グランド・ファンク・レイルロード
グランド・ファンク・レイルロード | |
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オリジナルメンバーの3人(1971年撮影)。左からドン・ブリューワー、マーク・ファーナー、メル・サッチャー。 | |
基本情報 | |
別名 | グランド・ファンク |
出身地 | アメリカ合衆国 ミシガン州ジェネシー郡フリント |
ジャンル | |
活動期間 |
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レーベル | |
公式サイト | Grand Funk Railroad Official Web Site |
メンバー | |
旧メンバー |
グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad, GFR)[注釈 1]はアメリカ合衆国のハードロック・バンド。1960年代末にマーク・ファーナー、メル・サッチャー[3]、ドン・ブリューワーによって結成されたトリオで、1970年代半ばにかけてアルバム、ヒット・シングルを連発して高い人気を誇った。
二度の解散と再結成を経て、ブリューワーを中心に2023年現在も活動中である。
概要:歴史
[編集]「テリー・ナイト・アンド・ザ・パック(Terry Knight and the Pack)」というバンドで活動していたドン・ブリューワー (Don Brewer, ds)とマーク・ファーナー (Mark Farner, vo & g)、が、テリー・ナイト(Terry Knight)がバンドを去ったのを機に、メル・サッチャー (Mel Schacher, b) を誘って新しいバンドを結成し、アメリカの鉄道会社「グランド・トランク鉄道 (Grand Trunk Western Railroad) 」をもじったグランド・ファンク・レイルロードと名付けた。
1968年頃より勃興していたニューロック、又はヘヴィロック(現在のハードロック)のスタイルをいち早く取り入れ、1969年にかつて同僚ナイトをプロデューサーに迎えたアルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場 (On Time)』でデビューする。レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務めた際に、その歌と演奏力で聴衆を熱狂させてツェッペリンを食ってしまったことによって、ロックファンの間で知名度が高まった。アルバムからシングルカットされた「ハートブレイカー」はハードロックの古典になり、セカンド・アルバム『グランド・ファンク (Grand Funk)』に収録されたアニマルズの「孤独の叫び」のカバーもファンキーな人気曲となった。日本でも人気を集め、ザ・タイガースが「ハートブレイカー」をコンサートのレパートリーとして取り上げ、後にフォークシンガーとしてデビューする井上陽水がこの曲のコード進行を模倣して「傘がない」を書いた。1971年の東京公演は後楽園球場で行なわれ、激しい雷雨の中での演奏はロック伝説として今も語り草になっている。
1972年の『不死鳥 (Phoenix)』からはナイトと決別し、クレイグ・フロスト (Craig Frost, kbd) を迎えて4人編成になり、バンド名をグランド・ファンク (Grand Funk)に変更して音楽性をポップな方向に広げた[注釈 2]。同アルバムからは「ロックンロール・ソウル」がシングル・カットされた。1973年、トッド・ラングレンにプロデュースを委ねたアルバム『アメリカン・バンド (We're an American Band) 』を発表。同名シングル曲が全米1位を獲得する大ヒットを記録、このアルバム・タイトルはそのまま彼等の代名詞となり、同名曲はボン・ジョヴィなどアメリカの後続のロックバンドにライブなどで何度もカバーされている。
続いて1974年に発表したアルバム『輝くグランド・ファンク (Shinin' On) 』からは、ジェリー・ゴフィン & キャロル・キング作で1962年にリトル・エヴァによって全米1位を獲得した大ヒット曲「ロコモーション (The Loco-Motion)」をハードロック風にアレンジしたカバーがシングルカットされ、こちらも全米1位を獲得。GFR時代とグランド・ファンク時代を通じて最大のヒット・シングルとなった。同アルバムからは「シャイニン・オン」もシングルカットされた。
1975年には、前年末に発表したアルバム『ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心) (All the Girls in the World Beware!!!) 』から、ソウル・ブラザーズ・シックスの原曲をブギ・ウギ調にアレンジした「オー・ワンダフル (Some Kind of Wonderful)」と「バッド・タイム」の2曲のヒットを放った。1976年の『驚異の暴走列車 (Born to Die) 』を以ってCapitolとの契約は満了した。同年、MCAからフランク・ザッパをプロデューサーに迎えた『熱い激突 (Good Singin', Good Playin') 』を発表した[注釈 3][4]が、その直後に解散した。
解散後、ファーナーはソロでMark Farner(1977年)、No Frills(1978年)の2枚のアルバムを発表した。ブリューワー、サッチャー、フロストの3人はFlintを結成しFlint(1977年)を発表した。
1980年、GFRはファーナーとブリューワーによって再結成された。『グランド・ファンク復活 (Grand Funk Lives) 』と『ホワッツ・ファンク? (What's Funk?) 』と2枚のアルバムを発表するが、ヒットを出すことなく1983年に再度解散した。
1997年に行なわれたボスニア救済コンサートをきっかけにオリジナル・メンバー3人で再々結成(『ボスニア (Bosnia) 』)。1999年にファーナーがソロ活動のために脱退し、元キッスのブルース・キューリックが加入した。
2024年1月にブルース・キューリックの脱退が発表され、マーク・チャットフィールドが加入[5][6]。
メンバー
[編集]現在のメンバー
[編集]メンバー名 | 原語表記 | 担当 | 在籍時期 |
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ドン・ブリューワー | Don Brewer | Drums, Lead Vocals | 1968~1977, 1980~1983, 1996~現在 |
メル・サッチャー | Mel Schacher | Bass Guitar | 1968~1977, 1980~1981, 1996~現在 |
マックス・カール | Max Carl | Lead Vocals | 2000~現在 |
ティム・カーション | Timothy "Tim" Cashion | Keyboards | 2000~現在 |
マーク・チャットフィールド | Mark Chatfield | Guitars | 2024~現在 |
過去に在籍したメンバー
[編集]メンバー名 | 原語表記 | 担当 | 在籍時期 |
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マーク・ファーナー | Mark Farner | Guitars, Lead Vocals | 1968~1977, 1980~1983, 1996~1999 |
テリー・ナイト | Terry Knight | Bass Guitar | 1972 |
デニス・ベリンジャー | Dennis Bellinger | Bass Guitar | 1980~1983 |
ハワード・エディ・ジュニア | Howard Eddy, Jr. | Keyboards | 1996~1999 |
ブルース・キューリック | Bruce Kulick | Guitars | 2000~2023 |
ディスコグラフィー
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]タイトル | 原題 | 年 | US 200 | 認定 |
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グランド・ファンク・レイルロード登場 | On Time | 1969 | # 27 | Gold |
グランド・ファンク | Grand Funk | 1969 | # 11 | Platinum |
クローサー・トゥ・ホーム | Closer to Home | 1970 | # 6 | 2x Multi-Platinum |
サバイバル | Survival | 1971 | # 6 | Platinum |
戦争をやめよう | E Pluribus Funk | 1971 | # 5 | Platinum |
不死鳥 | Phoenix | 1972 | # 7 | Gold |
アメリカン・バンド | We're an American Band | 1973 | # 2 | 2x Multi-Platinum |
輝くグランド・ファンク | Shinin' On | 1974 | # 5 | Gold |
ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心) | All the Girls in the World Beware!!! | 1974 | # 10 | Gold |
驚異の暴走列車 | Born to Die | 1976 | # 47 | |
熱い激突 | Good Singin', Good Playin' | 1976 | # 52 | |
グランド・ファンク復活 | Grand Funk Lives | 1981 | # 149 | |
ホワッツ・ファンク? | What's Funk? | 1983 |
ライヴ・アルバム
[編集]タイトル | 原題 | 年 | US 200 | 認定 |
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ライヴ・アルバム | Live Album | 1970 | # 5 | 2x Multi-Platinum |
グランド・ファンク・ツアー ’75 | Caught in the Act | 1975 | # 21 | |
ボスニア | Bosnia | 1997 | ||
1971 ライヴ | Live: The 1971 Tour | 2002 |
コンピレーション
[編集]タイトル | 原題 | 年 | US 200 | 認定 |
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Mark, Don and Mel: 1969-71 | Mark, Don and Mel: 1969-71 | 1972 | # 17 | Gold |
Grand Funk Hits | Grand Funk Hits | 1976 | # 126 | |
Hits | Hits | 1977 | ||
The Best of Grand Funk | The Best of Grand Funk | 1990 | ||
Capitol Collectors Series | Capitol Collectors Series | 1991 | Gold | |
Heavy Hitters | Heavy Hitters! | 1992 | ||
Thirty Years of Funk: 1969-1999 | Thirty Years of Funk: 1969-1999 | 1999 | ||
Greatest Hits with DVD | Greatest Hits with DVD | 2006 |
シングル(米国)
[編集]年 | タイトル | US HOT 100 |
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1969 | Time Machine / High On A Horse | # 47 |
Mr. Limousine Driver / High Falootin' Woman | # 97 | |
1970 | Heartbreaker / Please Don't Worry | # 72 |
Nothing Is The Same / She's A Good Man's Brother | ||
I'm Your Captain (Closer to Home) / Aimless Lady | # 22 | |
Mean Mistreater / Mark Says Alright | # 47 | |
1971 | Inside Looking Out | # 40 |
Feelin' Alright / I Want Freedom | # 54 | |
Gimme Shelter / I Can Feel Him In The Morning | # 61 | |
People, Let's Stop The War / Save The Land | ||
1972 | Footstopin' Music / I Come Tumblin' | # 29 |
Upsetter / No Lies | # 73 | |
Rock'n'Roll Soul / Flight Of The Phoenix | # 29 | |
1973 | We're An American Band / Creepin' | # 1 |
Walk Like A Man / Railroad | # 19 | |
1974 | The Loco-Motion / Destitude & Losin' | # 1 |
Shinin' On / Mr. Pretty Boy | # 11 | |
Some Kind of Wonderful / Wild | # 3 | |
1975 | Bad Time / Good And Devil | # 4 |
Take Me / Genevieve | # 53 | |
1976 | Sally / Love Is Dyin' | # 69 |
Can You Do It / 1976 | # 45 | |
1977 | Just Couldn't Wait / Out To Get You | |
1981 | Y.O.U. / Testify | |
1982 | Stuck In The Middle / No Reason Why |
メンバー構成推移
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日本公演
[編集]- 7月17日 後楽園球場、 18日 大阪球場
- 後楽園球場では、開演時に会場へ入り切れなかった観客が暴徒化。12番ゲートの扉を破壊して放火、駆け付けた機動隊員らに投石をする騒ぎとなったが、偶然発生した激しい雷雨により暴動は鎮静化した[7]。
- 9月6日 日本武道館、8日 大阪フェスティバルホール、9日 名古屋市公会堂
- 1997年
※ファーナーは、ソロやリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの公演でも来日している[8][9][10]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『不死鳥(Phoenix)』から『ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心)((All the Girls in the World Beware!!!)』までは バンド名をグランド・ファンク(Grand Funk)としていた。
- ^ この頃メンバーはナイトに対してバンド名と印税に関する訴訟を起こした。バンド名使用は認められたが、印税についての請求は認められなかった。
- ^ メンバーは以前からザッパをプロデューサーに迎えたいと思っていたが、マネージメントは余りにも奇妙な組み合わせであるとして、彼等の希望を聞き入れなかった。1975年にようやくザッパに連絡した結果、この組み合わせが実現した。双方とも共同作業について極めて好意的な発言を残している。
出典
[編集]- ^ Waksman, Steve (2022). Live Music in America: A History from Jenny Lind to Beyonce. Oxford: Oxford University Press. p. 421. ISBN 978-0-197-57053-1
- ^ a b Huey, Steve. Grand Funk Railroad Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年4月5日閲覧。
- ^ http://www.grandfunkrailroad.com/bios/Mel_bio.html
- ^ Miles, Barry (2004). Zappa. New York: Grove Press. p. 254. ISBN 0-8021-4215-X
- ^ Wardlaw, Matt WardlawMatt (2024年1月2日). “Bruce Kulick Announces His Departure From Grand Funk Railroad” (英語). Ultimate Classic Rock. 2024年10月29日閲覧。
- ^ “Grand Funk Railroad band members”. www.grandfunkrailroad.com. 2024年10月29日閲覧。
- ^ 「はいれぬファン投石・放火 ロック・カーニバル騒然」『中國新聞』昭和46年7月18日19面
- ^ “【Grand Funk Railroad】”. www13.plala.or.jp. 2024年6月12日閲覧。
- ^ “グランド・ファンク・レイルロードのマーク・ファーナーが来日公演!”. BARKS (2003年12月27日). 2024年6月12日閲覧。
- ^ “グランド・ファンク・レイルロードの奇蹟〈シンコー・ミュージック・ムック〉”. シンコーミュージック・エンタテイメント | 楽譜[スコア]・音楽書籍・雑誌の出版社. 2024年6月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Grand Funk Railroad official site (注意: サウンド再生あり)
- Mark Farner official site