鈴懸の径

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鈴懸の径
灰田勝彦シングル
A面 鈴懸の径
リリース
規格 シングルSP盤レコード
ジャンル 歌謡曲
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 佐伯孝夫(作詞)
灰田有紀彦(作曲)
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鈴懸の径(すずかけのみち)は、第二次世界大戦中に発売された灰田勝彦流行歌である。

解説[編集]

立教大学池袋キャンパス内にある歌碑

本曲は、佐伯孝夫の作詞、灰田有紀彦(灰田晴彦)が作曲して、有紀彦の弟である灰田勝彦が歌唱して1942年(昭和17年)9月にビクターレコードから発売された。戦時中にも関わらず、戦時色が感じられない数少ない曲である(勝彦はこの年、同様に戦時色に染められない「新雪」を世に送り出して大ヒットを飛ばし、現在も歌い継がれて通信カラオケの収録曲となっている)。当時3拍子の流行歌は大変珍しく、他には「水色のワルツ」(作曲:高木東六)などわずかである。

3拍子の本作を鈴木章治が4拍子とし、ジャズ・アレンジを加えて1954年頃に鈴木章治が率いるジャズバンドであるリズムエースの演奏で吹き込んでヒット。更に1957年1月には、ベニー・グッドマン楽団の首席アルト・サックス奏者ピーナッツ・ハッコークラリネット奏者として鈴木章治とリズム・エースに参加し、TBSホール(当時)で録音・放送したことでリクエストが殺到して、そのTBSホールでの録音テイク盤が繰り返しレコード化された(Victor CP-1022等)。また、ピーナッツ・ハッコーも「プラタナス・ロード:Platanus Road」として米欧巡演で演奏、吹き込みを行って日本にも輸入されて、さらに有名になった。

灰田勝彦の母校でもある立教大学のキャンパス内にはモデルになった鈴懸の径が存在し、記念の歌碑がある。

主なカヴァー[編集]

関連項目[編集]