髙市未来
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
世界柔道選手権 | ||
銅 | 2014 チェリャビンスク | 63kg級 |
銅 | 2015 アスタナ | 63kg級 |
世界団体 | ||
金 | 2015 アスタナ | 63kg級 |
銅 | 2014 チェリャビンスク | 63kg級 |
ワールドマスターズ | ||
金 | 2015 ラバト | 63kg級 |
グランドスラム | ||
銀 | 2013 東京 | 63kg級 |
銀 | 2016 パリ | 63kg級 |
銅 | 2014 パリ | 63kg級 |
銅 | 2015 東京 | 63kg級 |
ユースオリンピック | ||
金 | 2010 シンガポール | 63kg級 |
世界ジュニア | ||
金 | 2010 アガディール | 63kg級 |
世界カデ | ||
金 | 2009 ブダペスト | 63kg級 |
田代 未来(たしろ みく、1994年4月7日 - )は、東京都八王子市出身の日本の柔道選手。階級は63kg級。身長163cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は弐段。得意技は内股、大内刈、小外刈、寝技[1]。現在はコマツに所属[2]。なお、所属先のコーチでもあるオリンピック2連覇の谷本歩実とは同じ階級で、容姿までそっくりだと言われている[3]。
人物
八王子市立上壱分方小学校2年の時に兄の影響で、かつて中村美里も所属していた警視庁高尾警察署で柔道に取り組むことになった[1][4][5]。小学校3年からは強くなりたい一心で、先輩の中村美里が当時在籍していた相模原の相武館吉田道場にも通うようになった。5歳年上の中村からはよくかわいがってもらっていたという[6]。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級で3位となり、小学校6年の時には45kg級で優勝した[1]。
中学からは中村と同じく相武館吉田道場で寮生活を始めながら、近くの相原中学に通うことになった。中学1年の時には全国中学校柔道大会の57kg級で決勝まで進んで戸塚中学3年の武村綾華と対戦すると、有効を先取しながら袈裟固で逆転負けを喫して2位にとどまった。翌年の春には近代柔道杯で2位となった[1]。
中学2年の時には全国中学校大会の個人戦で1階級上の63kg級に出場すると、決勝で芳野中学3年の佐野賀世子を判定で破って優勝した。さらに団体戦も制して2冠を達成した。また、新設された全日本選抜少年柔道大会女子団体の部でも優勝を果たした。続いて近代柔道杯でも優勝を成し遂げた[1]。
中学3年の時には16歳以下の世界一を決める大会である世界カデに出場してオール一本勝ちで優勝した。さらに全国中学校大会の個人戦では決勝で丘中学2年の津金恵を小外掛で破って2連覇を果たした。団体戦でも1年後輩の芳田司や内尾真子などとともに活躍して優勝を成し遂げて、前年に引き続く2冠を達成した。全日本選抜少年柔道大会でも2連覇を達成して中学女子では史上初の団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、全日本選抜少年柔道大会)を達成した[6]。全日本ジュニアでは中学生ながら決勝まで進出するが、その年の世界ジュニアで優勝することになる筑波大学1年の山本小百合に敗れて2位に終わった[1]。
淑徳高校に進学すると、1年の時には金鷲旗の決勝で3人抜きの大活躍をして淑徳の優勝に大いに貢献した。8月のインターハイ団体戦では3年の太田晴奈や同じ1年で180cm、100kgの橋本珠未などとともに優勝に貢献した。さらにユースオリンピックに出場してそこでもオール一本勝ちで優勝した。なお大陸別混合団体戦にもエッセンチームの一員で出場して、そちらでもオール一本勝ちで優勝した[6]。9月の全日本ジュニアでは決勝で環太平洋大学1年の安松春香を判定で破って優勝を果たして、高校1年ながら世界ジュニア代表に選出された。10月の世界ジュニアでは初戦から順調に勝ち上がると、決勝ではヨーロッパ選手権で3位になるなどシニアでも一定の実績を有する19歳であるスロベニアのヴロラ・ベデティを指導2で破り、16歳にして優勝を成し遂げた[7]。このように高校1年までは止まることを知らない快進撃を見せていた[6]。
しかしながら、2年の時には7月の金鷲旗準決勝で敬愛高校と対戦した際に、78kg超級の畑村愛恵に払巻込からの横四方固で一本負けを喫して、左膝前十字靭帯断裂の大ケガを負うことになってしまった[6][8]。
その後、長期のリハビリを経て復帰を果たした[6]。3年の時にはインターハイ個人戦に出場すると、3回戦で松商学園高校2年の津金恵と対戦するが、微妙な足取りにより反則負けとなった[9]。11月の講道館杯では3位となった。12月にはグランドスラム・東京に出場するが初戦でフランスのクラリス・アグベニューにGSに入ってから掬い投げで敗れた。 2013年2月のヨーロッパオープン・ソフィアでシニアの国際大会初優勝を飾った[10]。
4月からはコマツの所属となった[6]。10月の東アジア大会では優勝を飾ると、11月の講道館杯では3位だった[1]。11月のグランドスラム・東京では決勝で三井住友海上の阿部香菜の前に指導3で敗れた[11]。
2014年2月のグランドスラム・パリではアグベニューに敗れるが3位となった[12]。4月の体重別では準決勝でJR東日本の大住有加に敗れたものの、世界選手権代表に選ばれた[13]。6月のグランプリ・ブダペストでは、決勝でドイツのマルティナ・トライドスを大内刈の技ありで破って優勝を飾った[14]。8月の世界選手権では準決勝でイスラエルのヤーデン・ジェルビと対戦すると、先に内股で技ありを先取するも上四方固で逆転負けを喫するが、3位決定戦ではイタリアのエドウィジュ・グウェンドを横四方固で破って3位になった。この際に、「自分の中の最後の夢は五輪。その中で勝てるようになりたい」と語った[15][16]。世界団体では準決勝のフランス戦でアグベニューに有効で敗れてチームも3位にとどまった[17]。12月のグランドスラム東京では2回戦でロシアのパリ・スラカトワに技ありで敗れた[1]。
2015年2月のグランプリ・デュッセルドルフではツェデブスレン・ムンフザヤに隅返で敗れて3位だった[18]。4月の体重別では決勝で了徳寺学園職員の田中美衣を横四方固で破って初優勝を飾り、世界選手権代表に選ばれた[19][20]。5月のワールドマスターズでは準決勝で昨年の世界選手権で敗れたジェルビを開始早々の内股で一蹴すると、決勝でもオーストリアのカトリン・ウンターヴルツァッハーを横四方固で破るなどオール一本勝ちして優勝を飾った。今回はあれこれ考えを巡らすまでもなく、イノシシの如く体が勝手に前に出て行く感覚になっていたという[21][22]。8月の世界選手権では準々決勝でアグベニューに技ありで敗れたが、敗者復活戦を勝ち上がって前年に続いて3位になった。この際に、「何度も負けている相手にまた負けて悔しい。技術的にアグベニューがまだ上」と語った[23][24]。世界団体では初戦から決勝まで全試合を得意の寝技で一本勝ちしてチームの優勝に貢献した[25]。10月には世界チャンピオンのティナ・トルステニャクのいるスロベニアで1週間ほど合同合宿に参加したが、想像以上に猛烈な練習に取り組んでいたことに大いなる刺激を受けたという[26]。12月のグランドスラム・東京では準々決勝でロシアのエカテリーナ・バルコワに敗れるが、その後の3位決定戦でアニカ・ファンエムデンを崩上四方固で破って3位となった。この際に、「負けてから良い柔道をしていても。それを最初から作らないと」と語った[27]。
2016年1月には新年最初の強化合宿において、女子代表監督の南條充寿と20分に及ぶ本格的な乱取りを繰り広げると、「練習中は『この野郎』と思いましたけど、感謝してます」と感想を述べた。また、今年のテーマは、「単純に。深く考えない」ことだという[28]。2月のグランドスラム・パリでは準決勝でトルステニャクから技ありと有効を取って快勝するも、決勝で地元のアグベニューに袈裟固で敗れて2位にとどまった[29]。4月の選抜体重別では準決勝で筑波大学3年の能智亜衣美に技ありで敗れて3位に終わったものの、実績でリオデジャネイロオリンピック代表には選出された[30][31]。代表決定後の会見では、「五輪では、金メダルを取ることだけを考えて頑張る。両親、先生方、 支えてくれる仲間、会社の方々、出身地の八王子で応援して下さる方に、勝って恩返しをしたい」とコメントした[32]。
IJF世界ランキングは1820ポイント獲得で6位(16/5/2現在)[33]。
戦績
年月 | 大会 | 成績 |
---|---|---|
2005年8月 | 全国小学生学年別柔道大会 | 40kg級 3位 |
2006年8月 | 全国小学生学年別柔道大会 | 45kg級 優勝 |
2007年8月 | 全国中学校柔道大会 | 57kg級 2位 |
2008年3月 | 近代柔道杯 | 優勝 |
2008年8月 | 全国中学校柔道大会 | 個人戦 優勝 団体戦 優勝 |
2008年9月 | 全日本選抜少年柔道大会 | 優勝 |
2009年3月 | テューリンゲンジュニア国際 | 優勝 |
2009年3月 | 近代柔道杯 | 優勝 |
2009年8月 | 世界カデ | 優勝 |
2009年8月 | 全国中学校柔道大会 | 個人戦 優勝 団体戦 優勝 |
2009年9月 | 全日本選抜少年柔道大会 | 優勝 |
2010年1月 | ベルギージュニア国際 | 優勝 |
2010年5月 | ロシアジュニア国際 | 5位 |
2010年6月 | 韓国ジュニア国際 | 2位 |
2010年7月 | 金鷲旗 | 優勝 |
2010年8月 | インターハイ | 団体戦 優勝 |
2010年8月 | ユースオリンピック | 個人戦 優勝 団体戦 優勝 |
2010年9月 | 全日本ジュニア | 優勝 |
2010年10月 | 世界ジュニア | 優勝 |
2010年11月 | 講道館杯 | 5位 |
2010年12月 | ワールドカップ・スウォン | 3位 |
2011年6月 | 韓国ジュニア国際 | 3位 |
2011年7月 | 金鷲旗 | 3位 |
2012年11月 | 講道館杯 | 3位 |
2013年2月 | ヨーロッパオープン・ソフィア | 優勝 |
2013年3月 | パンナムオープン・モンテビデオ | 優勝 |
2013年5月 | 体重別 | 3位 |
2013年9月 | 東アジア大会 | 優勝 |
2013年11月 | 講道館杯 | 3位 |
2013年12月 | グランドスラム・東京 | 2位 |
2014年2月 | グランドスラム・パリ | 3位 |
2014年4月 | 体重別 | 3位 |
2014年6月 | グランプリ・ブダペスト | 優勝 |
2014年8月 | 世界選手権 | 3位 |
2014年8月 | 世界団体 | 3位 |
2015年2月 | グランプリ・デュッセルドルフ | 3位 |
2015年4月 | 選抜体重別 | 優勝 |
2015年5月 | ワールドマスターズ | 優勝 |
2015年8月 | 世界選手権 | 2位 |
2015年8月 | 世界団体 | 優勝 |
2015年12月 | グランドスラム・東京 | 3位 |
2016年2月 | グランドスラム・パリ | 2位 |
2016年4月 | 体重別 | 3位 |
(出典[1]、JudoInside.com)。
有力選手との対戦成績
(2016年8月現在)
国籍 | 選手名 | 内容 |
---|---|---|
ティナ・トルステニャク | 3勝 | |
クラリス・アグベニュー | 5敗 | |
ヤーデン・ジェルビ | 1勝1敗(うち1戦1本勝ち) | |
マルティナ・トライドス | 3勝(うち2戦1本勝ち) | |
ツェデブスレン・ムンフザヤ | 2勝1敗(うち1戦1本勝ち) | |
アニカ・ファンエムデン | 5勝(うち2戦1本勝ち) |
(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。
IJFワールド柔道ツアーにおける獲得賞金一覧
大会 | 開催日 | 順位 | 獲得賞金 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
グランドスラム・東京2013 | 2013年11月30日 | 2位 | 3,000ドル | |||
グランドスラム・パリ2014 | 2014年2月8日 | 3位 | 1,500ドル | |||
グランプリ・ブダペスト | 2014年6月21日 | 優勝 | 3,000ドル | |||
2014年世界柔道選手権大会 | 2014年8月28日 | 3位 | 1,600ドル | |||
グランプリ・デュッセルドルフ | 2015年2月21日 | 3位 | 800ドル | |||
ワールドマスターズ2015 | 2015年5月23日 | 優勝 | 4,800ドル | |||
2015年世界柔道選手権大会 | 2015年8月27日 | 3位 | 2,400ドル | |||
グランドスラム・東京2015 | 2015年12月5日 | 3位 | 1,200ドル | |||
グランドスラム・パリ2016 | 2016年2月6日 | 2位 | 2,400ドル | |||
総計 | ||||||
9大会 | ー | ー | 20,700ドル |
- 日本選手の場合は、獲得賞金の半分は全柔連の取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂されて、賞金は全額選手が受け取れることになった[34]。なお、2014年7月からはIJF主催の各大会でコーチにも賞金が支給されるようになったために、選手の賞金が従来の2割減となった[35]。
受賞
- 2010年テレビ朝日ビッグスポーツ賞 新人賞[36]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i 「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号
- ^ KOMATSU : 女子柔道部 部員紹介
- ^ 田代未来 うり二つのコーチと金狙う デイリースポーツ 2015年5月13日
- ^ 学校から
- ^ 田代 未来(みく)さん | さがみはら中央区 | タウンニュース タウンニュース 2009年10月8日号
- ^ a b c d e f g 「解体新書 田代未来」近代柔道 ベースボールマガジン社、2014年6月号
- ^ 田代が女子63キロ級V 世界Jr/柔道 サンケイスポーツ 2010年10月24日
- ^ 57kg級山本杏、盟友田代未来に捧げるオール「一本」V 柔道サイト eJudo 2011年8月22日
- ^ インターハイ柔道競技・女子個人戦マッチレポート
- ^ 【柔道】パワハラ騒動なんの!女子3階級V スポーツ報知 2013年2月4日
- ^ 阿部、日本勢対決制す「最後に勝てて良かった」/柔道 サンケイスポーツ 2013年11月30日
- ^ 山本、山岸が優勝=柔道グランドスラム 時事通信 2014年2月9日
- ^ 高藤、海老沼、大野を選出=世界選手権代表-全柔連 時事通信 2014年4月6日
- ^ 高藤、松本ら優勝=柔道グランプリ 時事通信 2014年6月22日
- ^ 田代が銅メダル、永瀬は5位 世界柔道 日本経済新聞 2014年8月28日
- ^ 攻めて喫した逆転負け=20歳田代、今後につながる銅-世界柔道 時事通信 2014年8月28日
- ^ 男子が団体金、女子は銅 柔道世界選手権 日本経済新聞 2014年8月31日
- ^ 女子70キロ級・新井もV ドイツGP スポーツニッポン 2015年2月22日
- ^ 海老沼、中矢ら選出=世界選手権代表-柔道 時事通信 2015年4月5日
- ^ 「谷本2世」田代が初優勝 寝技で田中から一本 日刊スポーツ 2015年4月6日
- ^ 柔道ワールドマスターズ 高藤と田代が優勝 NHK 2015年5月24日
- ^ 田代未来「イノシシ状態」谷本コーチも歓迎 日刊スポーツ 2015年7月28日
- ^ 田代、女子63キロ級で昨年に続き銅メダル/柔道 サンケイスポーツ 2015年8月27日
- ^ 田代、笑顔なき銅=世界柔道 時事通信 2015年8月27日
- ^ 日本、団体で男女アベック優勝 柔道世界選手権 日本経済新聞 2015年8月30日
- ^ 持っている力を試合ですべて出し切りたい【田代未来 インタビュー】
- ^ 田代3決圧勝も笑顔なし「また銅メダルですね…」 日刊スポーツ 2015年12月6日
- ^ 柔道田代未来、激乱取りに「この野郎」も感謝 日刊スポーツ 2016年1月15日
- ^ 海老沼と志々目が優勝 柔道のGSパリ大会第1日 日本経済新聞 2016年2月7日
- ^ 最重量級は原沢が初優勝 女70キロは田知本遥が2連覇/柔道 サンケイスポーツ 2016年4月2日
- ^ 柔道五輪代表に近藤亜美、松本薫、大野将平ら発表 日刊スポーツ 2016年4月3日
- ^ 松本、五輪連覇は挑戦「開き直った」柔道代表が全階級“金”へ意気込み
- ^ World ranking list
- ^ 競技者規定 - 財団法人 全日本柔道連盟
- ^ Judo Grand Slam, Tyumen 2014
- ^ 2010年 第45回テレビ朝日ビッグスポーツ賞 受賞者