紋別郡
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紋別郡(もんべつぐん)は、北海道オホーツク総合振興局に所属する郡。
人口36,645人、面積3,912.64km²、人口密度9.37人/km²。(2024年5月31日、住民基本台帳人口)。
日本の郡では、最も面積が広い。
以下の5町1村を含む。
歴史
江戸時代の紋別郡域は西蝦夷地に属し、当初は松前藩によって開かれたソウヤ場所に含まれたが、後にモンベツ場所が新たに分立した。江戸時代後期になると、南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年紋別郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり会津藩が紋別に出張陣屋を築き警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制に倣い紋別郡が置かれる。北海道北見国に含まれた。廃藩置県前、明治2年8月29日から明治3年8月まで和歌山藩の所領となっていた。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない根室県の所管となる。
- 1906年4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、紋別郡に湧別村・渚滑村が置かれる。(2村)
- 1909年4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、紋別郡に紋別村が置かれる。(3村)
- 1910年4月1日 - 湧別村が下湧別村・上湧別村(いずれも二級村)に分割。(4村)
- 1915年4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、紋別郡に興部村・雄武村が置かれる。(6村)
- 1917年 - 人口:46,682名。マラリア患者数:1名。
- 1918年4月1日 - 渚滑村から滝上村(二級村)が分立。(7村)
- 1919年4月1日 - 上湧別村から遠軽村(二級村)が分立。(8村)
- 1919年5月1日 - 紋別村が二級町制施行し紋別町となる。(1町7村)
- 1921年4月1日 - 紋別町が一級町に移行。
- 1925年1月1日(1町9村)
- 遠軽村から生田原村(二級村)が分立。
- 興部村から西興部村(二級村)が分立。
- 1932年6月1日 - 渚滑村から下渚滑村(二級村)が分立。(1町10村)
- 1934年4月1日 - 遠軽村が一級町制施行し遠軽町となる。(2町9村)
- 1937年11月1日 - 渚滑村が上渚滑村に改称。
- 1938年4月1日 - 上湧別村が一級村に移行。
- 1940年1月1日 - 下渚滑村が渚滑村に改称。
- 1940年4月1日 - 下湧別村が一級村に移行。
- 1943年6月1日 - 北海道一級・二級町村制廃止。生田原村・渚滑村・上渚滑村・滝上村・興部村・西興部村・雄武村が内務省指定村に移行。
- 1946年8月1日 - 遠軽町から丸瀬布村・白滝村が分立。(2町11村)
- 1946年10月5日 - 指定町村制廃止。
- 1947年10月1日 - 滝上村が町制施行し滝上町となる。(3町10村)
- 1948年10月1日 - 雄武村が町制施行し雄武町となる。(4町9村)
- 1951年4月1日 - 興部村が町制施行し興部町となる。(5町8村)
- 1953年9月29日 - 上湧別村が町制施行し上湧別町となる。(6町7村)
- 1953年10月1日(8町5村)
- 下湧別村が町制施行・改称し湧別町となる。
- 丸瀬布村が町制施行し丸瀬布町となる。
- 1954年4月1日 - 生田原村が町制施行し生田原町となる。(9町4村)
- 1954年7月1日 - 紋別町・上渚滑村・渚滑村が合併し、紋別市が発足、郡より離脱。(8町2村)
- 2005年10月1日 - 遠軽町・丸瀬布町・生田原町・白滝村が合併し、遠軽町が発足。(6町1村)
- 2009年10月5日 - 上湧別町・湧別町が合併し、湧別町が発足。(5町1村)
参考文献
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)