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「ヴィム・ヴェンダース」の版間の差分

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1967年、[[ユナイテッド・アーティスツ]]のデュッセルドルフ・オフィスで働くためにドイツに帰国後、秋にはUniversity of Television and Film Munich(Hochschule für Fernsehen und Film München, HFF)に入学し、1967年から1970年にかけてはFilmKritik誌、[[南ドイツ新聞]]Twen magazine誌、[[デア・シュピーゲル]]誌で映画批評に取り組む。大学卒業までの間に、16mmモノクロで撮影された長編映画『都市の夏』の他数本の短編映画を完成させている。
1967年、[[ユナイテッド・アーティスツ]]のデュッセルドルフ・オフィスで働くためにドイツに帰国後、秋にはUniversity of Television and Film Munich(Hochschule für Fernsehen und Film München, HFF)に入学し、1967年から1970年にかけてはFilmKritik誌、[[南ドイツ新聞]]Twen magazine誌、[[デア・シュピーゲル]]誌で映画批評に取り組む。大学卒業までの間に、16mmモノクロで撮影された長編映画『都市の夏』の他数本の短編映画を完成させている。


その作風から見て取れるように、多方面からアメリカ文化の影響を受けている。『[[都会のアリス]]』『[[まわり道]]』『[[さすらい (1976年の映画)|さすらい]]』などを発表し、[[小津安二郎|小津映画]]の影響の覗える傑出した[[:en:Climate (disambiguation)<!--「風土」という言葉がウィキには載っていない!、「風土」には、「都会のアリス」の「ツインタワー」や「パンナム?のホテル」、「まわり道」の「郊外ニュータウンや地下鉄」も含めたつもりですので消さないで下さい。-->|風土]]描写で、一躍[[ロードムービー]]の旗手となる。[[ニュー・ジャーマン・シネマ]]の開拓者としても注目を浴びている。
その作風から見て取れるように、多方面からアメリカ文化の影響を受けている。『[[都会のアリス]]』『[[まわり道]]』『[[さすらい (1976年の映画)|さすらい]]』などを発表し、[[小津安二郎|小津映画]]の影響の覗える傑出した[[:en:Climate (disambiguation)<!--「風土」という言葉がウィキには載っていない!、「風土」には、「都会のアリス」の「ツインタワー」や「パンナム?のホテル」、「まわり道」の「郊外ニュータウンや地下鉄」も含めたつもりですので消さないで下さい。-->|風土]]描写で、一躍[[ロードムービー]]の旗手となる。[[ニュー・ジャーマン・シネマ]]の開拓者としても注目を浴びている。


1984年、『[[パリ、テキサス]]』で[[カンヌ国際映画祭]][[パルム・ドール]]を受賞した
現在、『The Miso Soup』(原作は[[村上龍]]の「イン・ザ・ミソスープ」)を日本で監督する予定である。


1985年、[[小津安二郎]]に捧げる『[[東京画]]』を製作。
*1984年、『[[パリ、テキサス]]』で[[カンヌ国際映画祭]][[パルム・ドール|パルムドール]]を受賞。

*1985年、[[小津安二郎]]に捧げる『[[東京画]]』を製作。
*1987年、『[[ベルリン・天使の詩]]』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。
1987年、『[[ベルリン・天使の詩]]』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した

2008年、[[村上龍]]の『[[イン・ザ・ミソスープ]]』を原作とした『The Miso Soup』を手掛けることが報じられた<ref>{{cite web |url=http://www.cinematoday.jp/page/N0013875 |title=村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」をヴィム・ヴェンダース映画化【第61回カンヌ国際映画祭】|date=2008-05-20|accessdate=2012-01-26|work=シネマトゥデイ}}</ref>。

2012年、20年に渡って企画を練っていた『[[Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち]]』(2011年)が[[第84回アカデミー賞]][[アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞|長編ドキュメンタリー映画賞]]にノミネートされた。


== 写真展「尾道への旅」 ==
== 写真展「尾道への旅」 ==
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*[[それぞれのシネマ]] ''To Each His Own Cinema'' (2007年)
*[[それぞれのシネマ]] ''To Each His Own Cinema'' (2007年)
*[[パレルモ・シューティング]] ''Palermo Shooting'' (2008年)
*[[パレルモ・シューティング]] ''Palermo Shooting'' (2008年)
*[[Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち]](2011年)
*[[Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち]] ''Pina'' (2011年)

== 参考文献 ==
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==関連項目==
== 関連項目 ==
*[[ペーター・ハントケ]] しばしば脚本・原作を担当している。
*[[ペーター・ハントケ]] - しばしば脚本・原作を担当している。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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*[http://www.wim-wenders.com/ 公式サイト]
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2012年1月26日 (木) 06:16時点における版

ヴィム・ヴェンダース
Wim Wenders
Wim Wenders
本名 Ernst Wilhelm Wenders
生年月日 (1945-08-14) 1945年8月14日(79歳)
出生地 デュッセルドルフ
国籍 ドイツの旗 ドイツ
配偶者 Edda Köchl (1968-1974)
Lisa Kreuzer (1974-1978)
Ronee Blakley (1979-1981)
Isabelle Weingarten (1981-1982)
Donata Wenders (1993-)
受賞
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1984年パリ、テキサス
監督賞
1987年ベルリン・天使の詩
審査員特別グランプリ
1993年時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!
国際映画批評家連盟賞
1976年さすらい
1984年パリ、テキサス
英国アカデミー賞
監督賞
1984年『パリ、テキサス
その他の賞
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ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders, 1945年8月14日 - )は、ドイツ生まれの映画監督。本名はエルンスト・ヴィルヘルム・ヴェンダース(Ernst Wilhelm Wenders)である。

略歴

デュッセルドルフに生まれる。ギムナジウム卒業後、大学では医学(1963年 - 1964年)と哲学(1964年 - 1965年)を学ぶが断念し、1966年10月に画家を志してパリへ引っ越す。

高等映画学院(IDHEC)の入試に失敗後、モンパルナスにあるJohnny Friedlaenderのスタジオで彫刻を学ぶ。この頃、映画に魂を奪われ、1日5本以上もの映画を観る生活を送っている。

1967年、ユナイテッド・アーティスツのデュッセルドルフ・オフィスで働くためにドイツに帰国後、秋にはUniversity of Television and Film Munich(Hochschule für Fernsehen und Film München, HFF)に入学し、1967年から1970年にかけては『FilmKritik』誌、『南ドイツ新聞』、『Twen magazine』誌、『デア・シュピーゲル』誌で映画批評に取り組む。大学卒業までの間に、16mmモノクロで撮影された長編映画『都市の夏』の他数本の短編映画を完成させている。

その作風から見て取れるように、多方面からアメリカ文化の影響を受けている。『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』などを発表し、小津映画の影響の覗える傑出した風土描写で、一躍ロードムービーの旗手となる。ニュー・ジャーマン・シネマの開拓者としても注目を浴びている。

1984年、『パリ、テキサス』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。

1985年、小津安二郎に捧げる『東京画』を製作。

1987年、『ベルリン・天使の詩』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。

2008年、村上龍の『イン・ザ・ミソスープ』を原作とした『The Miso Soup』を手掛けることが報じられた[1]

2012年、20年に渡って企画を練っていた『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年)が第84回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。

写真展「尾道への旅」

2006年4月29日から5月7日にかけて、表参道ヒルズ本館地下3階のオー「O」で開催された。

写真家でもある妻のドナータ・ヴェンダースと共に、京都から尾道鞆の浦直島へと旅の道中の、日本の古都瀬戸内の原風景を収めた写真を展示。作風としてはヴィムが風景を、ドナータ夫人がモノクロ写真での人物を表現していた。現在も尚、写真展の公式サイトにおいて、一部作品が掲載されている。枯木の向日に見える尾道の街並と尾道水道の夕景『Dead Tree』は絶品である。日立造船向島西工場跡地の『男たちの大和』ロケ地での写真も展示されていた。

尾道でのドキュメンタリー映像が放映された。『東京物語』の第二の舞台となった尾道へのオマージュの様相や、全編に渡り現在の尾道の風景を捉えたもので、東京画を彷彿させる作風であった。先述の『Dead Tree』を撮影したと思われる浄土寺(尾道市)の裏山を登るシーンも記録されている。

主な監督作品

参考文献

関連項目

外部リンク