相川浩

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相川 浩(あいかわ ひろし、1933年7月6日 - 2003年11月27日)は、日本フリーアナウンサー。元NHKアナウンサー神奈川県横須賀市出身。

あいかわひろし
相川 浩
プロフィール
出身地 日本の旗 日本神奈川県横須賀市
生年月日 1933年7月6日
没年月日 2003年11月27日(70歳没)
最終学歴 東京経済大学経済学部卒業
職歴 元NHKアナウンサー、フリーアナウンサー
活動期間 1957年 - 2003年
担当番組・活動

来歴・人物

東京都立西高等学校東京経済大学経済学部卒業後[1]1957年NHK入局。『NHK紅白歌合戦』総合司会(1975年 - 1978年)、夏の紅白とも称される『思い出のメロディー』、『ゲーム ホントにホント?』(1975年 - 1976年)、『お国自慢にしひがし』(1976年 - 1978年)などの看板番組を担当した。『思い出のメロディー』では通算12回司会を担当、司会の最多記録となっている。

チーフアナウンサーから理事待遇エグゼクティブアナウンサーまで昇進する[2]

1991年7月にNHKを定年退職してフリーに転じ、1991年10月から日本テレビNNNニュースプラス1』のメインキャスターを徳光和夫の後任として1992年9月まで1年間担当した。また、『NNNニュースプラス1』担当終了後は、埼玉県新座市十文字学園女子短期大学教授を経て、1995年4月からは母校・東京経済大学コミュニケーション学部教授を務め、2002年3月に退職。

NHK在職時には宮田輝に認められ、宮田の葬儀では生前の宮田から指名をされて司会をしている[3]

夏休みを取ったことがないほどの“仕事人間”でもあった。著書に『おはよう心が元気です』(1985年)、『話し度胸はこうしてつける』(1986年)などがある。

2003年11月27日、肝不全のために死去。享年70。亡き後も、NHKで以前放送されていた相川の収録ナレーションの紀行番組(『あの人あの芸[4]、『日本百名山』等)が深夜に時折放送されている。

関連項目・人物

脚注

  1. ^ 『神奈川年鑑』1996年神奈川新聞社、306ページ
  2. ^ 知のコミュニケーション 言葉の外に真のメッセージありhttps://honto.jp/netstore/pd-book_01439932.html 
  3. ^ 古谷敏郎『評伝 宮田輝』文藝春秋、2022年3月10日、352-356,362-366頁。ISBN 9784163915128 
  4. ^ あの人あの芸 - NHK放送史
先代
徳光和夫1988年1991年
NNNニュースプラス1
平日男性メインキャスター
2代目(1991年~1992年
次代
真山勇一(1992年~2002年