早稲田中学校・高等学校
早稲田中学校・高等学校 | |
---|---|
早稲田中・高等学校 | |
過去の名称 | 早稲田中学校(旧制) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人早稲田高等学校 |
設立年月日 | 1895年(明治28年) |
創立記念日 | 11月3日 |
創立者 | 大隈重信・坪内逍遥ら |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
中高一貫教育 | 完全一貫制 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 13546B |
所在地 | 〒162-8654 |
外部リンク | 早稲田中・高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
早稲田中学校・高等学校(わせだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区馬場下町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]である。
概要
坪内逍遥・市島謙吉・金子筑水らが大隈重信の教育理念に基づき、東京専門学校(現・早稲田大学)関係者と大隈重信の尽力により1895年(明治28年)創立。〈人格の独立〉[2]を謳い、リベラルで早稲田を象徴するバンカラさをも合わせ持つ創立120年を迎える伝統校である。
校名に「早稲田」を冠したのは本校が先である。創立以来上級学校への進学を目的としており[3]、明治の私立全盛期には、一高合格者数でベスト10に入っていたことがあった(合格率で1位になったこともある)。帝国大学をはじめ各上級学校で同窓組織である「早中会」が多数結成された事実からも、早稲田大学とは独自の志向をしていたことが分かる(もっとも、早稲田大学進学者の早中会も当然存在していた)。
敗戦直後、早稲田大学の附属校とすべく生徒・保護者・若手の教職員らが運動を起こしたが、伝統と独立を重んじる理事会と教職員らによって鎮静化され、附属・系属校となる早稲田大学関係の学校(早稲田大学高等学院、早稲田実業学校)とは別の路線を歩むことになる[4]。
1979年4月、早稲田大学の系属校となり、教育のさらなる充実と発展を図る。1976年、事務所職員の会計担当が私的な株式運用のため3億円を持ち逃げし(後にこの事務所職員は逮捕された)、これにより、1982年以来卒業生の早稲田大学への推薦入学を開始することとなる。推薦枠は学部ごとに決まっており、その合計は約50名だった(当時の卒業生は約350名)[5]。早稲田大学側の学部再編や定員枠の増幅により、幾度か制度要項が改訂され、現在の推薦入学定員は169名である(1学年は約300名)。
以来、進学校、伝統校としての歴史を有しているが、最近は現代の若者の傾向を受けて、その闊達さが徐々に失われてきていると見る向きもある。学園紛争時には逮捕者を出したこともある。
中学入試は2000年度まで2月1日の1回入試を実施してきたが、2001年度より2月3日に2回目の入試を行っている。早稲田大学の系属校(附属校を除く)[6]の中では難易度は最も高い[7]。高校入試は現在実施していない。
古くから「東洋のイートン校」を標榜している。
教育・進路
本校の中高一貫教育では、中1および中2の前期2年を「生活習慣と学習の基礎を固める時期」、中3および高1の中期2年を「実力養成時期」、高2および高3の後期2年を「応用力完成時期」と区分する「2-2-2制」を採用している。また、高2に進級時に文系コースと理系コースに分かれ、高2修了までに「高等学校で学習する基礎的教科・科目の学習が一通り修了」する加速式学習法(先取り学習)を導入している[8]。
教育目標
- 誠
- 個性
- 有為の人材
進路
1学年約300名中、早稲田大学への推薦入学の定員は169名であり、例年学年の約半分が早稲田大学へ推薦入学している。他の国公立大学や医歯薬系への志望者も多く、2015年度は26%強の生徒が東京大学をはじめとする国公立大学へ進学した。推薦入学者を含む大学進学率はほぼ100%であるが、現役合格率は推薦入学者を含めて85%程度である。
年表
- 1895年(明治28年)- 11月3日、早稲田尋常中学校の創立決定。この日を創立記念日とする。
- 1896年(明治29年)- 開校。
- 1897年(明治30年)- 地方出身者のために寄宿舎を設ける。
- 1898年(明治31年)- 社団法人早稲田中学校となる。
- 1900年(明治33年)- 補修科を設置。
- 1901年(明治34年)- 早稲田実業中学(翌年早稲田実業学校となる)が校舎内に開校(1904年に大学敷地に移転)。
- 1903年(明治36年)- 補修科を早稲田高等予備校(各種学校扱い)に改組。
- 1904年(明治37年)- 寄宿舎を廃止。その跡地は1907年より2001年の間、早稲田実業学校が校地として使用した。
- 1921年(大正10年)- 校歌制定(第一校歌)。
- 1924年(大正13年)- 早稲田中等夜学校開校。勤労生徒を対象にした4年制の各種学校。
- 1932年(昭和 7年)- 中等夜学校を閉じる。
- 1941年(昭和16年)- 財団法人に改組。
- 1944年(昭和19年)- 高等予備校を廃止。
- 1947年(昭和22年)- 学制改革により、新制早稲田中学校開校。
- 1948年(昭和23年)- 新制早稲田高等学校開校。
- 1951年(昭和26年)- 学校法人に改まる。
- 1964年(昭和39年)- 新校歌制定(第二校歌)。
- 1979年(昭和54年)- 「早稲田高等学校を早稲田大学の系属校とすることの合意書」に調印。
- 1992年(平成4年)- この年をもって高校入試が打ち切られる。
- 1993年(平成5年)- 高等学校生徒募集停止、完全中高一貫校化。
- 1995年(平成7年)- 創立100周年記念式典挙行。
学校関係者一覧
関連書籍
- 早稲田中・高等学校『早稲田中学校創立六十周年記念録』、1955年発行
- 早稲田中・高等学校『早中七十周年記念録』、1965年発行
- 早稲田中・高等学校校史編纂委員会著『百年の軌跡 : 早稲田中学校早稲田高等学校』、1995年発行
- 早稲田中・高等学校校史編纂委員会著『百年の蛍雪 : 早稲田中学校早稲田高等学校』、1996年発行
- 梅澤宣夫著『早稲田田圃の学舎で : 早稲田中学校をめぐる人々 早稲田中学校・高等学校創立百十周年記念』、早稲田大学出版部、2006年発行
関連項目
外部リンク
脚注および参照
- ^ 早稲田中学校の学校情報-中学受験パスナビ(旺文社)の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と掲載されている。
- ^ 東京専門学校(現・早稲田大学)の理念である〈学問の独立〉に対置(前置)される、〈人格の独立〉を掲げた教育を実践している。
- ^ 当初高等学校進学希望者を対象とした1年制の予備校も併設していた(萩原朔太郎が在籍していたことがある)。
- ^ 学校誌『百年の軌跡』は、「旧制では大学予科だった早稲田高等学院が、戦後大学附属の新制高校に改編されたことで、同校の附属校化が難しくなったとの考えが学校関係者に広まった」、と記述している。
- ^ 推薦制度は他大学の付属・系属10校の訪問調査と同志社・立命館・甲南などへのアンケート調査、進学の実態分析などを経て構成された。
- ^
- ^ 最大手進学塾のSAPIX 男子【2013 中学受験】偏差値一覧より
- ^ 早稲田中学校高等学校の「学校生活」のうち「授業」のサイトに基づいて記載した。