ビリー・マイヤー (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ビリー・マイヤー
Billy Meyer
Bill meyer card.jpg
マイヤーのベースボールカード(1951年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テネシー州ノックス郡ノックスビル
生年月日 (1892-01-14) 1892年1月14日
没年月日 (1957-03-31) 1957年3月31日(65歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1910年
初出場 1913年9月6日
最終出場 1917年9月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィリアム・アダム・マイヤーWilliam Adam Meyer, 1892年1月14日 - 1957年3月31日)は、アメリカ合衆国テネシー州ノックス郡ノックスビル出身の元プロ野球選手捕手)、監督。右投右打。

経歴[編集]

現役時代、選手としては1910年代にシカゴ・ホワイトソックスフィラデルフィア・アスレチックスでプレーしたが、3年間で113試合にしか出場していない。

引退後の1926年、後に殿堂入りすることになるジョー・マッカーシーの後任としてAA級ルイビル・カーネルズの監督に就任した。早速この年に優勝したが、その後1947年までの間に8度優勝をもたらし、マイナーリーグで監督としての才能を発揮した。

1948年にはピッツバーグ・パイレーツの監督に就任した。この年は4位にもかかわらずスポーティングニュース社選定の「最優秀監督」として表彰された。2年目以降は6、8、7、8位と低迷を繰り返したが、ファン、選手、報道陣には大いに慕われたという。

マイヤーの背番号「1」。
ピッツバーグ・パイレーツの永久欠番1954年指定。

監督退任後はパイレーツのスカウトを務め、1957年3月31日に死去した。1954年にマイヤーの背番号『1』はパイレーツの永久欠番に指定されており、5年間の監督在任時に着けていたものである[1]

また、マイヤーの故郷・ノックスビルに1953年に建てられた野球場はマイヤーの名を取り、ビリー・マイヤー・スタジアムとして、AA級マイナーリーグチームノックスビル・スモーキーズの本拠地として長く使われた。1999年に球場は閉鎖され、2003年に解体されている。

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 1 (1948年 - 1952年)

脚注[編集]

  1. ^ 「球団別永久欠番物語 第6回 ピッツバーグ・パイレーツ」『月刊メジャー・リーグ』 2001年1月号 ベースボール・マガジン社 82頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]