ジュリア・ギラード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ジュリア・アイリーン・ギラード
Julia Eileen Gillard
ファイル:Julia Gillard official photo.jpg
生年月日 (1961-09-29) 1961年9月29日(60歳)
出生地 イギリスの旗 イギリス
ウェールズの旗 ウェールズ バリー
出身校 メルボルン大学
所属政党 労働党
称号 旭日大綬章(日本国・2021年4月)
サイン Julia Gillard Signature.svg

オーストラリアの旗 オーストラリア
第27代首相
在任期間 2010年6月24日 - 2013年6月27日
国王
総督
エリザベス2世
ピーター・コスグローブ

オーストラリアの旗 オーストラリア
副首相
内閣 ケビン・ラッド内閣
在任期間 2007年10月3日 - 2010年6月24日
首相 ケビン・ラッド

オーストラリアの旗 オーストラリア
連邦代議院議員
選挙区 ビクトリア州レーラー
当選回数 5回
在任期間 1998年10月3日 - 現職
テンプレートを表示

ジュリア・アイリーン・ギラード(英語:Julia Eileen Gillard1961年9月29日 - )は、オーストラリア政治家。第27代首相労働党党首などを歴任した。1998年10月3日よりビクトリア州レーラー選出代議院議員を務めている。

来歴[編集]

前半生[編集]

1961年9月29日にウェールズバリーに生まれ育ったが、気管支肺炎を病んだ際に医師から温暖な気候の下で療養することを勧められ[1]、一家は1966年アデレードに移住した[2]。父・母と3歳年上の姉がいる。一家は貧しく父は警察官であったが、オーストラリア移住後は精神科看護師として働き、母は救世軍の福祉施設で働いた[3]

アンリー・ハイスクール在学時はオールA(最優秀)の成績でアデレード大学に入学して文学法学を専攻した。その後メルボルン大学へ転学してオーストラリア学生連合で働く[4]。1986年に文学学士と法学学士の学位を取得した[5]1987年にスラター&ゴードン法律事務所に就職し、労働法を専門とする弁護士として勤務した[6]。29歳の時に同事務所のパートナー(共同経営者)の1人となる[7]

政界入り[編集]

アデレード大学に入学して2年目の時、ギラードは州の教育予算削減に反対する運動に参加した[8]。また労働党に参入し[9]、オーストラリア学生連合会長となる[10]。また社会主義者フォーラムに参加して議長を務める[11]1995年から1998年にかけてジョン・ブランビーの下で働いた[12]

代議院選挙では2回の落選を経て1998年ビクトリア州レーラー選挙区から出馬した。連邦政府議員に当選し、野党の労働党では影の内閣で人口移民相、厚生相を務めた。2006年に労働党副党首に就任し、2007年の総選挙で労働党が政権についた際には副首相に就任した。

2007年12月11日ケビン・ラッド首相がバリ島にて第13回国連世界気候変動会議に出席した際、オーストラリア史上初めて女性として首相職を代行した。また教育相、労働相、社会包括相も兼任している。

私生活ではギラード政権を支える閣僚のクレイグ・エマーソンと交際していた。2006年からは不動産会社に勤務する元美容師の男性と同棲をしているが、正式な結婚はしておらず、子供もいない。それ故に「もし自分がアメリカ人ならば、独身(正式な結婚をしていない)・子供は不要・無神論者の自分は、国のトップにはなれないだろう」と語っている。

首相就任[編集]

2010年6月24日に労働党の緊急議員総会で対立候補不在の中、新党首に選出された。これにより労働党初の女性党首に選出され、同日クエンティン・ブライス総督により第27代首相に任命された[13]

政権発足後はラッド政権時に比べて支持率が回復したことを踏まえ、7月17日代議院を解散し、8月21日に総選挙を実施した。自由党との大接戦となり[14][15]、無所属議員を巻き込んだ多数派工作合戦の結果、同年9月7日に労働党が過半数確保に成功した[16]。選挙により選出されたオーストラリアで初の女性首相となり、9月15日に第2次ギラード内閣を成立させた。

2012年2月に突如外務大臣を辞任したラッドと労働党党首選挙を争い、71票を獲得して31票に留まったラッドを破り再選を果たした。この党首選挙ではギラード陣営とラッド陣営の双方が互いに人格否定を含めた辛辣な個人攻撃を繰り返したため、オーストラリアの有権者たちには労働党の不和ぶりが決定的に印象付けられた[17]

その後もギラードの支持率は低迷し、逆にラッド前党首の人気が高いことから党内では2013年9月に予定されている総選挙を見据えて党首交代を求める声が高まった。2013年3月21日の下院本会議においてラッドに近い閣僚から党首選挙の早期実施を求められたため、ギラードはその場で当日に党首選挙を実施することを表明した。この奇襲作戦にラッドは準備不足を理由に出馬断念を表明せざるを得ず、唯一の立候補者であるギラードが無投票・満場一致で党首に再選された[18][19]

だが、ラッドを支持していたマーティン・ファーガソン英語版資源・エネルギー・観光相など3人の閣僚が、この混乱により辞任する事態となり、政権に打撃となった。2013年3月24日に発表された、オーストラリア国民を対象とした世論調査では、6割がギラード内閣を「死に体」と見なしている[20]。3月25日、ギラードは新内閣の布陣を発表したが、世論調査では野党の自由党国民党保守連合の支持率が一貫して労働党を上回っている[21]

最終的にギラード内閣を去った閣僚は8人に上った。それを受けて2013年6月26日に行われた労働党の党首選挙でラッドに敗北した。ギラードは首相を辞任し、ラッドが首相に復帰した。辞任後にギラードは次期総選挙に出馬せず、政界を引退することを表明した[22]。 ラッドとの内紛により労働党は国民の支持を失い、2013年9月7日に行われた総選挙では保守連合に敗北、6年ぶりの政権交代を許す結果となった[23]

日本との関係[編集]

2011年4月21日に日本を訪問し、菅直人首相と会談した。また東日本大震災の被災地である宮城県南三陸町を視察した[24]。2021年4月に日本国における春の叙勲旭日大綬章を受章した[25][26]

政策・主張[編集]

総選挙中の2010年8月17日にオーストラリアの共和制の移行への支持を表明している。移行時期は次の王位継承に合わせるのが適切との考えを示している [27]。共和制に関しては、1999年の国民投票で共和制が僅差で否決されて以降ラッド前首相も共和制への移行を段階的に行う案を表明していた[28]

脚注[編集]

  1. ^ Australia Story – Julia Gillard Interview
  2. ^ "Julia Gillard in Person". Counterpoint. Radio National.
  3. ^ Australia Story – Julia Gillard Interview
  4. ^ Australia Story – Julia Gillard Interview
  5. ^ "Julia Gillard". Melbourne Law School.
  6. ^ "The Other Biography: Jacueline Kent's "The Making of Julia Gillard" by Christine Wallace". The Monthly. Schwartz Publishing.
  7. ^ Mark Davis (2010-06-24). "Focus and ambition drive Gillard's success". farmonline.com.au.
  8. ^ Australia Story – Julia Gillard Interview
  9. ^ "Julia Gillard in Person". Counterpoint. Radio National. 20 September 2004.
  10. ^ Australia Story – Julia Gillard Interview
  11. ^ Lincoln Wright (2007-10-07). "Will Julia Gillard's past cause red faces?". heraldsun.com.au.
  12. ^ "Ms Julia Gillard MP, Member for Labor (Vic)". Australian House of Representatives. Archived 2012年2月7日, at the Wayback Machine.
  13. ^ ギラード氏、豪首相に就任 初の女性
  14. ^ “豪総選挙、与野党とも過半数は困難に” (日本語). 読売新聞. (2010年8月22日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100822-OYT1T00568.htm 2010年9月7日閲覧。 
  15. ^ “「中ぶらりん議会」確実に=与野党の多数派工作始動-豪総選挙” (日本語). 時事通信. (2010年8月1日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010082200074 2010年9月7日閲覧。 
  16. ^ “豪・ギラード首相続投へ、与党が過半数固める” (日本語). 読売新聞. (2010年9月7日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100907-OYT1T00709.htm 2010年9月7日閲覧。 
  17. ^ “ギラードの圧勝に終わった労働党党首選挙”. 日豪プレス. (2012年4月2日). http://nichigopress.jp/nichigo_news/tenbo/36791/ 2013年6月30日閲覧。 
  18. ^ “党首選は本日!人気の前首相、不意突かれ不出馬”. 読売新聞. (2013年3月21日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130321-OYT1T00956.htm 2013年3月22日閲覧。 
  19. ^ “ギラード豪首相が続投へ、党首選で対抗馬なく勝利”. ロイター (ロイター). (2013年3月21日). http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK835589120130321 2013年3月22日閲覧。 
  20. ^ “豪・労働党内閣に国民6割「死に体」 混乱の内閣改造で”. 産経新聞. (2013年3月24日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/130325/asi13032513490000-n1.htm 2013年3月25日閲覧。 
  21. ^ “ギラード豪首相が内閣改造-労働党党首選めぐる閣僚辞任で”. ブルームバーグ. (2013年3月25日). http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MK76056KLVRW01.html 2013年3月25日閲覧。 
  22. ^ “豪首相にラッド氏が返り咲き ギラード氏は引退表明”. CNN. (2013年6月27日). http://www.cnn.co.jp/world/35033927.html 2013年6月27日閲覧。 
  23. ^ “オーストラリア下院選、野党保守連合が勝利 6年ぶり政権交代”. ロイター (ロイター). (2013年9月8日). http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0H301Y20130907 2013年9月8日閲覧。 
  24. ^ “豪首相が震災被災地を訪問、コアラのぬいぐるみで激励” (日本語). ロイター. (2011年4月23日). http://jp.reuters.com/article/domesticJPNews/idJPJAPAN-20777520110423 2011年4月30日閲覧。 
  25. ^ 令和3年春の外国人叙勲受章者名簿(在外受章者) - 内閣府
  26. ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
  27. ^ “「英王位継承後に共和制移行を」豪首相が表明” (日本語). CNN.co.jp (CNN). (2010年8月17日). http://www.cnn.co.jp/world/AIC201008170021.html 2010年8月17日閲覧。 
  28. ^ 「共和制移行論議」オーストラリアラッド政権の1年 p.38 2009年3月 国立国会図書館 政治議会調査室

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
ケビン・ラッド
オーストラリアの旗 連邦首相
第27代:2010年6月24日 - 2013年6月27日
次代:
ケビン・ラッド
先代:
(新設)
オーストラリアの旗 社会包括大臣
初代:2007年12月3日 - 2010年6月28日
次代:
サイモン・クリーン
先代:
ジュリー・ビショップ
オーストラリアの旗 教育大臣
第23代:2007年12月3日 - 2010年6月28日
次代:
サイモン・クリーン
先代:
ジョー・ホッケー
オーストラリアの旗 労働大臣
第28代:2007年12月3日 - 2010年6月28日
次代:
サイモン・クリーン
オーストラリア連邦議会
先代:
バリー・ジョーンズ
オーストラリアの旗 レーラー選挙区連邦代議院議員
1998年10月3日 -
次代:
(現職)
党職
先代:
ケビン・ラッド
オーストラリアの旗 労働党党首
第21代:2010年6月24日 - 2013年6月26日
次代:
ケビン・ラッド
先代:
ジェニー・マクリーン
オーストラリアの旗 労働党副党首
2006年12月4日 - 2010年6月24日
次代:
ウェイン・スワン