ツァラトゥストラはこう語った

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ツァラトゥストラはこう語った』(ツァラトゥストラはこうかたった、Also sprach Zarathustra)は、1885年に発表された、ドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作。「ツァラトゥストラはかく語りき」、「ツァラトゥストラはかく語れり」、「ツァラトゥストラはこう言った」等とも訳される。全4部から構成されている。

概要[編集]

1844年に生まれたニーチェは、ボン大学で学んだ後、ライプツィヒ大学に移り、そこで文献学者リッチェルの指導を受けた。ニーチェは、ここで古代の古典的文献を復元し、読解する古典文献学の専門家として大成し、20代の若さであったにもかかわらず、文献学の教授となった。しかし、健康上の理由から、辞職し療養生活に入ることになった。本書を含めて、ニーチェの哲学の著作の多くが執筆されたのは、この時期である。本書は、第1部から第4部で構成されており、長期間にわたる執筆によって完成された。1883年に第1部と第2部、そして1884年に第3部、1885年に第4部(私家版)が執筆された。なお、執筆した本がほとんど売れる事もなく不遇の晩年送ったため、第4部は自費出版による初版40部が印刷されたのみで、その一部が親戚や知り合いに配布されただけだった。この執筆活動は、第4部を除いてそれぞれの部が10日間程度で書き上げられ、1886年には第1部から第3部の新版が発表され、1891年には4部作として刊行された。

本書は、後期ニーチェの重要な哲学的研究のひとつであり、19世紀末期におけるヨーロッパの没落を背景としながら、キリスト教的な理想に代わる超人(Übermensch)の思想が展開されている。その基本的な内容は、ツァラトゥストラを主人公とする物語と言える。山に篭もっていたツァラトゥストラは、神が死んだことを知り、絶対者がいなくなった世界で、超人を人々に教えようとする。しかし、それは失敗に終わってしまう。そこで、ツァラトゥストラは、自分の思想を理解する人を探し始めるが、結局は弟子を棄ててしまう。そして、ツァラトゥストラは、孤独な思索のうちに人々に対して、自らの思想を語ることを控えることを決めた。こうして、ツァラトゥストラは、山に帰郷することになる。山の中で、ツァラトゥストラは、何人かの特別に高等な人々と会い、彼らとの交流の中で歓喜する。最後には、ツァラトゥストラが再び山を降りることで、物語は締めくくられている。この一連の物語において、ニーチェは神の死、超人、そして永劫回帰の思想を散文的な文体で論じている。

テキストの背景[編集]

文体の特性[編集]

本書は、近代において書かれた哲学研究としては、独特な文体を備えている。それは、哲学書というよりも、小説や神話のような文体であり、実際に文学においても影響を与えている。ツァラトゥストラは、時には対話し、自問自答し、また詩を歌うことを通じて哲学の議論を読者に示唆している。このような文体は、議論の一貫性を通じてその論理展開を読者が理解していくのではなく、その修辞的な表現を通じて常に読者に解釈を要求するものである。たとえば、本書で登場する人物は、ツァラトゥストラ以外には固有の名前が記されておらず、道化師、隠遁者、学者、背面世界論者などと呼ばれるだけである。彼らはどのような性格を持つ者たちであるかが描写されており、彼らが特定の個人ではなく思想史における議論そのものや、観念を擬人化したものであることが、寓話の形式で示唆される。この著作では、その意味で混合散文の文体に特徴付けられる。

ツァラトゥストラ[編集]

ニーチェの初期の思想におけるディオニュソス概念がツァラトゥストラに結実したこと、また永劫回帰の思想がはじめて本格的に展開されたことは、この書物の意義の一つである。ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教の開祖の名前であるザラスシュトラ(ゾロアスター)をドイツ語読みしたものである。しかし、この著作の思想は、ザラスシュトラの思想とはあまり関係がない。ニーチェ自身が『この人を見よ』で解説した内容に拠れば、ニーチェがツァラトゥストラの名を用いた理由は、二つある。第一に、最初に善悪二元論を唱えたゾロアスターは、道徳についての経験を最も積んだ者であり、道徳の矛盾を最も知っているはずだという理由である。第二に、ゾロアスター教では「誠実」を重んじ、ニーチェの重んじる「真理への誠実さ」も持つはずだという理由である。この著作は、「神は死んだ」„Gott ist tot“など、それまでの価値観に対する挑発的な記述によって幕を開け、ツァラトゥストラの口を通じて超人永劫回帰の思想が論じられている。

内容[編集]

本書の序章では山中で10年もの歳月を過ごしたツァラトゥストラが十分に知ることができたと悟り、人々に説教を行うために山を降りようとする。彼は道中で出会った隠遁者との対話で神の死を再認識し、街中で綱渡りを見るために集まった民衆に語りかけ、超人の思想を教えようとするが失敗した。綱渡りの大道芸は失敗して転落事故が起きる。ツァラトゥストラはその遺体を背負って埋葬しようとし、また弟子を求めるために説教を継続することが決意される。ここまでが本書の序章であり、以後に4部構成にわたってツァラトゥストラの物語が描かれている。

第1部[編集]

レナ・ハデス氏の絵画の載っているニーチェ著の2言語の本の表紙。出版:ロシア科学アカデミー

ニーチェはツァラトゥストラが町にて説教を行うことを記述する。美徳を論じる偽善者、プラトン主義や伝統的な形而上学を論じる背面世界の論者、または身体の軽蔑者をツァラトゥストラは批判する。そしてツァラトゥストラは魂を重視するがあまりに肉体を軽蔑する論者に対して、肉体が内包する根本を明らかにしようとする。ツァラトゥストラにとって肉体そのものがひとつの大きな理性であり、精神とは肉体の道具に他ならない。さらに自我の起源、文化、社会、国家、共同体について論じた上でツァラトゥストラはさまざまな民族がそれぞれ独自の価値観と目標を掲げ、それぞれの勝利のために争ってきたことを確認する。彼らは千の目標のために戦ってきたが、人類はまだ一つの目標を持つことができていない。またキリスト教の価値観である隣人愛の精神が自分自身への逃避であると指摘する。本来あるべき態度とは隣人に対する愛ではなく、未来に出現する者への遠人愛であると説く。そのことによってニーチェは伝統的な価値観を否定するだけでなく超人の思想を生み出すための方向性を示している。ツァラトゥストラは弟子を得ることができたが、この第1部の最後では再び弟子たちを遠ざけて一人孤独な生活へと回帰する。

第2部[編集]

第3部[編集]

第4部[編集]

日本語文献[編集]

訳書(現行版)[編集]

研究解説[編集]

その他[編集]

外部リンク[編集]