伊東良孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。WCCbot (会話 | 投稿記録) による 2016年3月26日 (土) 01:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTREQ#民主党 (日本 1998-2016)の改名に基づくリンク変更依頼 (oldid=59086345)による)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

伊東 良孝
いとう よしたか
生年月日 (1948-11-24) 1948年11月24日(75歳)
出生地 日本の旗 北海道旭川市
出身校 北海道教育大学釧路分校
前職 釧路市議会議員
北海道議会議員
釧路市長
現職 農林水産副大臣
所属政党 自由民主党二階派
称号 教育学士
公式サイト 伊東よしたか

選挙区 北海道7区
当選回数 3回
在任期間 2009年8月31日 - 現職

当選回数 2回
在任期間 2002年 - 2008年

選挙区 釧路市選挙区
当選回数 2回
在任期間 1995年 - 2002年

当選回数 3回
在任期間 1985年 - 1995年
テンプレートを表示

伊東 良孝 (いとう よしたか、1948年(昭和23年)11月24日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(3期)、農林水産副大臣自由民主党副幹事長・北海道連会長。

財務大臣政務官第2次安倍内閣)、釧路市議会議員(3期)、北海道議会議員(2期)、釧路市長(2期)を歴任。

概要

北海道旭川市生まれ[1]北海道釧路江南高等学校1974年(昭和49年)北海道教育大学釧路分校卒業。大学では美術教諭の資格を取得しており、アマチュア画家でもある。その後、釧路パシフィックホテル取締役営業部長などを歴任した。中川一郎の後援会青年部で活躍し、中川の筆頭秘書であった同い年の鈴木宗男とも親しかった。中川の死後は鈴木宗男釧路後援会幹部となり、1985年(昭和60年)に釧路市議会議員選挙に出馬し初当選。以後3期連続当選。3期目の途中に辞職して北海道議会議員選挙に出馬し、1995年(平成7年)から2002年(平成14年)まで北海道議会議員を2期務める。自他共に認める鈴木宗男系列地方議員であったが、鈴木が自派勢力拡大のために、道議選で伊東と同じ選挙区に自身の腹心の秘書で、後に釧路市長となる蝦名大也を立候補させたため離反した。

2002年(平成14年)から2008年(平成20年)まで釧路市長を務め、家庭ゴミ回収有料化や阿寒町音別町との合併などを実現した後、同年10月、第45回衆議院議員総選挙に出馬するため、釧路市長を2期目の任期途中で辞職。第45回衆議院議員総選挙自由民主党公認で北海道7区から出馬し、民主党仲野博子を破って初当選(仲野も比例復活)。同選挙における自民党唯一の北海道での小選挙区勝利であるとともに、2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で民主党が勝利した選挙区から議席を奪った唯一の例である。

2009年(平成21年)9月17日に志帥会(伊吹派)に入会。落選した今津寛の後任の自民党北海道連会長に就任。

2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では、北海道7区で新党大地新人の鈴木貴子鈴木宗男の長女)、民主党前職の仲野博子らを破り、再選(鈴木は落選したが、石川知裕の辞職に伴い繰り上げ当選)。選挙後に発足した第2次安倍内閣財務大臣政務官に任命され、2013年(平成25年)9月まで務める。財務大臣政務官を退任後、自由民主党副幹事長に就任した。

2014年(平成26年)12月14日第47回衆議院議員総選挙では、北海道7区で民主党候補として出馬した鈴木貴子らを破り3選(鈴木は比例復活)。鈴木との票差は225票と大接戦であった。

2015年10月、農林水産副大臣に就任。

政策

所属団体・議員連盟

人物

  • 趣味は読書・旅行・音楽・スポーツ[7]
  • 座右の銘は「至誠天に通ず」 [7]

脚注

  1. ^ 公式サイト経歴
  2. ^ 公式ページ:政策
  3. ^ a b c d “2012衆院選 北海道7区 伊東良孝”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A02002003003 2014年9月3日閲覧。 
  4. ^ しんぶん赤旗 2013年1月6日
  5. ^ 特定秘密保護法 国会議員の投票行動”. 東京新聞. 2014年12月13日閲覧。
  6. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  7. ^ a b 公式プロフィール

外部リンク