オスマン債務管理局

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オスマン債務管理局(オスマンさいむかんりきょく、トルコ語:Düyun-u Umumiye-i Osmaniye Varidat-ı Muhassasa İdaresiOttoman Public Debt AdministrationOPDA)は、オスマン帝国の対外債務返済のため西欧列強によって設けられた組織。列強がオスマン帝国を経済的に従属させる上で重要な役割を果たした。

概要[編集]

1875年、オスマン帝国が外債利子の支払い不能を宣言したことが背景にあった。1881年、債権国であるイギリスフランスドイツイタリアオランダオーストリアと、オスマン銀行の代表7人が中心となって委員会を組織し、5000人以上のスタッフを抱えた。各国の債権者に対する返済のために帝国の徴税にも介入したほか、列強資本が鉄道敷設などへの投資などを通じて進出する上でも重要な役割を果たした。

この組織はオスマン帝国滅亡まで存続したが、1923年にムスタファ・ケマル率いるアンカラ政府が結んだローザンヌ条約によって最終的には廃止された。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 永田雄三、他『世界現代史11 中東現代史I』(山川出版社、1992年)