青島神社

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青島神社

拝殿
所在地 宮崎県宮崎市青島2丁目13-1
位置 北緯31度48分16.8秒 東経131度28分29.5秒 / 北緯31.804667度 東経131.474861度 / 31.804667; 131.474861 (青島神社)座標: 北緯31度48分16.8秒 東経131度28分29.5秒 / 北緯31.804667度 東経131.474861度 / 31.804667; 131.474861 (青島神社)
主祭神 天津日高彦火火出見命
豊玉姫命
塩筒大神
社格 旧村社・別表神社
創建 不明
本殿の様式 流造銅板葺
札所等 日向之国七福神霊場
例祭 10月18日
主な神事 島開祭(旧暦3月16日)
夏祭(海を渡る祭礼)(旧暦6月17日)
裸参り(成人の日)
地図
青島神社の位置(宮崎県内)
青島神社
青島神社
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青島(2017年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

青島神社(あおしまじんじゃ)は、宮崎県宮崎市青島にある、青島のほぼ中央に鎮座する神社で、周囲1.5kmの青島全島を境内地とする。旧社格村社で、現在は神社本庁別表神社

青島は全島が熱帯亜熱帯植物の群生地として、国の特別天然記念物に指定されている。

祭神

天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと。彦火火出見命とも)とその妃神 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、そして塩筒大神(しおづつのおおかみ)を祀る。

いずれも山幸海幸神話に因む神で、縁結び、安産、航海安全の神として信仰を集めている。

由緒

青島神社全体俯瞰

元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ[1]、古くから青島自体が霊域として崇められており[2]、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝えるが[3]寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に創祀の古伝を詳らかにしえないという[4]

神社の旧記によれば、平安時代日向国国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)青島大明神」と記され当時既に崇敬されていたと伝え、その後文亀3年(1503年)に伊東尹祐によって再興されて以降、伊東氏飫肥藩の篤い崇敬を受け、大永3年(1523年)、天正6年(1578年)、貞享4年(1687年)、寛保2年(1742年)、明和4年(1767年)、文化5年(1808年)と6度にもわたる社殿の造営・改修や、境内の保全事業が行われた。また、飫肥藩時代は藩士の中で土器(かわらけ)格の者1人を島奉行に任じ[5]、島内の樹林や磯辺を監守させた他、牛馬を渡島させたり発砲を禁じたりと一切の汚穢を警戒させていた[4]元文2年(1737年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、村民は対岸の尖浜(現青島海水浴場)に拝所を設けて遙拝していたが、当時の神主であった長友肥後が藩主に解禁を申請し、以来一般人の渡島参詣が可能になった。

明治4年(1871年)、村社に列し、戦後は神社本庁の別表神社に指定された。

祭祀

冬祭(裸参り)

神事

10月18日の例祭(秋祭)以外に、以下の神事が著名である。

  • 春祭(旧暦3月16日) - 往古はこの日から月末までの半月間は、一般の入島が許されていたため、今でも「島開き祭」と呼ばれる。因みに旧暦3月末日は「島成就」と呼ばれ、かつては一般の入島を禁じる島止祭が行われていた。
  • 夏祭(旧暦6月17・18日) - 対岸の折生迫まで神輿の渡御が行われ、白浜海水浴場 から漁船に載せて青島を2周して、折生迫漁港のお旅所に1泊して還御する神幸祭である。神輿の渡御は古くから行われていたが、氏子漁民の願いによって、昭和23年(1948年)から海上渡御も行うようになった。
  • 冬祭(成人の日)) - 彦火々出見命が海宮から帰還した際に、村人が服を着る暇もなく出迎えたという故事に因むものと伝え、かつては旧暦12月17日の夜半から夜を徹して、近在の若い男女が真裸になって参拝していたため、「裸参り」とも呼ばれ、これを行うは千日参詣に等しいとされた。現在は氏子青年や信者が海水に浴して、静かに祈願する形に変わっている。

祠官

長友氏が社家として勤める。口碑に、社家は古く青島背後の下加江田村という200戸程度の村落に居住したが、同村は寛文2年の大地震で水没したという[4]

社殿

本殿は流造、拝殿は切妻造平入で、ともに銅板葺(明治15年(1882年)までは板葺であった[4])。現在の社殿は昭和49年(1974年)に火災で全焼した後、再建されたもの。

境内社

元宮
  • 元宮 - 本来の社地であったと伝える。本社と同じ3柱の神を祀る。
  • 弁財天- 幣殿内に鎮座し、弁財天を祀る。昭和60年(1985年)に設定された日向之国七福神霊場の中の1柱である。

その他、海積神社(豊玉彦命少彦名命)、石(いそ)神社(彦火瓊瓊杵命木花咲屋姫命磐長姫命)、御祖神社(氏子神徒の祖霊並びに氏子戦病死者の御霊)、恵比寿神(恵比寿神)がある。

境内

境内地は青島全島で、島内の亜熱帯性植物群落は大正10年(1921年)3月3日に国の天然記念物、昭和27年(1952年)3月29日に同特別天然記念物に指定され、「鬼の洗濯岩(板)」と通称される周囲の隆起海床と奇形波蝕痕は昭和9年(1934年)5月1日に国の天然記念物に指定された。

弥生橋

弥生橋と青島(現在の石橋は1951年(昭和26年)9月2日の竣工)

青島へ渡るための橋は大正9年(1920年)3月、昭和天皇が皇太子時代に行啓した折に架設されたのが起源で、当時の御歌所所長入江為守により、3月に因んで「弥生橋」と名付けられた。当時のものは昭和15年(1940年)の台風によって全壊し、現在のものは同26年(1951年)9月2日に架け替えられたもの[6]

文化財

  • 青島亜熱帯性植物群落(国の特別天然記念物)
  • 青島の隆起海床と奇形波蝕痕(国の天然記念物)

その他

  • 松添貝塚 - 付近の青島西1丁目にある、縄文時代後期から晩期にかけての貝塚。遺物として加工されたクジラの骨や、多種の魚骨、貝殻があり、特に装飾を施した骨針は、古くから海と密接な関係にあった人々の存在を伺わせ、当社に対する信仰との関わりが注目される。
  • 境内には「日向神話館」(平成12年(2000年)に開館した日本初の蝋人形神話館)があり、山幸海幸神話を含む天孫降臨から神武天皇による東征・大和平定までを30体の蝋人形と12の場面で再現している。また、巨人軍のキャンプ地が近いこともあり、長嶋茂雄の蝋人形も展示してある。
  • 昭和中期には、新婚旅行先として絶大な人気を集めた訪問地の一つだった。

交通

脚注

  1. ^ 『日本の神々』。
  2. ^ 宮崎市観光協会、「青島神社」(平成22年11月30日閲覧)。
  3. ^ 因みにその後妃神である豊玉姫命の出産にあたっては鵜戸の神窟(現鵜戸神宮)に産屋(うぶや)を建てたとも伝える。
  4. ^ a b c d 『宮崎県神社誌』。
  5. ^ 「土器」は家臣の家格の一。禄高は2から16で、庄屋や大工木挽、船大工等を役職とした。「土器」の称は正月に藩主への謁見が許され、その際に藩主からかわらけ(土器製の)を賜った事による(『宮崎県史』(通史編 近世上)、宮崎県、平成12年)。
  6. ^ 青島神社公式サイト”. 2021年1月27日閲覧。

参考文献

  • 『宮崎県神社誌』、宮崎県神社庁、昭和63年
  • 谷川健一編 『日本の神々-神社と聖地』第1巻九州、白水社、1984年

関連項目

外部リンク