湯浅明彦

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ゆあさ あきひこ
湯浅 明彦
プロフィール
愛称 ゆあぴー
出身地 日本の旗 日本 兵庫県西宮市
生年月日 (1974-10-04) 1974年10月4日(49歳)
血液型 O型
最終学歴 大阪市立大学
勤務局 サンテレビジョン
部署 アナウンス部長
活動期間 1998年 -
ジャンル スポーツ
公式サイト 公式プロフィール
出演番組・活動
出演中 サンテレビボックス席
熱血!!タイガース党
ヴィッセルLive!
ストークスLive!

湯浅 明彦(ゆあさ あきひこ、1974年10月4日 - )は、サンテレビジョンアナウンサー、アナウンス部長。兵庫県西宮市出身。愛称は「ゆあぴー」。

来歴・人物

プロ野球選手を目指していたが、野球部のレギュラーになれずにいた中学2年の時に高校野球の中継を見て実況アナウンサーを志す。大阪市立大学卒業後、1998年サンテレビに入社。ちなみに生年月日は、長嶋茂雄読売ジャイアンツ)が現役を引退したのと同年同月同日である。

プロ野球中継の『サンテレビボックス席』では、2000年9月21日阪神タイガースヤクルトスワローズ戦中継で実況デビュー。2003年9月15日には、阪神対広島東洋カープ戦の中継(いずれも阪神甲子園球場)で実況を務めた。この日は、阪神が赤星憲広サヨナラタイムリーヒットで勝利した2時間後に横浜ベイスターズがヤクルトに勝利。阪神の18年ぶりの優勝が決まったため、甲子園球場に待機していた阪神ナインが星野仙一監督(当時)を胴上げしたシーンも実況したが、胴上げ中はほぼ無言であった。湯浅自身は、その理由について、「『ファンは胴上げが見たいだろうから喋っても印象に残らない。だから我慢しよう』と(思った)」と後に語っている。2006年5月9日、『サンテレビボックス席』の阪神戦中継が開局から数えて2500試合目となる阪神対ロッテ・第1回戦の試合前、サンテレビとタイガースの歴史を振り返るコーナーで司会を務め、歴代の実況アナのVTRを見て「本当に凄いの一言だと思います。」とコメントをした。

2002年度から2007年度までは、プロ野球のオフシーズンに、阪神タイガースの情報番組『熱血!!タイガース党』に出演。2005年度以外の放送では司会を務めていた。後輩のスポーツアナウンサー・木内亮が司会に起用された2008年度から不定期での出演に移行したが、2012年度の放送から(木内と同じく)「党首補佐」という肩書でレギュラーに復帰している。

全国高等学校野球選手権兵庫大会の実況を2002年から行っている。2003年~2006年は準決勝(1試合)、決勝を担当。2007年は決勝を担当。野球番組以外にも、年末年始に関東で行われる全国高校サッカー選手権大会の取材をここ数年担当しており、実況・リポーターとして日本テレビ系列の電波に声が幾度も流れている。2015年1月10日の第93回大会準決勝「流通経済大柏×前橋育英」で、全国放送の実況を初めて担当。

2011年からは、『ヴィッセルスタジアム』(地元のJリーグクラブであるヴィッセル神戸の応援番組)のMCを担当。非常にテンションが高く、徳重健太がヴィッセルに在籍していた時期の公式戦ハイライトでは、GKである徳重のファインセーブの映像が流れるたびに「ケンタトクシゲェェェ!!」と雄叫びを上げることが恒例になっていた。ヴィッセルの公式戦が『ヴィッセルLive!』として定期的に中継されるようになった2017年シーズンからは、中継の実況も任されている。

エピソード

2010年9月30日の『サンテレビボックス席』で阪神対横浜ベイスターズ22回戦の実況を担当していたが、阪神の2点リードで迎えた9回表無死1・2塁から藤川球児村田修一に逆転本塁打を許した[1] 瞬間、「行くな!行くな!超えるな!」「悪夢のような現実がそこには待っていました」と絶叫。2015年6月2日の阪神対千葉ロッテマリーンズ1回戦(いずれも阪神甲子園球場)では、9回表に呉昇桓角中勝也に逆転満塁本塁打を浴びたシーンを、「前に来ていた!前に来ていた!前に来ていたー!」「嘘だろ!?嘘だろ!?これが現実です!」と実況した(両試合とも広澤克実が解説を担当)。ちなみにサンテレビでは、「行くな!行くな!超えるな!」という文字と湯浅の似顔絵を入れたマフラータオルを、2019年から『サンテレビボックス席』の公式グッズとして発売中。同局で放送されているCMでも、本人がマフラータオルを両腕で広げながら当時の想いを語っている。

安藤優也が阪神の現役投手だった時期の『熱血!!タイガース党』で、安藤と一緒にロケへ赴いた際に、安藤の好きな曲である長渕剛の『西新宿の親父の唄』を二人でカラオケで熱唱したことがある。

学生時代、センバツとプロ野球開催時に甲子園球場のビールの売り子のバイトをしていた。真弓明信が打ったサヨナラホームランの打球が自分のすぐそばに飛んできたことがあるという。[2]

サンテレビが開局52年目で初めて東京ドームから自社制作による完全生中継を実施した2021年8月17日(火曜日)の横浜DeNAベイスターズ対阪神戦(DeNAの本拠地・横浜スタジアムが同年7 - 8月の2020東京オリンピックで野球・ソフトボール競技に使われていたことに伴って同球団が東京ドームで主催した試合)でも、広澤とのコンビで中継の実況を担当。新人ながら阪神の「5番・右翼手」としてスタメンに起用された佐藤輝明近畿大学硬式野球部への在籍中から取材を続けている左打者)がシーズン21号本塁打(日本プロ野球の公式戦における新人左打者としてのシーズン最多本塁打記録)と22号本塁打(阪神では1969年の田淵幸一に並ぶ新人選手の一軍公式戦シーズン最多本塁打記録)を放ったシーンも伝えた。佐藤はサンテレビで完全生中継を再び実施した8月19日(木曜日)の同カード(後輩アナウンサーの橋本航介が実況を担当した試合)で23号本塁打を放ったが、湯浅は17日の中継終了後に、「1998年度にサンテレビへ入社したので、同じ年度中(1999年3月13日)に生まれた佐藤選手には縁を感じてきた。我が社(サンテレビ)にとって大きな節目の試合(開局以来初めての東京ドームからの中継)が彼の快挙と重なったので、私にとっても一生忘れられない実況になった」と述懐している[3]

出演番組

現在

過去

参考文献

矢崎良一 他 『背番号三桁』 竹書房、2004年

脚注

  1. ^ 当時阪神の捕手だった矢野燿大の引退試合として開催。主催球団の阪神は、この試合に負ければセントラル・リーグでの自力優勝の可能性が消滅する状況にあった。そのため、矢野に対しては、チームが勝ち越した状況で9回表の2死から藤川とのバッテリーで現役最後のマスクを被らせることを予定していた。しかし、村田の一打で形勢が逆転。9回裏に矢野を打席へ送れないまま、逆転負けを喫したばかりか、リーグ優勝の可能性まで消滅した(試合後には矢野の引退セレモニーを当初の予定通り開催)。
  2. ^ 出典:2019年8月16日に行われたサンテレビボックス席展における自身のトークショーでの発言
  3. ^ 阪神戦でおなじみサンテレビが東京ドームで初中継「一生忘れられない」湯浅アナ(『日刊スポーツ2021年8月17日付記事)

外部リンク