ダグ・リンゼイ
ダグ・リンゼイ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ダグ・ギルバート ガスハウス・ギルバート ザ・プロフェッショナル ザ・プロフェッサー スーパー・インフェルノ1号 ミスター・ハイ ダグ・リンゼイ ダグ・リンジー |
本名 | ダグラス・アレン・リンジー[1] |
身長 | 185cm[2] |
体重 | 125kg(全盛時)[2] |
誕生日 | 1937年??月??日[1] |
死亡日 | 2013年11月4日(76歳没)[2] |
出身地 |
アメリカ合衆国 インディアナ州 セントジョセフ郡ミシャワカ[1] |
スポーツ歴 |
レスリング[2] ボディビルディング[2] |
デビュー | 1957年[3] |
引退 | 1979年[3] |
ダグ・リンゼイ(Doug Lindsay、本名:Douglas Allen Lindzy、1937年 - 2013年11月4日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー[1]。インディアナ州ミシャワカ出身[2]。
ダグ・ギルバート(Doug Gilbert)のリングネームで知られるが、1990年代にフレディ・クルーガーとして度々来日したダグ・ギルバートとは別人で、血縁関係もない[3]。
来歴
[編集]10代の頃から各種のスポーツで活躍し、ボディビルでは1955年にカンザスシティで開催されたティーンエイジ・ミスター・アメリカのコンテストで優勝。地元のインディアナでも、1957年にウエイトリフティングとレスリングのヘビー級タイトルを獲得した[3]。
プロデビュー後は本名からダグ・リンゼイ(Doug Lindsay / Doug Lindsey)のリングネームで活動していたが、ジョニー・ギルバート(ギルバート・サンチェス)とタッグを組むようになったことを機に、1958年10月より中西部地区でダグ・ギルバート(Doug Gilbert)と改名[3]。以降、ジョニー&ダグのギルバート・ブラザーズとして活動した[4]。
ジョニーとのコンビ解消後もダグ・ギルバートのリングネームを用い、ベビーフェイスのポジションで各地を転戦。テキサスのアマリロ地区では1961年3月22日にNWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した[5]。
ミネソタのAWAではディック・スタインボーンをパートナーに、ハイ&ロー(High & Low)なるタッグチームを結成[3]。自身がミスター・ハイ(Mr. High)、スタインボーンがミスター・ロー(Mr. Low)と名乗り[3]、1962年12月16日にAWA世界タッグ王座を獲得[6]。パワーファイターのギルバートはスタンド・レスリング、技巧派のスタインボーンはグラウンド・レスリングを得意とする対照的なキャラクターで人気を博した[3]。
1964年4月にはレスリング・ワールド誌が選定した "Top 50 wrestlers" の1人に挙げられた[3]。ネブラスカ州オマハを本拠地とするAWAのミッドウエスト地区ではレジー・パークスと組んで、1967年8月12日にミツ荒川&デール・ルイス、1968年3月23日にマッドドッグ・バション&ボブ・オートンを破り、AWA中西部タッグ王座を2回獲得している[7]。
1968年7月より、南部のジョージア地区でヒールの覆面レスラー、ザ・プロフェッショナル(The Professional)に変身[3]。AWAでのパートナーだったスタインボーンをはじめ、ペッパー・ゴメス、ボブ・アームストロング、エディ・グラハムなどから勝利を収め[8]、8月23日にはターザン・タイラーからNWAジョージア・ヘビー級王座を奪取[9]。戴冠中はジン・キニスキーのNWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦した[10]。ジョージア王座は11月8日にジョニー・バレンタインに明け渡すも、12月6日の再戦でバレンタインから奪還している[9]。
1971年2月、素顔のダグ・ギルバートとして日本プロレスの『ダイナミック・ビッグ・シリーズ』に初来日。2月20日に大阪府立体育館にてミル・マスカラスと組み、アントニオ猪木&吉村道明のアジアタッグ王座に挑戦した[11]。シリーズ中は猪木やジャイアント馬場とのシングルマッチも行われ、外国人エース格のスパイロス・アリオンと組んで馬場&猪木のBI砲とも対戦した[12]。
北米ではザ・プロフェッショナルのギミックでの活動を続け、1971年下期からはマッドドッグ&ブッチャー・バションが主宰していたモントリオールのGPW(グランプリ・レスリング)に参戦。7月6日にGPWヘビー級王座の初代チャンピオンに認定され、9月14日にエドワード・カーペンティアに敗れるまで戴冠した[13]。同地区ではジャン・フェレと名乗っていた頃のアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦しており[14]、当時のアンドレをボディスラムで投げたこともある[15]。
1973年1月、覆面レスラーのザ・プロフェッショナルとして国際プロレスの『新春パイオニア・シリーズ』に来日。シリーズの外国人エースに迎えられ、1月16日に福岡市九電記念体育館にてストロング小林のIWA世界ヘビー級王座に金網デスマッチで挑戦[16]。1月25日の板橋大会ではラリー・ヘニングをパートナーに、小林&グレート草津が保持していたIWA世界タッグ王座に挑んだ[17]。
1975年5月、同じくザ・プロフェッショナルとして新日本プロレスの『ゴールデン・ファイト・シリーズ』に来日。前半戦特別参加のアンドレ・ザ・ジャイアント、後半戦特別参加のタイガー・ジェット・シンに次ぐ外国陣営の副将格を務め、6月16日には宮城県スポーツセンターにおいて、アンドレのパートナーとなって猪木&坂口征二の北米タッグ王座に挑戦した[18]。
その後は素顔に戻り、1976年6月からは髭面の悪相ヒール、ガスハウス・ギルバート(Gashouse Gilbert)としてWWWFに登場。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでは、8月7日と10月25日の定期戦でボボ・ブラジルと対戦[19][20]。バロン・シクルナ、トーア・カマタ、ケン・パテラなどと組んで、チーフ・ジェイ・ストロンボー&ビリー・ホワイト・ウルフが保持していたWWWF世界タッグ王座にも度々挑戦した[21]。
WWWF離脱後はテネシーやノースカロライナを経て中西部のカンザス地区に参戦。ベビーフェイスのポジションに戻り、1978年8月31日にボブ・スウィータンからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー王座を奪取、10月7日にバック・ロブレイに敗れるまで保持した[22]。同地区ではブルーザー・ブロディ、キラー・カール・クラップ、ワイルド・サモアンズとも対戦した[23]。
キャリア末期の1979年からは古巣のAWAで活動。ボビー・ダンカン、ブラックジャック・ランザ、アイアン・シーク、スーパー・デストロイヤー・マークII、セシル・デュボア、レイ・スティーブンス、パット・パターソン、ジェシー・ベンチュラ、ポール・エラリングらと対戦した(ビル・ロビンソンと組んでのタッグマッチではダンカン&スタン・ハンセンとも対戦している)[24]。
引退後は往年の主戦場でもあったオマハでジムを経営[3]。同地におけるWWFのハウス・ショーにも出場して、1985年8月2日にはレス・ソントン、1986年4月27日にはカウボーイ・ボブ・オートンと対戦した[24]。
晩年はアルツハイマー病を患い、2013年11月4日、76歳で死去[2][3]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- AWA世界タッグ王座:1回(w / ディック・スタインボーン)[6]
- AWA中西部タッグ王座:2回(w / レジー・パークス)[7]
- NWAジョージア・ヘビー級王座:4回[9]
- NWAジョージア・タッグ王座:6回(w / アサシン2号、エル・モンゴル、ボビー・シェーン×2、スーパー・インフェルノ2号×2)[25]
- NWAメイコン・タッグ王座:1回(w / スーパー・インフェルノ2号)[26]
- NWA南東部タッグ王座(ジョージア版):2回(w / スーパー・インフェルノ2号)[27]
- NWA "ビート・ザ・チャンプ" TV王座:1回[28]
- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / マイク・ウェブスター)[29]
- NWAセントラル・ステーツ・ヘビー王座:1回[22]
- グランプリ・レスリング
- GPWヘビー級王座:1回[13]
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Doug Gilbert”. Wrestlingdata.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Doug Gilbert”. Cagematch.net. 2024年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “Doug Lindzy: a Masked Professional with a Redbeard: dead at 76”. Slam Wrestling (2013年11月5日). 2024年8月23日閲覧。
- ^ “The ASW matches fought by Doug Gilbert in 1958”. Wrestlingdata.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ a b “International Heavyweight Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ a b “AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ a b “AWA Midwest Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “The GCW matches fought by Doug Gilbert in 1968”. Wrestlingdata.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ a b c “NWA Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1968”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “JPWA 1971 Dynamic Big Series”. Puroresu.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “The JWA matches fought by Doug Gilbert in 1971”. Wrestlingdata.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ a b “Grand Prix World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “The GPW matches fought by Doug Gilbert in 1971”. Wrestlingdata.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ a b c “Doug Gilbert”. Online World of Wrestling Profiles. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “IWE 1973 New Year Pioneer Series”. Puroresu.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Doug Gilbert in 1973”. Wrestlingdata.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “NJPW 1975 Golden Fight Series”. Puroresu.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ “WWWF TV-Show”. Cagematch.net. 2024年8月26日閲覧。
- ^ “WWWF on MSG Network”. Cagematch.net. 2024年8月26日閲覧。
- ^ “Doug Gilbert: Matches 1976-1977”. Cagematch.net. 2024年8月26日閲覧。
- ^ a b “NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “The CSW matches fought by Doug Gilbert in 1978”. Wrestlingdata.com. 2024年8月30日閲覧。
- ^ a b “Doug Gilbert: Matches 1977-1986”. Cagematch.net. 2024年8月26日閲覧。
- ^ “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “NWA Macon Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “Beat the Champ Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。
- ^ “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年8月23日閲覧。