虎ノ門事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。183.181.236.230 (会話) による 2016年1月6日 (水) 17:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎その他)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

虎ノ門事件
虎ノ門の碑。 事件は虎ノ門公園(現商船三井ビル)の側で起きたので、碑のある場所の反対の側になる。
場所 日本の旗 日本 東京府東京市麹町区虎ノ門
座標
北緯35度40分14秒 東経139度44分56秒 / 北緯35.67056度 東経139.74889度 / 35.67056; 139.74889座標: 北緯35度40分14秒 東経139度44分56秒 / 北緯35.67056度 東経139.74889度 / 35.67056; 139.74889
標的 皇太子裕仁親王
日付 1923年大正12年)12月27日
午前10時45分頃
概要 暗殺未遂事件
武器 ステッキ散弾銃
負傷者 入江為守東宮侍従長
犯人 難波大助
対処 大逆罪死刑
テンプレートを表示

虎ノ門事件(とらのもんじけん)は、1923年大正12年)12月27日に、日本虎ノ門外において皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が社会主義者の難波大助により狙撃を受けた事件である。

大正時代、関東大震災後に頻発したテロ事件の一つで、復興を進めていた第2次山本内閣は引責による総辞職を余儀なくされた。

事件発生

1923年12月27日、摂政として第48通常議会の開院式に出席するため、自動車貴族院へ向かっていた皇太子の御召自動車に、虎ノ門外(虎ノ門公園側)で群衆の中にいた難波大助が接近し、ステッキ仕込み式散弾銃で狙撃した。銃弾は皇太子には命中しなかったが、車の窓ガラスを破って同乗していた東宮侍従長入江為守入江相政の父)が軽傷を負った。自動車はそのまま目的地に到着し、その時点で周囲が初めて入江の出血に気づいた。なお、皇太子は事件後、側近に「空砲だと思った」と平然と語ったとされる。

難波は逃走を図ったが、警戒中の私服警察官が難波に飛びつくと、周囲の群衆が一斉に押し寄せて難波を袋叩きにした。警察官らは難波の身柄を確保するために群衆に制止を命じたが、最初に飛びついたのが私服警官だったため、自分たちが犯人を捕えたのだと思い込んでいた群衆はなかなか制止を聞かず、警察官が身をもって難波を殴打からかばわなければならなかった。難波は逮捕された後、大逆罪起訴され死刑判決を受けて、1924年(大正13年)11月15日死刑執行された。

この事件の背景には、関東大震災後の社会不安や、大杉事件亀戸事件王希天事件などの労働運動弾圧に対する社会主義者達の反発があった。

影響

山口県の難波大助の生家

当時の内閣総理大臣山本権兵衛は摂政である皇太子に即刻辞表を提出した。それを受けた皇太子は12月29日に山本を慰留したが、山本の決意は変わらず、1月7日内閣総辞職は認められた。また、当日の警護責任を取り、警視総監湯浅倉平警視庁警務部長の正力松太郎懲戒免官になった。

難波の出身地であった山口県知事に対して2ヶ月間の2割減俸、途中難波が立ち寄ったとされる京都府の知事は譴責処分となった。また、難波の郷里の全ての村々は正月行事を取り止め謹慎し、難波が卒業した小学校校長と担任は教育責任を取り辞職した。

難波大助の父で衆議院議員難波作之進庚申倶楽部所属)は事件の報を受けるや直ちに辞表を提出し、閉門の様式に従って自宅の門を青竹で結び家の一室に蟄居し、食事も充分に摂らず餓死した。大助の長兄は勤めていた鉱業会社を退職した。なお、難波の処刑後、皇太子は「家族の更生に配慮せよ」と側近に語った。

この難波作之進の死により、選挙地盤松岡洋右が引き継ぐこととなる。さらに戦後岸信介佐藤栄作という大物保守政治家に引き継がれ、昭和史を動かす遠因となった。

次の清浦内閣の陸相のポストを巡って、薩摩閥の上原勇作が推す福田雅太郎と長州閥の田中義一が推す宇垣一成とが争ったが、福田は関東大震災時に関東戒厳司令官の立場であったため、無政府主義者らの暗殺の標的とされていたことから、摂政の身に再び危険が及ぶ虞があることを理由に宇垣が後任の陸相となった。宇垣は次の加藤高明内閣でも陸相を再任し宇垣軍縮を実行した。また後年上原が田中に一矢報いた事件が張作霖爆殺事件(満州某重大事件)である。

その他

犯行に使われたステッキ銃は河上肇の「思い出断片」によると、伊藤博文ロンドンで手に入れて、人づてに難波作之進に渡ったものであった。大助は「気晴らしの狩猟のため」と称して持ちだした。

参考文献

  • 今井清一『大正デモクラシー』中央公論社〈中公文庫 日本の歴史 ; 23〉、2006年。ISBN 412204717X 
  • 大江志乃夫『張作霖爆殺 : 昭和天皇の統帥』中公新書、1989年。ISBN 4121009428 
  • 小貫修一郎国立国会図書館デジタルコレクション 今上陛下聖徳余影』聖徳余影発行所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1033509/48 国立国会図書館デジタルコレクション 

関連項目