「アテネ」の版間の差分
m →年表 |
|||
115行目: | 115行目: | ||
* [http://www.athenstourism.gr/Greek/index.html アテネ観光経済開発局] {{el icon}}{{en icon}} |
* [http://www.athenstourism.gr/Greek/index.html アテネ観光経済開発局] {{el icon}}{{en icon}} |
||
* [http://www.visitgreece.jp/athene/index.html ギリシャ政府観光局 - アテネ] {{ja icon}} |
* [http://www.visitgreece.jp/athene/index.html ギリシャ政府観光局 - アテネ] {{ja icon}} |
||
* [http://www.imaginas.gr/gallery/index.php?fID=36/ Pictures of Athens] |
|||
2008年6月14日 (土) 05:24時点における版
アテネ(ギリシャ語:Αθήνα, Athena;雅典)は、ギリシャ共和国の首都。古名はアテナイといい、古代ギリシア時代に強力な都市国家として栄えたことで広く知られる。英名Athens。中国語表記では「雅典」。(日本語の漢字表記も同じ。)
ギリシャの首都であり、同国の政治・経済の中心地である。また、ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が座すため、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する。)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロテア。
歴史
(古代のアテネについては、アテナイを参照のこと。)
アテネは古名をアテナイという。古くから栄えた商業都市であり、古代ギリシア時代には都市国家(ポリス)を形成した。紀元前6世紀頃のアテナイは、民主政の下で発展、アッティカ地方全域を支配し、スパルタと並ぶ強国であった。ペルシア戦争では、ギリシアの都市国家連合の雄としてペルシア帝国軍の撃退に大きく貢献し、戦後結成されたデロス同盟の盟主となって、古代ギリシアの中心都市として学芸と文化の都として栄えた。しかし、ペロポネソス戦争でスパルタに敗れて以降、国力は次第に衰退し、紀元前4世紀にマケドニア王国に屈服して政治的な独立を失った。
その後、古代ローマの属領となり、ギリシア世界の学芸の都として栄えた。ローマ帝国以降は政治的・文化的な重要性は失われ、東ローマ帝国やオスマン帝国の時代を通じて、寒村といってよい状態であった。
18世紀後半に入ると、ヨーロッパでのロマン主義の盛り上がりに」伴って、古代ギリシア文明の中心地として注目を浴びるようになった。これに刺激されておこったギリシャ人のナショナリズムでは、精神的な中心地として地位を高めた。1830年にオスマン帝国から独立したギリシャ王国は、ギリシャ・ナショナリズムの古代ギリシャ復興の風潮に合わせて、1834年にアテネを首都に定めた。以後、アテネはギリシャ国家の中心として次第に発展していった。
ギリシャ王国の初代国王オソン1世が連れてきたドイツ出身の官僚たちは、西欧風の都市計画を導入し、アテネは近代国家ギリシャの首都に相応しい都市として建設されていった。現在の町並みは、この時代に建設された市街や建築物が原型となっている。また、古代遺跡の保護活動も進められ、アクロポリスの丘が町のシンボルとして整備された。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツに占領された。戦後は急速に復興し、ギリシャの経済成長の中心として人口が爆発的に増加、大都市となった。
年表
- 紀元前8世紀頃 - エーゲ文明消滅後、古代ギリシア人の一派イオニア人が定住し、ポリス(都市国家)が形成される。
- 紀元前7世紀頃 - 民主政が成立。
- 紀元前561年 - ペイシストラトスが僭主となる。
- 紀元前510年 - ペイシストラトスの子、僭主ヒッピアスが追放される。
- 紀元前490年 - マラトンの戦いでアテナイを主力とするギリシア重装歩兵軍団がペルシア軍を破る。
- 紀元前480年 - サラミスの海戦でテミストクレス将軍の指揮によりペルシア海軍撃破。
- 紀元前479年 - プラタイアの戦いでアケメネス朝ペルシアの勢力を完全に撃退。
- 紀元前477年 - ペルシア再侵攻に備えデロス同盟結成。
- 紀元前461年 - 指導者ペリクレス将軍の下で古代都市としての全盛期を迎える。
- この頃アテネがデロス同盟の資金を流用。
- 紀元前431年 - ペロポネソス戦争が勃発。スパルタに破れる。
- この時期からアテネは衆愚政治に陥る。
- 紀元前338年 - カイロネイアの戦いでマケドニア王国に敗れ、独立を失う。コリントス同盟(ヘラス連盟)成立。アテネ加盟
- 紀元前168年 - ローマ軍がギリシャに侵入し、ローマ支配が始まる。
- 紀元後から文化都市としても衰退を始める。
- ローマ人がギリシア化。
- 395年 - ローマ帝国分裂、ビザンツ帝国支配開始。
- 1456年 - ビザンツ帝国(東ローマ)の残存勢力が滅ぼされ、オスマン帝国領となる。
- 1830年 - ギリシャ王国の独立が承認される。
- 1834年 - ギリシャ王国の首都に定められる。
- 1896年 - 第1回夏季オリンピックが開かれる。
- 2004年 - 第28回夏季オリンピック競技大会開催。
地理
アテネはギリシャ中南部にある同国の首都で最大の都市。サロニコス湾に面するアッティカ平野にあり、パルネス山、ペンテリコン山、ヒュメットス山、アイガレオス山といった山々にかこまれ、西にキフィソス川、東にイリソス川がながれる。南西約8kmに外港ピレウスがあり、他の周辺地域とともに大アテネを形成している。市域の中心にアクロポリスの丘、北東部にリュカベットス山がそびえ、パルテノン神殿跡、聖イヨルイヨス礼拝堂などがある。 全体にわたって山地が多くそのため信仰の場となっている事が多い。
行政
2004年9月現在、保守派新民主主義党のドラ・バコヤンニが市長を務める(2002年10月就任)。彼女は初の女性市長であり、オリンピック開催都市の首長が女性であったのも、2004年アテネオリンピックが初となった。
経済
ギリシャの経済活動はアテネおよびその周辺に集中している。主な産業は織物、アルコール飲料、石鹸、製粉、化学、製紙、皮革、陶器などで、出版、金融、観光も重要な位置を占める。
観光
アテネの最も有名な観光名所は、アクロポリスとそこに建設されたパルテノン神殿である。パルテノン神殿は、デロス同盟の流用資金で建造されたものとしても知られる。神殿の豪華な装飾品等は、18,19世紀にほぼイギリスにより回収運搬され、現在そのほとんどが大英博物館に保管されている。
アテネ国立考古学博物館 は、ギリシア中の様々な古代遺跡から集められた最重要な遺物の数々を収蔵している。
交通
市内
アテネの公共交通機関としてはバス・地下鉄・路面電車・トロリーバスがある。地下鉄は3路線からなる。
航空
アテネ南西の郊外に、新アテネ国際空港があり、欧州各国、中近東、アジア諸国からの多くの便がある。エーゲ海の島々を結ぶ交通の要所でもある。
以前はオリンピック航空が成田国際空港から直行便を乗り入れていたが運休している。また、日本航空は南回りヨーロッパ線で乗り入れていた(末期は最終目的地となった)が、1990年の湾岸危機で休止、その後復活することなく廃止された。
現在はヨーロッパ各地で乗り継いでアテネに向かうことが多いが、到着は深夜になる。成田国際空港からタイ国際航空(バンコク経由)、関西国際空港からシンガポール航空(シンガポール経由)やエミレーツ航空(ドバイ経由)を利用すると、早朝または午前中にアテネに着くことができる。乗り継ぎ地での接続も良く、成田のタイ国際航空、関空のエミレーツ航空がアテネへの最短ルートである。
教育
スポーツ
1896年に第1回オリンピックが開かれ、108年後の2004年には第28回夏季オリンピックが開催された。また、同大会のために建設されたアテネオリンピックスポーツコンプレックスがある。1997年にも世界陸上選手権が行われた。
サッカー
アテネを本拠地とするサッカークラブチームとして、以下のチームがある。
姉妹都市
アテネは5つの姉妹都市を有している:
関連項目
外部リンク
- 公式
- アテネ市公式サイト (ギリシア語)
- 日系機関
- 旅行
- アテネ観光経済開発局 (ギリシア語)(英語)
- ギリシャ政府観光局 - アテネ (日本語)
- Pictures of Athens