琴浦町
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ことうらちょう 琴浦町 | |
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国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | 31371-8 |
法人番号 | 2000020313718 |
面積 |
139.97km2 |
総人口 |
15,301人 [編集] (推計人口、2024年5月1日) |
人口密度 | 109人/km2 |
隣接自治体 |
倉吉市、北栄町、大山町、 江府町 |
町の木 | ブナ |
町の花 | サクラ |
町の魚 町の鳥 |
アゴ(飛魚) カワセミ |
琴浦町役場 | |
町長 | 福本まり子 |
所在地 |
〒689-2392 鳥取県東伯郡琴浦町大字徳万591番地2 |
外部リンク | 琴浦町 |
ウィキプロジェクト |
琴浦町(ことうらちょう)は、鳥取県の中央に位置する日本海に面した町。鳥取県東伯郡の東伯町と赤碕町が2004年9月1日に合併して誕生した。なお町名は、かつて海岸一帯が「琴ノ浦」と呼ばれていたことに由来する。
地理
隣接している自治体
歴史
町内に奈良時代前期の斎尾廃寺跡があることから、かつてはこの地に有力な勢力があったと思われる。 また、出雲文化圏の東の端にあたる。
行政
- 琴浦町長 山下一郎(前副町長)
- 町長選は琴浦町発足以来、3回連続無投票となっている
歴代町長
- 初代:米田義人(2004年就任、前東伯町長)
- 2代:田中満雄(2006年就任、前助役、元赤碕町長)
庁舎
琴浦町役場は本庁舎、分庁舎の2庁舎にて構成される。役場の各課は両庁舎に分けて配置されている。
- 本庁舎:〒689-2392 鳥取県東伯郡琴浦町大字徳万591番地2
- 町長執務場所
- 議会・議会事務局
- 選挙管理委員会 等
- 分庁舎:〒689-2501 鳥取県東伯郡琴浦町大字赤碕1140番地1
- 農林水産・商工観光・建設・水道
- 農業委員会 等
警察
経済
名物・特産品
地域
人口
琴浦町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
教育
- 琴浦町立赤碕小学校(あかさき)
- 琴浦町立以西小学校(いさい)
- 琴浦町立浦安小学校(うらやす)
- 琴浦町立古布庄小学校(こうのしょう)
- 琴浦町立東伯小学校(とうはく)
- 琴浦町立成美小学校(なるみ)
- 琴浦町立安田小学校(やすだ)
- 琴浦町立八橋小学校(やばせ)
- 琴浦町立赤碕中学校(あかさき)
- 琴浦町立東伯中学校(とうはく)
交通
鉄道路線
バス路線
- 一般路線バス
- 日ノ丸自動車(日ノ丸バス)が幹線、琴浦町営バス(実際の運行は日ノ丸自動車に委託)が支線を運行している。
- 幹線:倉吉~浦安~赤碕、運賃は対キロ区間制。
- 支線:琴浦町営バス:ワンコインバス、運賃は100円均一。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 町内を走る一般国道:国道9号
- 県道
港湾
- 赤碕港
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 八橋海水浴場
- 大山滝(日本の滝百選)
- 千丈滝 - 落差100mの2つの滝
- 伯耆の大シイ(新日本銘木百選・シイの木としては日本一の大きさ)
- 斎尾廃寺跡(国の特別史跡)
- 八橋城跡
- 河本家住宅 - 鳥取県指定文化財
- 旧・中井旅館(小泉八雲とセツが投宿)[1][2]
- 波しぐれ三度笠
- 道の駅ポート赤碕
- 船上山
- 船上山さくら祭り(4月29日・緑の日)
- 花見潟墓地(西日本最大の海岸墓地)
出身有名人
その他
2004年9月1日の合併により、琴浦町が発足した。このため、住所表記が以下の通り変更された。また、大字は表示する。鳥取県で、合併後も引き続き大字を表示するのは湯梨浜町と琴浦町のみである。
- 「東伯郡××町△△」→「東伯郡琴浦町△△」とする(従来通り「大字」は付ける)。
- -例-
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- 鳥取県東伯郡東伯町大字△△ → 鳥取県東伯郡琴浦町大字△△
- 鳥取県東伯郡赤碕町大字△△ → 鳥取県東伯郡琴浦町大字△△
市外局番は、0858(20~69)となっている。但し、天気予報は0859-177である。(市外局番0858の地域が鳥取県東部と中西部に複数存在するため。)
- 0858(20~69)エリア
郵便物の集配は、以下の郵便局が行っている。
- 東伯郵便局:689-23xx
- 赤碕郵便局:689-25xx
漂着朝鮮人の救助
- 日韓友好交流公園「風の丘」は1819年赤碕沖に朝鮮商船が漂着し、漂着民を鳥取の人々が手厚くもてなしたエピソードを記念して赤碕町が3億9千万円の事業費をかけて建設した。
説明碑には元々「日本海」と韓国が主張する日本海の呼称「東海」の両方の名称があったが、田中満雄町長が、2007年3月に町外の鳥取県民からの批判を受けて「東海」の文字を削除したところ、在日本大韓民国民団等から抗議を受ける事態になった。また、記念碑の推進をした中井勲元町長は、町民でないものの意志によって、このような改変が行われたこと等に対して公開質問状を出した。町は抗議を受け、どちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みたが、今度はこの対応に対して全国から批判の声が殺到。町は外務省に判断を仰ぎ「日本海」を現状どおり単独表記することに決定した。[1]詳細は日本海呼称問題参照。
関連項目
参考文献
- ^ J-CASTニュース 2007/6/22 - 日韓交流碑「削除」騒動 民団「右翼に屈した」と激怒