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一条兼冬

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一条兼冬
時代 戦国時代
生誕 享禄2年(1529年
死没 天文23年2月1日1554年3月4日
戒名 後円明寺、天岳行春
官位 従一位関白左大臣
主君 後奈良天皇
氏族 一条家
父母 父:一条房通、母:一条冬良の娘
兄弟 兼冬内基
養兄弟:兼定
正室:広橋保子広橋兼秀の娘)
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一条 兼冬(いちじょう かねふゆ)は、戦国時代公卿関白一条房通の子。一条家12代当主。官位従一位・関白、左大臣

経歴

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天文9年(1540年)従三位、右大臣に叙任される。

天文17年(1548年)6月中旬、若気嘲弄物語(島原図書館松平文庫の蔵書)の写本の奥書に「右一冊者故禅閤<後成恩寺>之述作云々、一笑云々」との一文を記している。

天文22年(1553年)には25歳で従一位・関白、左大臣となる。また歌や絵にも巧みであった。

天文23年(1554年)2月1日、薨御。享年26。法号は後円明寺、天岳行春。家督は弟・内基が継いだ。

系譜

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参考資料

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  • 新訂増補国史大系(吉川弘文館)