグレゴリオ・ホナサン上院議員と連絡を取ろうと試み、彼の保釈をサポートした。彼は2007年3月5日に「私はホナサンの保釈を要請する。私は彼らによって首と尻を撃たれたが、それはもはや過去のことである。私の父の原則は『敵の権利も尊重せよ』であった。真の和解は民主主義の中で進む」と『セブ日報』に対して語っている[5]。彼は1987年1989年の母親に対するクーデター計画について言及してきており、先述の通り最初のクーデターでは重症を負っていた[6]

自由党では事務総長やルソンの副党首など様々なポストを経験しており、2006年3月17日より同党の副議長を務めた。

2010年大統領選挙[編集]

2009年に、母で元大統領であるコラソン・アキノが死去したのを契機に、母の跡をおって大統領職へ挑戦するよう周辺の期待が高まる。そして2010年大統領選挙への出馬の意思を固める。大波のような彼に対する支持は「ノイノイ現象」と呼ばれるようになった[7]

まず弁護士と活動家のグループがNAPM(Noynoy Aquino for President Movement、ノイノイ大統領推進運動)を結成した。そして有力な亡きビジネスマンの息子である、チノ・ロセスによって、大統領選に立候補するようアキノを促すための、100万名もの署名を集めるキャンペーンが実施され、黄色のリストバンドNOYNOY It's my PRESIDENT)が作成された。8月の最後の週末に、アキノは彼の自由党の仲間であるマル・ロハス上院議員と[8]大統領選のために何をすべきか決めるために数日かけて話しあった。

2009年9月1日、サンファン市グリーンヒルズのクラブ・フィリピーノにおいて、自由党の有力な大統領候補であったロハス上院議員が出馬辞退を表明し、アキノ立候補を支援すると発表した。

母親が死去して40日後の2009年9月9日、サンファン市グリーンヒルズのクラブ・フィリピーノにおいて記者会見し、大統領選挙への正式出馬を表明した。それは1986年2月に母が大統領就任式を行った場所でもあった[9]

アキノは、フィリピン国民の健康と教育に対する投資、また不正や汚職賄賂貧困と戦うことを選挙公約として選挙戦を戦い[7]、2010年5月の投開票の結果2位以下を大幅に引き離して当選を確実とした後、2010年6月8日に行われたフィリピン議会上下両院合同委員会の公式集計で最終的に1520万8678票を獲得したことにより、正式に大統領選挙の当選が確定した[10]

大統領職[編集]

ベニグノ・アキノ3世の第15代フィリピン共和国大統領就任式は、2010年6月30日に首都マニラのリサール公園内で執り行われた。彼は就任演説で、国民を貧困から脱却させること、教育施設やインフラの整備、医療サービスなどを最優先に取り組むと述べるとともに、民主主義のために、命を捧げた両親の遺産を引き継ぐことを強調した。大統領の任期は6年(2016年6月29日まで)。

カトリック教徒であるが、その教えに反する避妊について肯定的な見方を取っている。2010年9月30日、フィリピン司教協議会(The Catholic Bishops' Conference of the Philippines)会長は、彼のフィリピン人夫婦に、人工的な産児制限の為の避妊具避妊薬を支給するという『リプロダクティブ・ヘルス法案』に対する支持により、カトリック教会からの破門に直面するだろうと発言した [11]。しかし、破門の可能性にもかかわらず、アキノは避妊薬や避妊具の使用についての立場を変えないと語った[12]

フィリピンの地方部における貧困解消は、森林破壊型の開発とトレード状態になっており、21世紀に入っても、森林面積の減少が続いている。大統領に就任後、2016年までの任期中に、150万haの面積に15億本の苗木を植えるとする、森林回復に向けた植林プログラムを実施している[13]

2015年6月2日から6月5日、国賓として訪日。

私生活[編集]

射撃ビリヤードの熱狂的なファン[14]。またオーディオマニアでもあり、メロウな音楽、ボサノバ、オリジナル・フィリピン・ミュージックを好む。また、フランシスコ・タタド前上院議員の姪でバレンズエラ市議員のシャラーニ・ソレダードは恋人[15][16]であったが、現在では破局している。独身であり、フィリピンの大統領経験者で唯一の未婚である。紙巻きたばこを1日2箱を喫煙する愛煙家で、大統領選の期間中「当選したらタバコをやめる」と宣言していたが、「(大統領就任で)重圧が増える」として、就任前に禁煙を断念した[17]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Pazzibugan, Dona (2007年8月21日). “Noynoy Aquino also rises”. INQUIRER.net. 2010年1月25日閲覧。
  2. ^ 11 days to E-Day”. GMANews.TV (2007年5月3日). 2009年9月1日閲覧。
  3. ^ JIL backs Loren, Noynoy, Koko, Kiko in Senate race”. GMANews.TV (2007年5月3日). 2009年9月1日閲覧。
  4. ^ Brother Eddie Villanueva endorses 3 more GO bets” (2007年5月3日). 2007年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月1日閲覧。
  5. ^ Tabada, Job (2007年3月5日). “Reconcile this”. Straight Jab (Cebu Daily News). http://globalnation.inquirer.net/cebudailynews/opinion/view/20070305-52984/Reconcile_this 2010年5月5日閲覧。 
  6. ^ ABS-CBN News Online Beta”. Abs-cbnnews.com. 2009年9月1日閲覧。
  7. ^ a b Candidate Profiles: Benigno Simeon 'Noynoy' Cojuangco Aquino III
  8. ^ Roxas throws support for Aquino in 2010---The Philippine Daily Inquirer
  9. ^ Ager, Maila (2009年9月9日). “Aquino declares presidential bid”. INQUIRER.net. 2010年1月25日閲覧。
  10. ^ アキノ氏、大統領に当選 讀賣新聞 2010年6月8日閲覧
  11. ^ CBCP head: Aquino might be excommunicated for contraceptive stance"
  12. ^ CBCP head: Aquino might be excommunicated for contraceptive stance"
  13. ^ “フィリピン、植林の世界記録更新か 1時間に約320万本”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年9月28日). http://www.afpbb.com/articles/-/3027289?ctm_campaign=txt_topics 2014年9月29日閲覧。 
  14. ^ Senator Benigno S. Aquino III”. Senate of the Philippines. 2010年1月25日閲覧。
  15. ^ Noynoy’s girlfriend to stand by her man”. 2010年5月7日閲覧。
  16. ^ Noynoy's ‘girlfriend’ being groomed for Congress”. 2010年5月7日閲覧。
  17. ^ フィリピン:アキノ大統領 公約の「禁煙」、就任前に断念 毎日新聞 2010年6月14日閲覧