ダン・ペトレスク

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Dan Vasile Petrescu.jpg
2011年のペトレスク
名前
本名 ダニエル・ヴァシレ・ペトレスク
Daniel Vasile Petrescu
ラテン文字 Dan Petrescu
基本情報
国籍  ルーマニア
イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1967-12-22) 1967年12月22日(49歳)
出身地 ブカレスト
身長 177cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF (RSB)
利き足 右足
ユース
1977-1985 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1991 ルーマニアの旗ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 95 (26)
1986-1987 ルーマニアの旗 オルト英語版 (loan) 24 (0)
1991-1993 イタリアの旗 フォッジャ 55 (7)
1993-1994 イタリアの旗 ジェノア 24 (1)
1994-1995 イングランドの旗 シェフィールド・ウェンズデイ 39 (3)
1995-2000 イングランドの旗 チェルシー 152 (17)
2000-2001 イングランドの旗 ブラッドフォード 17 (1)
2001-2002 イングランドの旗 サウサンプトン 11 (2)
2002-2003 ルーマニアの旗 ナツィオナル英語版 20 (0)
通算 437 (57)
代表歴
1989-2000 ルーマニアの旗 ルーマニア [1] 95 (12)
監督歴
2003-2004 ルーマニアの旗 スポルトゥル
2004 ルーマニアの旗 ラピド・ブカレスト
2004-2006 ルーマニアの旗 スポルトゥル
2006 ポーランドの旗 ヴィスワ・クラクフ
2006-2009 ルーマニアの旗 ウニレア・ウルジチェニ
2009-2012 ロシアの旗 クバン
2012-2014 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ
2014-2015 カタールの旗 アル・アラビ
2015 ルーマニアの旗 トゥルグ・ムレシュ
2015-2016 中華人民共和国の旗 江蘇蘇寧
2016 ロシアの旗 クバン
2016-2017 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスルSC
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエル・ヴァシレ・"ダン"・ペトレスクDaniel Vasile "Dan" Petrescu, 1967年12月22日 - )は、ルーマニアブカレスト出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元ルーマニア代表。現役時代のポジションはディフェンダー

選手経歴[編集]

クラブ[編集]

ペトレスクはFCステアウア・ブカレストの下部組織でサッカーを学び、1986年にクラブがUEFAチャンピオンズカップ 1985-86で優勝を成し遂げた1ヵ月後にトップチームへの昇格を果たした。当初は出場機会に恵まれず、1987年にFCオルト・スコルニチェシュティへレンタル移籍したが、1年後にステアウアへ復帰を果たした。その後はレギュラーへと定着しUEFAチャンピオンズカップにおいて1988年にベスト4、翌1989年に準優勝に貢献した。

1991年にイタリアセリエBに在籍していたフォッジャ・カルチョへ移籍し、1993年にセリエA昇格に貢献すると同じくイタリアのジェノアCFCへ移籍した。1994年にイングランドプレミアリーグシェフィールド・ウェンズデイFCと契約し1シーズンを過ごした後、1995年にチェルシーFCへ移籍した。チェルシーでは1997年のFAカップ優勝、1998年のUEFAカップウィナーズカップ優勝、フットボールリーグカップ優勝に貢献するなど、5シーズンの間に中心選手として顕著な活躍を見せた。しかし2000年に監督のジャンルカ・ヴィアリと対立すると出場機会を失い、同年のFAカップ決勝、対アストン・ヴィラFC戦ではベンチ入りからも外された。

同年7月に1000万ポンドの移籍金でブラッドフォード・シティAFCへ移籍。サウサンプトンFCを経て、2002年にルーマニアへ帰国しFCナツィオナル・ブカレストへ移籍し、翌2003年5月31日のルーマニアカップ決勝、対FCディナモ・ブカレスト戦(試合は0-1で敗退)を最後に現役を引退した。

代表[編集]

ルーマニア代表としては1989年3月29日のイタリア戦で代表デビューを飾ると、翌1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会代表候補に選出されたが、怪我の影響により最終選考からは外れた。

1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会では、1次リーグ最終戦のアメリカ戦で前半18分に唯一の得点を決め決勝トーナメント進出に貢献したが、準々決勝のスウェーデン戦ではPK戦の末に敗れ去った。ペトレスクは大会を通じて5試合に出場し同国のベスト8進出に貢献した。

1996年のEURO1996では1次リーグ敗退に終わったが、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会では1次リーグ第2戦のイングランド戦において、終了間際の90分に決勝点を決め2-1の勝利に導き、同国の2大会連続となる決勝トーナメント進出に貢献した。ペトレスクは2000年のEURO2000終了後に代表から退くまで国際Aマッチ95試合に出場し12得点を記録した。

指導者経歴[編集]

引退後は指導者の道へ進み、2004年にFCラピド・ブカレストの監督に就任したが、6試合で指揮を執った後の同年10月に監督を辞任した。FCスポルトゥル・ストゥデンツェスク・ブカレストを経て2006年1月1日にポーランドヴィスワ・クラクフの監督に就任した。ペトレスクは前年優勝クラブを率いて2005-06シーズンを2位で終えたが、2006年9月18日に監督を辞任した。

同月にルーマニアへ帰国し、リーガ1に昇格したばかりのFCウニレア・ウルジチェニの監督に就任した。ウルジチェニでは2007-08シーズンにルーマニアカップ準優勝に導き、UEFAカップ出場権を獲得。2009年5月にはクラブをリーグ初優勝に導くと、2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ、グループリーグではレンジャーズFCセビージャFCVfBシュトゥットガルトを相手に2勝2分2敗の勝ち点8をあげ、決勝トーナメント進出にあと一歩のところまで詰め寄った。

2009年12月にウルジチェニの監督を辞任。同月28日にロシア・ファーストディビジョン(2部リーグに相当)のFCクバン・クラスノダールと5年契約を結んだ[2]。優勝を果たし、一年での昇格を達成。2012年8月、クバン監督を辞任し、FCディナモ・モスクワ監督に就任した。

2015年6月、ASAトゥルグ・ムレシュ監督に就任した。

2015年7月、中国スーパーリーグ江蘇蘇寧の監督に就任した[3]

2016年6月14日、FNLに降格したFCクバン・クラスノダールの監督に復帰し2年契約を交わした[4]

タイトル[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

ステアウア・ブカレスト
チェルシー

個人[編集]

指導者時代[編集]

ウニレア・ウルジチェニ
クバン
トゥルグ・ムレシュ
江蘇蘇寧

脚注[編集]

外部リンク[編集]