伊東良孝
伊東 良孝 いとう よしたか | |
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生年月日 | 1948年11月24日(75歳) |
出生地 | 北海道旭川市 |
出身校 | 北海道教育大学釧路分校 |
前職 |
釧路市議会議員 北海道議会議員 釧路市長 |
現職 | 農林水産副大臣 |
所属政党 | 自由民主党(二階派) |
称号 | 教育学士 |
公式サイト | 伊東よしたか |
選挙区 | 北海道7区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2009年8月31日 - 現職 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2002年 - 2008年 |
北海道議会議員 | |
選挙区 | 釧路市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年 - 2002年 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1985年 - 1995年 |
伊東 良孝 (いとう よしたか、1948年(昭和23年)11月24日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、農林水産副大臣、自由民主党副幹事長・北海道連会長。
財務大臣政務官(第2次安倍内閣)、釧路市議会議員(3期)、北海道議会議員(2期)、釧路市長(2期)を歴任。
概要
北海道旭川市生まれ[1]。北海道釧路江南高等学校、1974年(昭和49年)北海道教育大学釧路分校卒業。大学では美術教諭の資格を取得しており、アマチュア画家でもある。その後、釧路パシフィックホテル取締役営業部長などを歴任した。中川一郎の後援会青年部で活躍し、中川の筆頭秘書であった同い年の鈴木宗男とも親しかった。中川の死後は鈴木宗男釧路後援会幹部となり、1985年(昭和60年)に釧路市議会議員選挙に出馬し初当選。以後3期連続当選。3期目の途中に辞職して北海道議会議員選挙に出馬し、1995年(平成7年)から2002年(平成14年)まで北海道議会議員を2期務める。自他共に認める鈴木宗男系列地方議員であったが、鈴木が自派勢力拡大のために、道議選で伊東と同じ選挙区に自身の腹心の秘書で、後に釧路市長となる蝦名大也を立候補させたため離反した。
2002年(平成14年)から2008年(平成20年)まで釧路市長を務め、家庭ゴミ回収有料化や阿寒町音別町との合併などを実現した後、同年10月、第45回衆議院議員総選挙に出馬するため、釧路市長を2期目の任期途中で辞職。第45回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で北海道7区から出馬し、民主党の仲野博子を破って初当選(仲野も比例復活)。同選挙における自民党唯一の北海道での小選挙区勝利であるとともに、2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で民主党が勝利した選挙区から議席を奪った唯一の例である。
2009年(平成21年)9月17日に志帥会(伊吹派)に入会。落選した今津寛の後任の自民党北海道連会長に就任。
2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では、北海道7区で新党大地新人の鈴木貴子(鈴木宗男の長女)、民主党前職の仲野博子らを破り、再選(鈴木は落選したが、石川知裕の辞職に伴い繰り上げ当選)。選挙後に発足した第2次安倍内閣で財務大臣政務官に任命され、2013年(平成25年)9月まで務める。財務大臣政務官を退任後、自由民主党副幹事長に就任した。
2014年(平成26年)12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、北海道7区で民主党候補として出馬した鈴木貴子らを破り3選(鈴木は比例復活)。鈴木との票差は225票と大接戦であった。
2015年10月、農林水産副大臣に就任。
政策
- 自身の政策として以下を挙げている[2]。
- 北海道開発の枠組み堅持
- 北方領土問題解決
- 酪農・畜産推進
- 国際漁業対策
- 広域・地域交通アクセスの充実
- 地域医療支援
- 地域づくりの推進
- 憲法改正に賛成[3]。
- 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成[3]。
- 日本の核武装について検討すべきでないとしている[3]。
- 女性宮家の創設に反対[3]。
- 日本軍が慰安婦を強制連行したとする主張を否定している[4]。
- 2013年11月26日、特定秘密保護法案の採決で賛成票を投じている[5]。
- 選択的夫婦別姓制度導入にどちらかというと賛成[6]。