千曲川橋梁 (上田電鉄別所線)
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千曲川橋梁 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県上田市 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 鉄道橋 |
路線名 | 上田電鉄別所線 |
管理者 | 上田電鉄 |
施工者 | 横河橋梁製作所[2] |
竣工 | 1924年(大正13年)[2] |
開通 | 1924年(大正13年)8月15日[1] |
座標 | 北緯36度23分41.3秒 東経138度14分44.2秒 / 北緯36.394806度 東経138.245611度 |
構造諸元 | |
形式 | 単線下路開床単純プラットトラス橋5連[2] |
材料 | 鋼[2] |
全長 | 224.18 m[2] |
幅 | 4.3 m[3] |
最大支間長 | 43.89 m[2] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
千曲川橋梁(ちくまがわきょうりょう)は、長野県上田市諏訪形 - 天神の千曲川に架かる上田電鉄別所線の鉄道橋である。単線で上田駅と城下駅の間に位置する[4]。
概要
[編集]コリジョンストラットを有する。下部工はコンクリートで、橋台の基礎工は木杭、橋脚はコンクリートの井筒工法である[2]。
- 形式 - 鋼下路単純プラットトラス橋5連[4]
- 橋長 - 224.18 m
- 最大支間長 - 144フィート(約43.89 m)
- 施工 - 横河橋梁製作所[注釈 1]
- 設計 - 1923年(大正12年)5月
- 竣工 - 1924年(大正13年)
- 開通 - 1924年(大正13年)8月15日
歴史
[編集]上田電鉄の前身である上田温泉電軌が青木線(廃止)と川西線(現・別所線)を国鉄信越本線(現・しなの鉄道線)上田駅に乗り入れるために1924年(大正13年)に架橋した。当時は地方私鉄の多くが国鉄の払い下げによる橋桁により架橋されていたが、上田温泉電軌は独自の設計によるトラス橋を架設した[1][4]。
2019年(令和元年)10月13日、令和元年東日本台風(台風19号)による千曲川の増水に伴って堤防が欠損し、城下駅側の1径間が崩落[5]。これにより上田 - 城下間は長期不通となり、当該区間は代行バス輸送となっていた。その後、上田市が橋梁を市有化して、国の補助金を活用することにより復旧を支援する計画を発表[3][6]。鉄骨の多くは目立つ損傷がないことから再利用することとなった[7]。復旧工事は2021年(令和3年)に完了し、同年3月28日に運転を再開した。これにあたり、この日は上田電鉄が復旧への感謝の気持ちを込め、2022年3月28日を「無料乗車デー」とし、この日に限って別所線全線の運賃が無料となったほか、運転再開を祝う式典などが執り行われた[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現・横河ブリッジ
出典
[編集]- ^ a b “上田電鉄 企業情報” (PDF). 上田電鉄. 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “千曲川橋梁”. 土木学会附属土木図書館. 歴史的鋼橋集覧. 土木学会. 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b “別所線千曲川橋梁等の災害復旧事業の進め方について” (PDF). 上田市. 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b c d 信濃の橋刊行会『信濃の橋百選』(初版)信濃毎日新聞社、2011年7月24日、43頁。ISBN 978-4-7840-7166-1。
- ^ “長野・上田電鉄の鉄橋が落下 千曲川の堤防が崩れた影響”. 朝日新聞. (2019年10月13日) 2020年6月23日閲覧。
- ^ “上田電鉄別所線「赤い鉄橋」を国費で再建へ 来春の全線再開目指す 台風19号”. 毎日新聞. (2020年1月21日) 2020年6月23日閲覧。
- ^ “別所線「赤い橋」再利用の方針”. 信濃毎日新聞. (2020年2月27日) 2020年6月23日閲覧。
- ^ 『2021年3月28日(日)上田電鉄別所線が全線開通 ご支援いただいた皆様への感謝を込めた「無料乗車デー」及び「全線開通記念イベント」を開催』(PDF)(プレスリリース)上田電鉄、2021年3月3日。オリジナルの2021年3月4日時点におけるアーカイブ 。2021年3月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 上田電鉄 - 橋梁管理者
- 空から眺める千曲川・犀川 - 国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所
- 千曲川と赤い鉄橋ライブカメラ - 上田ケーブルビジョン
- 上田電鉄別所線千曲川橋梁 災害復旧 - 東急建設