ジェームズ・シゲタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ジェームズ・シゲタ
ジェームズ・シゲタ
本名 James Saburo Shigeta
別名義 Guy Brion, Jimmy Shigeta
生年月日 (1929-06-17) 1929年6月17日
没年月日 (2014-07-28) 2014年7月28日(85歳没)
出生地 ハワイ州オアフ島ホノルル
死没地 カリフォルニア州ロサンゼルス郡ビバリーヒルズ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 歌手、俳優
ジャンル 舞台、映画、テレビドラマ
活動期間 1951-2009
主な作品
映画
太陽にかける橋
フラワー・ドラム・ソング
ミッドウェイ
ダイ・ハード
テレビドラマ
スパイ大作戦
ビバリーヒルズ青春白書

ジェームズ・シゲタ(James Shigeta、日本名:繁田 三郎)、1929年6月17日[1] - 2014年7月28日[2])は、アメリカ合衆国ハワイ州出身の日系アメリカ人三世[3][4]歌手俳優

プロフィール[編集]

ホノルルの日系移民の家庭に生まれ、作家か英語教師になることを志してニューヨーク大学英語を学ぶ[5]が、在学中の1950年[4]に友人の勧めで応募したスター発掘番組「Ted Mack's Amateur Hour」で優勝。奨学金を得て声楽を学び、ラスベガスナイトクラブで歌手としてキャリアをスタートさせた。デビュー当初は、人種に対する先入観を除いた方が成功するだろうというエージェントの発案で、ガイ・ブライオン(Guy Brion)というヨーロッパ風の芸名を使い、ニューヨークハリウッドのサパークラブで活躍、人気を得た[6]朝鮮戦争が始まると海兵隊に入隊し[7]2年半従軍、除隊時の階級は二等軍曹[8]

除隊後、ラスベガスで歌手活動を再開。ロサンゼルスのサパークラブ「プレイアーズ」に出演中、ハワイの松尾興行(布哇国際興行会社)の招きを受け、1954年12月12日に[4][6]初来日。本名である「ジェームス繁田」の名前で、赤坂のナイトクラブ「ラテン・クォーター」を皮切りに日本での活動をスタートさせた。翌1955年の正月公演から歌手として日劇ダンシングチーム(N.D.T)のレヴューにゲスト出演[4]して、日本劇場(日劇)のステージに立った。また、越路吹雪らとゲストとして参加した[9]1958年のN.D.T豪州公演「Cherry Blossom Show」は大成功を収め、シドニー・モーニング・ヘラルド紙の劇評には「主演男優のジェームズ繁田は端正な二枚目俳優で、(レコード会社は)彼の心安らぐバリトンの声をレコード化すべき」と記されている[10]。その他にも、NHK紅白歌合戦に2回連続出場(詳細は下記参照)するなど、およそ5年間[6]、日本で活躍した。

演技経験はなく、俳優になる気もなかったが、帰国後の1959年、サミュエル・フラー監督の「クリムゾン・キモノ」でスクリーン・デビュー。事件の捜査中に出会った白人女性と恋に落ちる日系人刑事を演じ、アメリカ映画で初めて白人女性の愛を獲得した役を演じたアジア系俳優となる[11]。これは、異人種間の恋愛が描かれることが極めてまれで、恋愛映画の場合、白人女優の恋の相手は白人男優が演じるといった人種による役割分担が常識化していた当時のハリウッドの撮影システムの中で、従来の常識を打ち破ったエポック・メイキングな出来事であり、(特にアジア系俳優にとっては)現在でもアメリカ映画史の中の重要な出来事の一つとして語られている[5][11]

「クリムゾン・キモノ」の撮影後もラスベガスで歌手活動を続けるが、パラマウント映画のプロデューサーの目に留まり、「Walk Like a Dragon」(1960年)に中国人少女を巡ってカウボーイと対立する誇り高い中国人青年役で出演。

また、1961年にはロジャース&ハマースタインのミュージカルを映画化した「フラワー・ドラム・ソング」で主人公の1人の中国人青年、「太陽にかける橋」ではアメリカ人女性(演じたのはキャロル・ベイカー)と結婚した第二次大戦中の実在の日本人外交官・寺崎英成を演じ、ロマンティックな二枚目の日系俳優としての地位を確立。

1976年に出演した「ミッドウェイ」では南雲忠一中将を演じた。日本人らしさを出そうと役作りに腐心し、共演した三船敏郎を感心させたという[12]

1970年代からはテレビ作品へのゲスト出演が主となり、しばらくスクリーンから遠ざかったが、1988年の映画「ダイ・ハード」では、人質として命の危機に遭いながらも毅然と振る舞う日系人社長を演じた。

他の日系俳優と同様に、中国人、ベトナム人などアジア人全般を演じることが主であり、ある映画製作者が言ったという「ジェイムズ、もし君が白人なら大スターになっただろう」[13]という言葉が表す通り、ロマンスの主役から冷酷な悪役まで、ハリウッドのアジア観の変化が配役に反映され、キャリアの浮き沈みとなって表れているが、長きにわたって第一線で活躍するアジア系俳優としての存在感を示し続けた。

映画のほか、「フラワー・ドラム・ソング」「王様と私」といったミュージカルの舞台にも出演している。2006年には、ともに「フラワー・ドラム・ソング」に出演したナンシー・クワンと「Love Letters」で45年ぶりに共演し、話題を呼んだ。

2006年にサンフランシスコで開かれた「San Francisco International Asian American Film Festival」ではジェームズ繁田特集として「クリムゾン・キモノ」「太陽にかける橋」「Walk Like a Dragon」が上映されるなど、メロドラマの主人公としての人気は今も高い[11]

私生活を公にすることをかたくなに拒否しており、インタビューでもプライベートについてはほとんど話さない。

流暢な日本語を話し、イタリア語フランス語も話せるが、『日米タイムズ』のインタビューに、日本語は話す機会がないので昔ほど上手くなくなっていると謙遜気味に語っている。もともと日本語は話せず、来日に際して勉強したという[7]。アジア人に対するステレオタイプな見方を印象付けるような役は避け、アジア系アメリカ人の現実的な姿を演じることでアジア人に対する良いイメージを与えたいと言い、自身の出演作の中では、実話であり、日本人を好ましく描いている「太陽にかける橋」が好きな作品で、ソフト化を希望していると話している。

自身については、"star"よりも"actor"と呼ばれる方を好み、自分を表す言葉は"shy"であると答えている。様々な人種と異文化が混在するハワイが自分の根幹であり、「ハワイから来た恥ずかしがりやの田舎育ちの少年」と呼ばれるのが好きだという[5]

2012年に脳卒中で倒れ、ビバリーヒルズの介護付住宅で療養生活を送っていたが[1]、2014年7月28日、肺不全のため死去[14][15][16]。85歳没。8月9日、教区員であったロサンゼルス第一会衆派教会で告別式が営まれた後[17]8月31日に故郷ホノルルで追悼式が行われ、国立太平洋記念墓地英語版に埋葬された[18]

主な出演作品[編集]

レコード、CD[編集]

  • バイアへ帰ろうよ/生命をかけた恋(タラのテーマ) /EPレコード:ビクター A-5198/(1955年)
  • 鈴懸の径 ア・ナイト・トゥ・リメンバー/碧空のかなたに ボラーレ /EPレコード:ビクター AS-6017/(1958年)*「鈴懸の径 ア・ナイト・トゥ・リメンバー」は英訳詞(日本語詞の忠実な英訳ではなく、愛する人との思い出と別れを綴った内容で、ほぼ創作)も担当
  • ゴールデン・スタンダード集 オンリー・ユー /オムニバス、生命をかけた恋(タラのテーマ)収録/ CD:ビクターエンタテインメント/JP:21744170(2006年)
  • Scene One /LP Records:SILVER SLIPPER U.S./(1960年:Jimmy Shigeta名義)
  • I've Got Somebody To Love /EP Records:SILVER SLIPPER U.S./(1960年:Jimmy Shigeta名義、"Scene One"からのシングルカット)
  • We Speak Same Language /LP Records:CHOREO RECORDS U.S./ASIN:B000P6JA78(1962年)
  • Flower Drum Song /Film Soundtrack / CD:Decca U.S./ASIN:B00006jkcm

NHK紅白歌合戦出場歴(歌手として)[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b [1]James Shigeta dies at 85; starred in 'Flower Drum Song' and 'Die Hard'-LA Times
  2. ^ 『ダイ・ハード』タカギ社長役のジェームズ繁田が死去 時事通信 2014年7月28日
  3. ^ [2]The Hawaii Herald 'Friday Feature:James Shigeta
  4. ^ a b c d 日本劇場パンフレット No.55-2「歌う不夜城 1955年」 東宝本社事業部 1955年1月7日発行
  5. ^ a b c [3]GoldenSea Asian american Profile
  6. ^ a b c Bob Thomas, Toledo Blade: James Shigeta Takes Long Way,(Jun 21,1960)
  7. ^ a b Scene:The International East-West Magazine Vol.3: SINGER TURNED MARINE, Scene Magazine Incorporated, p.22
  8. ^ ed.Brian Niiya, Japanese American National Museum, Japanese American History:A-to-Z Reference from 1868 to the present,(Los Angeles,Calif. VNRAG, 1993) p.310
  9. ^ 「"Cherry Blossom Show" NDTオーストラリア公演記念集」(日本劇場, 1958年)
  10. ^ The Sydney Morning Herald: FAN'S BOUQUETSFOR CHERRY BLOSSOM SHOW(Mar 23,1958)
  11. ^ a b c [4]Asia Pacific Arts SFIAAFF overview: Notes from the Overground
  12. ^ 映画「ミッドウェイ」日本公開時パンフレット(東宝株式会社事業部, 1976年)
  13. ^ Washingtonpost.com :TV Preview "'Slanted Screen' Rues The Absence Of Asians"[5]
  14. ^ NewYorkTimes:"James Shigeta, 85, Leading Man in‘Flower Drum Song,’Dies"[6]
  15. ^ HollywoodReporter:"James Shigeta, Top Asian-American Actor of Early '60s and 'Die Hard' Co-Star, Dies at 81"[7]
  16. ^ Uinterview:"James Shigeta, Groundbreaking Asian-American Actor, Dies At 81"[8]
  17. ^ Rafu Shimpo: OBITUARY: James Shigeta, Leading Man in Hollywood Movies[9]
  18. ^ Star-Advertiser: Obituaries[10]
  19. ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年) ※写真のみ

参考・関連記事[編集]